第26話 開かない扉
寒い。
もう夜だからかな。
随分と冷えている気がする。
ぺたぺたと道を歩いていると、なんだか恐ろしくなってくる。夜も遅くて怖いというのもあるけれど……
さっきまであんなにも温かい空間にいたのに、急に外に出たせいか。
いつもより孤独な気がする。
アイリと離れると、この感覚にはよく見舞われる。
彼女といるのは、とても楽でいられるから。
その反動というかなんというか。
だから、別にこの反動というのもそこまで悪いものでもないような気もするけれど……でも、確実に私の心をざわめかせて、息苦しくさせる感覚ではある。
……そして、私が忘れてはいけないのは……この感覚にこそ慣れるべきだということ。アイリといる時の穏やかな感覚に慣れてはいけない。
あと4年経てば、私はもうこの場所にはいられなくなって、また私は独りになる。
4年後に私がどうしているかはわからないけれど、少なくともこの場所にはいない。そしてアイリはこの場所にいる。
そうすれば必然的に会えないのが日常になる。全く会えないわけではないだろうけれど、少なくともこんな風に毎日会うのは無理なことぐらいは分かる。物理的に距離が遠くなるのだから。
そしてその時に、アイリの隣には誰かがいる可能性は高くても。私の傍に誰かがいる可能性は限りなく低い。
そういう意味では、私のことを少なからず好いてくれている彼女はかなり特異的というか……はっきり言ってしまえば異常というか。
……今日のアイリもそうだけれど。
彼女のことが時折わからなくなる。
少しは知っているつもりなんだけれど。
それでも、彼女は少し異質というか。
異常でもいい。
それでも、私はアイリといることが好きだし。
一緒にいたいと思っている。
それなのに。
……私の心は別の感情も持ってしまう。
少し心というものが難しすぎる気がする。
複雑すぎるというか。
ぐちゃりとしているというか。
……だから逃げだしたのかもしれない。
きっと、最後の別れもこんな風になる気がする。それがいつになるかはわからないけれど。
でも、その時のことを考えれば、このあまりにも現実感のない孤独感の中にこそ、実在するようにしないといけないのに。
けれど、まだ私は孤独には慣れていない。
孤独感は強まるばかりで、心細くなるばかりで。
この夜空の下、私だけがこの世界にいるような。
物音もしなければ、魔力の流れも感じない。
いや、実際にはどちらもないわけじゃなくて、耳を澄ませれば風の音がするし、相変わらず都市中心部には巨大な魔力がある。
けれど、どこを歩いているのかもわからなくなって、存在が弾けてしまうような。少し足を踏み外せば、何もない空に放り出されるような。
どうにも足元がおぼつかない。
独りじゃどこにいたらいいのかわからない。
アイリは……
アイリも同じように思っていたら……
……それはない気がするけれど。彼女は私との関係を失っても孤独ではないし。
それはわかっている。
でも、泣いていた。
多分、私も。
「はぁ」
立ち止まり溜息を吐く。
また泡が漂っている。
私の周りを2つの泡が。
ずっと嫌なことからは逃げてきた。
アイリとの関係を崩すのだって嫌だから、今日も逃げたのに。
どうやら逃げてしまうのは失敗だったらしい。
だって、私は今……後悔している。
後悔をしないようにしていたつもりだったのに。
単純な防衛機構として、逃げたのに。逃げてきたのに。
でも、それは同時に向き合うことを放棄したということでもある。
……前にアイリを傷つけた時と同じ。
同じ失敗をしている。
……何も成長していない。
成長が遅く、動きが重い。どうしてこんな私といることを望んでくれるのか。それはわからないけれど。
でも、私はそんなこともわからないほどに、彼女の言葉や心から逃げてしまっている。
きっと今日の逃走が最後になるかもしれない。
私達が一緒にいる最後の日に。
……そんなことは嫌で。
……わかっている。
ここまで気づいてしまえば。
私のすべきことは。
天秤を均すにはどうしたらいいのか。
空を見る。
やけに星が強く見える。
だから、私はアイリの家の扉の前に戻ってきていた。
……戻ってきたのに。
開けられない。
ここの魔力感知式の扉だから、少し魔力を流せば開くけれど……
存外、緊張しているらしい。
アイリと会うのに。
でも、これなら戻ってきて良かった。
今でこれだけ緊張しているのなら、明日以降アイリと会った時にはもっと酷いことになってそうだし。
けれど、今でも十分酷い。
……こんなに心が重いのはいつぶりだろう。
心に楔があるような。
何かが刺さっているような。
動かない。
身体が。心が。
どうしてこういうところで臆病なんだろう。
もう少し勇気ぐらい持っていて欲しい。
ただ少し手を動かすだけなのに。
少し魔力を流すだけなのに。
どうしてそんなことすらできないんだろう。
「あー……もう……」
なんで。
ずっとこうなんだろう。
こんなところで待っていても意味はないのに。
この扉を開けて、アイリに会わないことには。
だめかもしれない。
ここまで来たのに、私はだめなままで。
何をすべきかわかって、ここまで近づくことができたのに。
結局、最後の一歩を踏み出せない。
……こんなのだから。
でも、らしいかもしれない。
私らしい。孤立する人らしい。
ずっと勇気とは無縁の生活だった。
ずっと意志らしい意志から遥か遠くにいる。
私の心というのはいつも鈍感で、とても遠い。
私の短い手で届かない位置にある。
最近がおかしかったんだから。
アイリとの関係を維持したかったけれど、最近の関係が多分異常で。
これからは普通になるだけで。
そう思えば、ここで間抜けに立ち尽くしているのも、それっぽい。
何をしているんだろう。
何度もこの扉を開けたのに。
……いや、違うのかもしれない。
思えば、この扉を1人で開けたことなんかほとんどない。
もしかしたら、ないかもしれない。
大抵いつもこの扉が開く時には、隣にアイリがいた。
そうじゃない時は、中にアイリがいて、この扉を開けてくれた。
だから、私はこの扉を開けたことがない。
そのせいかもしれない。
私が扉を開けられないのは。
ただ、一度もしたことがなくて。
新しいことが怖いから。
……違う。
アイリと話すのが怖いから。
既に酷いことになっていそうなアイリとの関係に目を向けたくないから。
このまま帰れば……少なくとも、どちらかわからない状態にできる。
曖昧のままにしておける。
けれど、アイリは私に歩み寄ってくれた。
今度は少しぐらい私が歩み寄りたい。
そうしないと天秤が傾きすぎている。
それなのに私はまだ決断できない。
これは能力ではなくて、意志の問題なのに。
……寒い。
もう、帰ろう。また明日にしよう。
それが逃げだとわかっていても、この扉を開けられないのなら、それ以外にアイリに会う方法はもうない。
けれど、不意にきぃと音がする。
「……え?」
扉が開く音がする。




