第23話 傍観的な調律
小さな魔力を流す。
それに反応して家の扉が開く。
こういう所は魔法師向けの物件らしいところなのかなと、この扉を開けるたびに思ったりもする。魔力操作が下手な人だったら、この扉を開けるのも大変だろうし。
まぁこれぐらいなら、よっぽど魔力が小さいとかでもない限りは大丈夫なはずだけれど。
あ、そうだ。忘れてた。
「ただい……」
帰ってきたことを告げようとしたけれど、変な声が聞こえる。
ニルヴァの声みたいだけれど……
扉は閉じられているみたいだけれど、小さな声が聞こえる。
そっと耳を寄せてみれば、なんというかこれは押し殺した声というか。
あ、泣いてるのか。
こういう時は声をかけた方がいいのかな。
うーん。
でも、私には……
そっと広間まで歩いて、ぺたりと座る。
はぁ……こういう時になにもしないことが最善ではないことはわかっている。けれど、これが私のできる最善であることもわかってる。
それは成長というのかはわからないけれど……
借りてきた本を開く。
タイトルは青王仮説という小説。
あらすじを見る感じは、推理小説なのかな? ちょっとあらすじが抽象的で具体的なことはまだわからないけれど。
「あ、姉さん。帰ってたんですね……」
顔をあげる。少し目じりを赤くしたニルヴァがいた。
私が帰ってきてからどれぐらい経ったんだろう。100頁も読み進めたけれど……
「あ、うん。ただいま」
「おかえりなさい」
ぱたりと本を閉じる。
それを見て、ぽとりとニルヴァは声をあげる。
「それは、小説ですか?」
「あ、うん」
最近はアイリといることが多かったから読んでなかった。
だから、かなり久しぶりな気がする。
でも、少し助かった。彼女から話題が提供されたのは。
泣いていた人とどんなことを話せばいいのかなんて、わからないから。
「好きなんですか?」
「それなりにはね」
小説を読むのは、なんというか。
外のことを気にしなくて良くなるというか。
未来とか、過去とか。
他人の思考や、私の思考。
そういった怖いことから逃れられるから好きらしい。
というのは……どうなんだろう。自分でもちょっと理由が臆病すぎるかもしれない気はする。
……なら、最近読んでいなかったのは。
やっぱりアイリがいてくれたからかな。
彼女が隣にいてくれると、そういう怖いことを忘れて、今にいられる気がする。そういう錯覚の中にいさせてくれるから、一緒にいることを望んでいるのかもしれない。
「でも、小説なんてどこにあったんですか?」
「どこって……」
どういう意味かと思ったけれど、きょろきょろとする妹の姿を見て、すぐに思い至る。たしかにこの家には本はない。
「あー、そうだね。これ図書館のだから」
あの魔法師用の基地にある図書館にも娯楽図書ぐらい置いてある。
数は少ないみたいだけれど、魔法学校に置いてあるものと被ってないのは助かった。それなら多分、読み切るまでにはそれなりの時間がかかるはずだし。
「自分で買ったり、しないんですか?」
「しないね」
「どうしてですか?」
「うーん……どうしてかな」
いらないというのは違う気がする。
実際、こうして私はわざわざ図書館に行ってまで小説を読んでいるのだし。
だから、小説が欲しくないわけではない。
お金がないわけでもない。一応、魔法師としては最低評価とはいえ、討伐隊の魔法師なのだから、それなりのお金を貰ってはいる。全然使ってはないけれど。
だから、買おうと思えば買えるはず。本屋もこの都市のどこかにはあるはずなんだけれど。
「でも、選択肢にないからかな」
「えっと、どういうことですか?」
どう説明したらいいのか。
私は魔法学校に入学した時からお金がなかった。
学費とか服とかの最低限のお金は親が出してくれていたけれど、それ以上のお金はない。学校から支給されるものぐらいで。
自由に使えるお金がないということは、何かを買うということがないということで。確かに同級生たちはよく買い物とかをしていた気がするけれど、そういう経験が私にはない。だから、当然何かを買う習慣もつかなかった。
多分、だからだろう。
今でも何かを買う習慣がない。
流石に必要なものを買うことぐらいは覚えてきたけれど。
不必要なものを買うという感覚がない。
だから、私には本を買うという選択肢がないのだろう。
けれど、沢山の教科書らしい本や服、その他小物と共にここに来た妹に、この感覚を伝えられる気はしない。
……実際にどうかはわからないけれど、多分妹はそれなりにお金の余裕があったらしい。私とは違う。
だから、一言で言うのなら。
「まぁ、図書館で借りるのが性に合っているって言うのかな」
「それなら、いいんですけれど……」
「他にも姉さんは欲しいものとかないんですか?」
「欲しいものか……」
欲しいもの。
手の中で自らの髪を弄びながら考えてみる。
「まぁ、日常とかかな」
生存権というのか。
こうして家があって、水や食べ物があって、着る服や小説があって……そして辛いことや、怖いこともない。
そんな日常が得られるなら、十分な気もする。
……いや、これは嘘か。
多分、私はそれだけで十分に思うべきなんだろうけれど。
今は多分、アイリといることも……
「その、そんなに我慢しなくてもって思うんですけれど」
「あー……いや、我慢はしてないんだけれどね」
「そうですか……?」
確かにこの部屋の惨状を見れば、我慢しているように見られても仕方ないか。
一応1年住んでいるのに、ほとんど何もない。多分これは私がここを出ていくまで変わらない気がする。11年住んだ魔法学校の部屋は、最終的には何もなかったし。
「それに、こんなものじゃないかな」
これぐらいが十分というか。
これだけあれば十分というか。
一応、私は今生きていて、
ずっとこれぐらいが続けばいい。でも、未来が今と同じでないことぐらいはわかっている。少なくとも、ここにいられるのはあと4年程度だし。
それ以降のことはあんまり考えたくない。
何かしらの仕事をするのか。
それともまた状況が私を流しに来るのか。
どちらにせよ、あまり良くなる気はしない。
少なくともアイリとは会えなくなるのだろうし。
「……無欲なんですね」
「そういうわけじゃないと思うけれど。どちらかといえば強欲というか」
分不相応だし。
正直、こんな生活を送れているのはあまりにも私には似つかわしくない。私のような意志薄弱で、ただ流されているだけの人がこんな生活をしているのは、あまりにも異常だと思う。幸運すぎるというか。
それが時間制限付きで、未来が怖くて、こんな風に日常があって……アイリとも出会えて……こんなのあまりにも分不相応で。
だから、こんな生活が続くのを求めているのはそれなりに強欲な気がする。
「ニルヴァはどう? 何か欲しいものはあるの?」
「そうですね。私は欲しいものがたくさんあります」
「そうなんだ……手に入りそう?」
「最近、1つ……いえ、2つですかね。手に入りましたよ」
「それは良かったね」
自らの欲するものを理解して、そのために行動できるなんて。
これがなんというか。自らの意志で進む者と、そうではない人の差というか。
……やっぱり大抵の人は、生きていればこうして成長しているのかな。私はそうではないけれど。
でも、それを妬むことはできない。
だって、それは彼女自身が手を伸ばした故に掴んだものなのだから。
「やっぱり、頑張っているからかな。すごいね」
「いえ……私なんか。だって、今日も失敗して」
ニルヴァは見るからに肩を落とす。
多分、その失敗というのがさっき泣いていた理由なのかな。
私にはその失敗がどういうものか知る資格はないけれど、研究者になろうと思って、こんな見知らぬ土地に単身で来るというその意志は十分賞賛に値するというか。
「まぁ……私は、すごいと思ってるよ。ニルヴァのこと」
正直、私から見れば大抵のひとはすごい。
けれど、それは同時に値の知れなさの裏返しでもある。
みんなのことは理解できなくて怖い。
「そうですか……」
沈黙が舞い降りる。
彼女との沈黙はまだ慣れない。
やっぱりその辺はアイリとは違う。
何かを話した方が良いような気がするけれど、何を話せばいいのかもわからない。だから、私はまたしても小説に目を向ける。
きっとニルヴァもその沈黙を会話の終了と捉えたのだろう。
立ち上がり、自らの部屋へと足を向ける。
「私、今日はもう寝ます」
「あ、もう? 早いね」
「明日は早いというか……早くしたので」
なんか大変そう。
さっき泣いていたのもそうだし。
……やっぱりニルヴァはすごい。
そんなことを考えながら、なんとなく姿を追っていたけれど。
広間の扉を開けたところで彼女の動きが止まる。
そしてこちらを振り向く。
「あの、姉さん。ありがとうございます」
……えっと。
何のことかわからない。
だから、咄嗟に返事ができなかった。
その説明とばかりに妹は言葉を続ける。
「何も聞かずに話をしてくれて」
「……え。いや、それは」
どうなんだろう。
優しくないともいうし。
ただ失敗するのが怖くて逃げただけというか。
「姉さんと話せて良かったです」
「……まぁ、ニルヴァが良いならいいけれど」
「はい。それではおやすみなさい」
「うん。おやすみ」
扉を閉める彼女に小さく手を振る。
何も聞かなかったのは、私がそう決めたわけじゃない。
ただどうすればいいかわからなかっただけで。
それは多分、優しいとは違う。ただ意思が弱いだけで。
……うーん。
まぁ、こんなものなのかな。
わたしはきっとこれぐらいが精一杯な気がする。
なんとか妹との関係を維持するというか。悪くならないように祈るというか。
できることなら、ニルヴァの悩みを聞いて、助けられるなら良かったけれど、そんなことができないのはわかっている。私にはそんな力はない。
そして意思も。
やっぱり私は何も変わっていないらしい。
アイリと出会って、少しは変わったかと思っていたけれど。
人はそう簡単には変われないか。
アイリだけどんどんと進んでいっている気がする。
今は彼女が私といることを望んでくれているから、一緒にいられるけれど……今の私のままでずっと同じように想ってくれる気はしない。きっと私ではアイリを繋ぎとめることはできない。
そんな日が来るというのは杞憂かもしれない。
でも、怖い。
……怖いらしい。
アイリと別れる日が。
私の長い髪をさする。
アイリを撫でたときの感触が、まだ少し残っている気がする。
ちゃんと大きな存在になっているみたいで、嬉しいような呆れるような。あの時、後悔するかもしれないと推測した通りの道を歩んでいる。
後悔……あの時はそれすらも覚悟していたような気がするけれど。大変なことをしてくれたものというか。
そのせいで今こんなにも怖いのだから。
「会いたい……」
自分で呟いていて笑いそうだった。今日も日中はずっと一緒にいたのに。
だから、そんな呟きは天井へと消えていったことにした。




