第27話 想いの天秤
その扉は私が開けたわけじゃない。
私にはこの扉を開けられなかった。
そこまでの力がなかったから。
なら、誰が開けたのか。
それは1人しかいない。
それこそ中から開けられたのだから、考えるまでもない。
だからもちろん、振り向けばアイリがいて。
少し赤くした目を、驚愕で見開いていた。
「ぇ、れ、レーネ……」
扉の前で私は立ち尽くす。
不意に開かれた扉。
言葉が見つからない。
だから、私はかろうじていつもの言葉を絞り出す。
「その。ただいま」
「……なんで」
「えっと、その前に入ってもいいかな」
「……いいけど」
さっきぶりのアイリの家は相変わらず温かい。
薄暗い廊下を抜け、同じ座布団に私達は座り込む。
「……忘れ物でもしたの?」
座り込んだアイリは俯いたまま、小さく問う。
そういうわけじゃないことはわかっているはずなのに。
でも、どう言えばいいのかわからない。
「アイリともう少し話したくて」
「……何を話すの?」
何を、か。
確かにそう言われると難しい。
ぐるりと部屋の中を見れば、近くの大きなぬいぐるみが少しへこんでいる。その理由はなんとなくわかる。それぐらいにはアイリのことをわかっている。
でも、わからないことも多い。結局今回の問題はそれが原因な気がする。
私がアイリのことをよく知らないから。
彼女はいつもとても遠くにいる。
全く異質の存在。
それなのに、強く踏み込んでくる。
心地の良い曖昧な距離ではなく。
はっきりとこちら側に。
けれど、それは今更のことで。
一緒にいて欲しいと願われるのは初めてじゃない。
でも多分、はっきりと断ったのも初めてで。
そしてアイリがそれを真っ向から否定したのも初めてだった。
……そしてアイリは私の心を決めつけた。
それが嫌だった。
きっとそれに拒否反応がでたのは。
……それは私の母の手法だから。
母が実際のところがどうかは知らないけれど、私から見てみれば、自分の目的のためには、私の意思を無視する人でしかない。
妹の事もそうだけれど、母にとっては私の意思は関係ないものらしい。それに逆らったことは無い。逆らうほどに勇気も反骨心も拒否感もなかったから。
ただ流されていた。
妹が来て助けて欲しいというのも、討伐隊の魔法師になって欲しいというのも、魔法学校には行ったのも、どれも親が流れを作っていて、私はそれに逆らわなかっただけでしかない。
でも、ずっと嫌だった。
私の意思を誰かに決められることが。
私も私の心がわかるわけじゃない。それどころかよくわからない。
けれど、だからこそ余計に他人に私の心がわかるわけがない。
私さえ知らない私の心を、誰かが知っているはずはないのだから。
だから……ずっと嫌だった。
そして、アイリはそれと同じことを言った。
……私の行動を固定し、私の意思を否定するような。
「……アイリ」
彼女が私の親のような人だとは思いたくない。
手法が同じだとしても、目的まで同じとは思いたくない。
でも、アイリの目的や意思はよくわからない。
よくわからないままにして、この疑念を持ち帰れば、それははっきりと心の楔になる。天秤は消え、泡は大きくなる。
きっと明日から、私は彼女と手を繋げなくなる。
瞳に見つめられるのが怖くなる。綺麗な声が、冷たい声になる。
だから、今……この天秤に想いをかけないと。
「どうして、そんなに一緒にいたいの?」
向き合わないといけない。
どうしてアイリがこの天秤を崩そうとしているのか。
そして彼女の願いとは、私と一緒にいることで。
どうして既に一緒にいるのに、これ以上一緒にいることを望むのか。
理由が知りたい。
「別に私もアイリと一緒にいるのは好きだけれど……もう一緒にいるのに。どうして?」
自分で言ってて意外だった。
私が誰かにそんなことを言うなんて。
アイリといると知らない自分にばかり出会う。
「……最近、一緒にいてくれないから」
「そうかな」
結構一緒にいると思うけれど。
それこそ平日はいつも一緒にいる。
「……そうだよ」
「今、一緒にいるよ。もちろん明日も会えるし。それだけじゃだめ?」
「……私はもっと一緒にいたい」
もっと……?
これ以上って。
「四六時中一緒にいたいってこと?」
それはないか。
一緒に住んでいた時だって、一緒にいない時間もあった。
アイリが検査の時とかはもちろん離れ離れだし、それ以外にもそれぞれが外出する時もなかったわけじゃない。
「それもあるけど」
……あるんだ。
「それだけじゃなくて……レーネが遠いから。近くにいたい」
「と、遠い?」
今、ここにいるのに。
手を少し動かせば触れることができる距離なのに。
遠いということは無い気がするけれど。
「……そういうことじゃなくて。最近、レーネの心が遠くに行ってる気がして……」
「えー……」
それはどちらかと言えば私の台詞なんだけれど。
アイリの心はいつも私の遥か先にあって、時折、彼女もとても遠くに感じることがある。けれど、それは当たり前のことで。
だって、アイリと私は違う。明確に。色々なことが。
だから、こうして一緒にいることだって、多分かなり幸運なことで。異常な事だし。
「アイリは、私が近くにいたほうがいいの?」
「……うん。レーネは?」
うーん……
私は多分、人と関わるのに慣れていない。
それこそアイリほど近くに誰かがいたことはない。
だから正直に言えば。
「少し怖いかも」
「……なんで?」
「なんていうか。これ以上近づいて、アイリを傷つけない自信がないから」
私の心がどういう形をしているかはわからないけれど。
少なくともそこまで優しい形をしている気はしない。
「あの。この前も言ったけれど、私って、アイリが思ってるほど良い人じゃないし……だから、自信がなくて」
「そんなの……気にしなくていいのに」
「気にするよ」
アイリのことを傷つけたくはない。
それに、相手を傷つけるというのは関係を破壊する行為だから。
私はこの心のせいか、それとも経験や知識の問題なのかはわからないけれど、これまでの数少ない対人関係は全て相手を傷つけるだけで終わっている。
アイリとの関係はそれらと比べられないほどに、近い距離にいる。だから、もっと酷い終わり方をする気がして。
でも、そんなのは誰も望んでいない。
「私もアイリと一緒にいたいから。なるべく長く仲良くしていたいし」
「……傷ついても、嫌いになったりしないのに」
アイリは小さく呟く。
彼女はぱちくりと瞬きをして。
私をその瞳の中に入れる。
「私は、傷ついても良いから、もっと仲良くなりたい。もっとずっと近くにいたい」
……どうしてそんなに勇気があるんだろう。
私にはないのに。
でも、それは私にはあまりにも理解しがたい感情で。
これ以上というのはよくわからなくて。
「十分、仲は良いと思うんだけれど……」
これが私の勘違いなら困るけれど。
でも、流石に仲良くない人とこれだけ一緒にいることはできないだろうし。
「レーネは今のままで寂しくないの?」
「寂しくは……ないかな」
これで寂しいと思うのは少し求めすぎな気がする。
憂鬱になることや、煩わしいこともないわけじゃないけれど……アイリと定期的に会うことができて、一緒にいる。孤独じゃない。
それだけで十分というか。十分すぎるというか。
「……私はずっと寂しかった。いつも家に帰ってきたら独りで。レーネは知らない人と一緒に住んでて、おかしくなりそうだった」
「でも、これまでもずっとそうだったよね?」
随分と長い間一緒にいる気がするけれど、実際に私達が一緒にいる期間というのはそう長くはない。多分、半年もないんじゃないかな。それこそ一緒に住んでいた期間なんて、ひと月程度なんだから、それ以外の時間はアイリだって、独りでこの場所にいたはずなのに。
「今は違うよ……だってレーネには妹がいて。私だけが独りで。レーネは別の人に取られて……」
「取られてって……」
私は別に妹のものになったつもりはないんだけれど。
仲が悪いとまでは言わないけれど、まだ仲が良いかと言われると難しい所だし。
……でも、そこが問題なのかな。
違うのは、アイリの状況じゃなくて……私の状況の方を気にして。
「……私が先に一緒にいたいって願って、レーネもそれを受け入れてくれたのに……家族なんかに取られて……それで寂しくないわけないよ」
……まぁたしかに。
勇気を出して私と住みたいと言ったアイリからしてみれば、家族という一点だけで私と住むことになった妹はずるく見えたのかもしれない。
実際には、多分ニルヴァも私も、一緒にいることを望んでいたわけではないような気がするけれど。ただ妹は目的のためにいて、私はただ流されていただけで。
「……そんなに家族って大切なの? 私と一緒にいることを望んでくれたんじゃないの? どうして家族なんかのために……」
家族なんかって。
そんな言い方があまり家族に使うべきではない言葉であることは知っている。
でも、その感覚は私にもわかる。家族との記憶に良い記憶なんてない。とても怖い記憶ばかりで。嫌な記憶ばかりで。
あまり家族を大切にしようという感覚はない。
アイリも同じかはわからないけれど……似たようなものであることぐらいは察している。少なくとも、これだけ一緒にいるのにアイリが同じ都市内にいるはずの両親と話しているのを見たことは無い。
でも違うのは……アイリは自分の意志で家族から離れていて、私は流されているだけ。
そしてその流れは、私の親が作ったものであることぐらいは知っている。
「なんで……なんでなの?」
「なんでって……」
なんでだろう。
どうして私は好きな人じゃなくて妹と同じ家にいるんだろう。ほぼ他人同然の妹と、気まずい思いをしてまで。
親の言うことを聞いて、何の意味が。
本当になんでだろう。わからない。
……どうして私は私の心もわからないんだろう。
「私はレーネと一緒にいたい。レーネを独りにしたくない……ううん。独りになりたくない」
ぺたりと彼女が私に近づく。
その瞳は相変わらず私を捉えていて。
けれど、いつもより揺れていて。
そして力があった。
「だから、ずっと一緒にいて欲しい」
その瞳は……気圧される。
ちょっと怖い。
ずっとというのが不可能であることを知らないわけではないだろうに。
「もっと私の近くにいて、それで……」
でも、私は向き合うって決めたのだから。
この天秤に想いを載せたのだから。
だからアイリの感情の傍にいたい。
「私だけを見ていて欲しい……」
アイリは掠れた小さな声で願う。
けれど、たしかな意志を込めて。
それは……推察を間違えていなければ独占欲というもので。
それが理由だと言うのなら。
……それはどうなんだろう。
「……うーん」
「……困るよね。こんなこと言われても」
「まぁ、よくわからないといえばそうなのかな」
確かに困る。
正直どうしたらいいのか、わからない。
その感情は、きっと私にはあまりにも遠いもので。
なんというのか。
意味はわかっても。
理解も共感が難しい。
「……嫌、かな」
「そんなことは、ない。と思うけど」
自分の目的のために私の意思を無視するという点は、母と変わらないのかもしれない。
でも、理由を知れば、ちりちりとした嫌悪感は薄まっている。
……それは何故か。私はもう知っている。
アイリが私を求めてくれているから。
母とは違う。私を捨てた母とは。
……私は多分、少し困っていただけだったらしい。アイリがあまりにも私の意思を否定することに。
……それだけで理由も聞かずに逃げ出すのは自分の事ながら、どうかと思うけれど。
でも、 それが分かれば、なんだかほっとした。肩の力が抜けるというか。
私は別にアイリと共に居ることを嫌になったわけじゃないらしい。
本当にそうはなりたくなかったから。
でも、アイリが私に向ける感情が、そんなに強い感情だと思っていなかった。
もっと単純に一緒にいたいだけなのかと思っていた。
自らを孤独だと言っていたから、それだけなのかと。
私から見れば彼女は孤独には思えないけれど。
この感情に私はどう向き合えばいいんだろう。
アイリの大きな感情に。
向き合うことができるんだろうか。
私の弱い心で。
想いを載せた天秤は傾いている。
でも、私がすべきことはわかっている。
伸ばしてくれた手を掴めば。
「……まぁ、じゃあ一緒にいようか?」
「ほ、ほんとに?」
頷く。
正直、まだ彼女の感情はよくわからない。
私は誰かに独占欲を持ったことはない……と思う。
でも。
理解したい。
アイリのことを。
「その……いいの?」
「まぁ、どうなのかな」
考えてみれば、親に逆らうのは初めてかもしれない。
それに後でニルヴァに連絡するのも面倒くさいし。
けどまぁ。
「さっき考えてみたんだけれど……まぁ別に親に従う理由もないし。ただ私は多分、流されていただけで」
もう親に何かを助けてもらっているわけじゃない。
親孝行とかを考えないといけないのかもしれないけれど。
私はそこまで優しくはなれない。
まぁ……多分、何か困ったことがあれば、助けるぐらいでいいのかなって。
私がニルヴァの助けになることは多分ないけれど。
だから。
「アイリの感情に流されても良いかなって。そっちの方が好きなんだから」
きっと親の流れよりも、アイリの作った流れの中にいるほうが私にとっては良い。
そっちのほうがきっと寂しくない。
これからどうなるかはわからないけれど、少なくとも今は。
だから、ここにいることに決めたらしい。
「レーネ……」
……うーん。
自分でもちょっと他人事過ぎるし、気分屋過ぎる気もするけれど。
それに私らしくない決断かもしれないけれど。
でも、この決断は好きかもしれない。
……久しぶりに私の決断を肯定している気がする。
「レーネ」
アイリは私と手を重ねる。
そしてするりと私の腕の中へと入り込む。
「私もレーネといるの好き」
知ってるけれど。
それはさっきから何度も聞いているし。
「ね」
アイリは私に身体を預ける。
また彼女は私に甘えたいらしい。
そして甘えられるのは嫌いじゃない。
ゆるりと頭を撫でる。
なんというか……こうしているとほっとする。互いに想いを載せたこの関係が壊れずに済んで。想像より、アイリの想いは強かったけれど。
「ぅー」
アイリが喉を鳴らす。
なんだかあやしているみたいになっているけれど。
アイリは涙目の中で、嬉しそうに笑みを浮かべている。
そして多分自分が思っている以上に、私はほっとしている。
でも……アイリは気づいているのかな。
4年後には私はこの都市から出ることになるのに。
どう抗っても、その時が別れの時になるのに。
そんなに強く願ってしまって、大丈夫なのかな。
……それは私にも言えるかもしれないけれど。
だって私もこうして願いを理解しようしてしまったのだから。




