第29話 視点の差
ニルヴァが交換条件として出した研究所に来て欲しいという話は、意外とすぐだったようで、私が研究所に来ることになったのは、アイリの部屋に住むようになってから3日後のことだった。
「おはようございます」
「えっと、おはよう」
入口のところで待っていたニルヴァと合流して、研究所内へと入っていく。
研究所というのはどうにも嫌な雰囲気を漂わせている。
ずっと機械か何かの変な音が聞こえているからかもしれない。
「今日は来てくれてありがとうございます」
「いいけれど……どうして呼んだの?」
まだどうしてニルヴァが交換条件として、ここに来ることを指定したのかは知らない。一応、私の中には交換条件を否定するという選択肢もあったわけだけれど……それはあまりにも歩み寄ってくれた妹との対話を放棄するような気がして、今ここにいる。
「あー、それはですね……」
ニルヴァが少し考えるように頬に指を当てる。
「うーん……姉さんは、この研究所がどういう場所かは知ってますか?」
「えっと、遺物研究?」
ニルヴァが遺物研究者になりたいと言っていたし。
てっきりそうだと思ったけれど……違うのかな。
「まぁそうなんですが。一口に遺物研究と言っても色々ありますから」
「へぇ……」
どうやら間違ってはいないが、正解とも言い切れないぐらいだったらしい。
「ここでは同調率の研究が主ですね。私もその系列です」
「そうなんだ」
「それで、少し試してみたいことがあるんですが。魔力を流して欲しくて」
「いいけれど……魔力を流すだけなら、そのための魔導機とかはないの?」
「……あるんですが、魔法師のほうが実証試験らしいですから」
そんなものかな。
正直、違いはよくわからないけれど。
「これです」
そう言って、ニルヴァが取り出してきたものは、同調率測定の時に使うものと似た形のものだった。いつも見ているものよりは随分とごつい気がするけれど……試してみたいと言っていた通り、試作機的なものなのかもしれない。
そこに私は左手を置く。
そこから、魔力を流すというのが私がここに呼ばれた意味らしい。
「えっと魔力を流すだけで良いの?」
「基本はそうです。術式を編んで欲しい時はその都度言いますから」
「簡単なのにしてね?」
「姉さんなら大丈夫ですよ」
うーん。
期待しすぎじゃないかな。
私はそこまで難しい術式は編めない。魔力量とか出力のほうなら、人並みというか、魔法師並みだから、そっちなら多少はできるかもだけれど。
魔力を流すだけで時間が過ぎていく。
少しばかりの沈黙がどうにも気まずい。
「えっと、この役目は私で良かったの? もう少し適性のある魔法師がいたと思うけれど」
「そうかもしれませんが……姉さんが良かったんです」
「そう?」
よくわからないけれど、ニルヴァがそう言うのなら良いのかもしれない。
でも、彼女はさっきからそわそわしている。
……うーん。やっぱり私じゃないほうが良かったんじゃ。
12年間の空白というのはそれなりに大きい。それなのに、彼女は私を姉として見ているから、少し気まずいのかもしれない。
「あの、姉さん。手を握ってもいいですか?」
少し恥ずかしそうにしながら、ニルヴァは沈黙を破る。
時折、彼女はこんなことを言うけれど……そんなに手を握ると言うのが好きなのかな。私にはあまりわからないけれど。
「まぁ。いいけど」
でも、断る理由もない。
彼女は私の右手を握る。
なんだかちょっと気恥ずかしくはある。こんな個室で、ただ手を繋いで、時間が過ぎるというか。
……なんていうか。
心がざわざわするというか。
落ち着かない。
……アイリといる時と何が違うんだろう。
彼女も同じように触れ合いを好んでいるようだけれど……もっと安心する感覚があるのに。
……これが心の差なのかな。
好感度の差と言ってもいいのかもしれない。
まだニルヴァと仲良くなったというには、あまりにも彼女のことを知らなすぎるし。
「……覚えてませんか?」
「何を?」
「昔、こんな風に手を握ってくれましたよね」
「えっと……ごめん。あんまり覚えてなくて」
「……いえ。当然のことです。もう12年も前のことなんですから」
……まぁ、正直半分ぐらいは私もそう思っている。
そんな昔のことを言われても困るというか。
逆にニルヴァが変というか。
「ニルヴァこそよく覚えてたね」
「忘れませんよ。家族とのことなんですから」
こういうところはやっぱり彼女と私は違うと感じる。
また会話が途切れる。
そろそろ本題を話したほうがいいのかな。
……今日、私はそのために来たという所もあるんだし。
「……あの、ごめんね」
「何がですか?」
「あんまり助けられないまま、結局1人にしちゃって」
一応、謝っておきたかった。
自己満足的過ぎる気もするけれど。
でも、一応今日、ここに来たのはそれが趣旨なわけだし。
「いえ……急なのは驚きましたが……」
「それは、私もだよ」
アイリにあんなに一緒にいたいと言われるとは思わなかった。
あんなに強い想いがあるなんて。
今でも、何かの間違いだったかと思うほどに、あの日聞いた彼女の想いはとても大きかった。
「どれぐらい一緒に住む予定なんですか?」
「まぁ、当分。なるべく長くじゃないかな」
具体的に決まっているわけじゃないけれど。
でも、最大で4年。私がここを去るまでになるはず。
それか……アイリとの関係が破綻するまで。
それが近いとはあんまり思いたくない。
「あー、その。困ったら呼んでよ。私に何かできるとは思えないけれど」
「ありがとうございます。助かります」
なんだか機械的な感謝だった。
まぁ、お世辞というか。社交辞令というやつなのかな。
その辺りの判断は難しい。対人関係のなさが露呈するというか。少し私のような人には複雑すぎるというか……
「……あの。姉さん」
少し間を置いて、彼女がまた私を呼ぶ。
その彼女の瞳は小さく揺れていて。
アイリも少し前に同じように瞳を揺らしていたような気がする。
「私と暮らすのは嫌でしたか?」
「えー……」
何その質問。
答えづらい。
はっきり嫌というわけでもなかったけれど、別に喜んでいたわけでもない。親がそう言ったから一緒に住むことになっただけで。
ニルヴァも同じ立場だろうに。
「えっと嫌っていうわけじゃないけれど。でも、一緒に住みたいって言われたから」
逃げるように、帰らない理由を話してから、これはずるいような気がした。
まるで全く私の意思はないような言い方にしてしまったけれど。でも、実際のところ、私の意思は小さかったとはいえ、それでも選んではいるのだから……選択したことを伝えないのはあまりにもずるい。
だから、言葉を追加する。
「……それに私も一緒にいたいって思ったから」
「そう、ですか」
……やっぱりニルヴァとの沈黙というのはそれなりに気まずい。
どうしてかはわからないけれど。
アイリとの沈黙と何が違うんだろう。
「恋人ですか?」
「え?」
「その、一緒に住む人は恋人ですか?」
「えー……」
なんだかよくわからない質問が来た。
少し自らの無駄に長い髪を弄りながら考える。
……でも、恋人かどうかという問いならば。
「まぁ違うんじゃないかな」
「え、違うんですか?」
ニルヴァの眼が大きく見開く。
そんなに意外だったらしい。
「どうして驚くの?」
「いえ……同棲するというのですから、てっきりそうなのかと思って」
……そうかな。
同棲の目的とは結局一緒にいたいということなのだから、誰が相手でもおかしくないような気がするんだけれど。
「そんなに変?」
「変っていうか……どうしてそんなことになったんですか?」
「うーん。相手の子が一緒にいたいって言ってくれたからかな」
……私もよくわかっていない。
アイリがどうしてあそこまで一緒にいたいと言ったのか。
だから、上手く説明はできない。
私もそれを知ろうとしているところなのだし。
「姉さんもそんなに仲の良い人がいたんですね」
「ありがたいことにね」
「知りませんでしたよ」
そういえばアイリのことを話したことはなかったかもしれない。まぁ機会もなかったし。
「……あんまり話しませんよね。姉さん自身のこと」
「そう……だっけ?」
それは単純に私があまり話す方じゃないというだけな気はするけれど。
でも、実態としては話すことがないと言った方が良いのかもしれない。私という存在はとても空っぽなわけだし。
私という存在について語ろうと思っても、心は手の届かないところにあって、どう話せばいいのかわからない。
「姉さん」
また。
彼女は私のことを呼ぶ。
……なんだかそう呼ばれるのは、むずむずする。まだ慣れていないのかもしれない。これまで私に妹がいるなんて実感はなかったわけだし。
「……私達、家族ですよね」
「そうだと思うけれど」
それ以外に何と言えばいいのかはわからない。
友人? 知り合いとか?
「いえ、その。ごめんなさい」
「何かあった? 大丈夫?」
「いいえ。その……姉さんが姉さんで良かったです」
言っていることがよくわからない。
私がニルヴァの姉というのは、戸籍でも変えない限り変わらないと思うんだけれど……
「そっか」
結局、私はよくわからないまま曖昧に頷く。
「はい。そうでなかったから、きっとこうして話せてませんから」
「まぁ、そうかもね」
私とここまで話したことのある人というのは数える程度もいないし。
そう考えればやっぱりアイリというのはかなり特異的な存在だという感覚がする。彼女と話した量は、他の全員を合わせても勝てないだろうし。
「でも、どうして帰ってこなかったんですか?」
どこに、とは聞けない。
どことは家のことということぐらいはわかる。
私が5歳まで住んでいた、ニルヴァが少し前まで住んでいた、親のいる家。
私達の実家というべき場所。
でも、私にはそんな感覚はない。
「……忙しくて」
嘘をついた。
実際には忙しくなんてなかった。
魔法学校での生活は寂しくても、それなりにゆとりがあった。それは私が何もしていなかったからなのだけれど。
「そう、ですか」
ニルヴァもそれを察しているのかもしれないけれど、特に突っ込まれることはなかった。彼女が優しくて助かった。
けれど、実際のところ私は。
「でも、帰らないほうが良かったと思うんだけれど」
「そんなことありません。会いたかったです」
……ニルヴァがそう思ってくれていたとしても、きっと帰っていない。
だって、私が帰りたくなかったしそれに。
「でも、母はそうじゃないよね」
「……そんなことないはずです。また会いたいとそう言ってました」
「それは……」
嘘だよ。
そんな風に言いそうになった。
けれど、それはきっとニルヴァと母の関係を壊しかねない。多分、その関係はこれまで12年間で……私のいない12年間で培われたものなのだし、そう簡単に触れて良いものとも思えない。
「……それは知らなかったよ」
そこで会話はまた途切れた。
純粋な沈黙が部屋を包み、測定器の無感情で規則的な音だけが部屋に響く。
そして少しすれば、測定機はちょっとばかり長い音を立てる。
「これで今日は終わりです。協力ありがとうございました」
「あ、うん。気にしないで。これぐらい」
本当にただ魔力を流すだけだったし。
結局、一度も術式を編んだりはしなかったけれど、これで良かったのかな。
「あの、姉さん」
「ん?」
「これから、またこうして協力してくれませんか? 10日に1度程度でいいのです。会ってくれませんか?」
……最後の言葉が本音なのかな。
今日の不可解な交換条件も、全部ニルヴァなりに私への歩み寄りだと思えば、わかりやすい。
でも正直、あまり気乗りはしない。
ニルヴァが悪い人というわけじゃないんだろうけれど……あまりにも価値基準が違いすぎる。
いや、それは些細な問題なのかもしれない。
だって、これは妹からの歩み寄りというもので、その流れに従うことは私には得意なことだったはずだけれど。
「えっと、それはちょっと難しいかも」
でも私は流れを断ち切る。
もう流される場所は決めてある。
「……どうしてですか?」
どうして……うーん。
その理由を探るのなら……きっとアイリは嫌がるから。
それぐらいのことはわかるようになってきた。
こうして今日会うことも言えていないし。
「……まぁ」
咄嗟に言い訳をしようとして。
それを止める。あまりにも歩み寄ろうとしてくれた妹に対して不誠実な気がして。
だから理由を探す。
まぁ探すまでもなく、アイリが理由だけれど……
だから多分一言で答えるのなら。
「一緒にいたい人がいるから」
そういうふうになる。
ニルヴァは傷ついたように顔を顰める。
「た、たまにならいいけど……定期的っていうのはちょっとね」
いたたまれなくなって、言い訳のようなことを言ってしまう。けれど今更遅い。
彼女の悲しげな顔は変わらない。そんな顔をさせたかったわけじゃない。
でも、アイリとの天秤を維持するためならば、これでいい。はず。多分。




