第20話 甘受性
目が覚めると規則的な寝息をたてるアイリが隣にいた。
なんだかいつもより彼女の顔が近くに感じて思わず大きな声が出そうになった。
どうやら昨日、私が寝てしまってから帰ってきたらしい。
まぁ、多分大変だったみたいではある。
ちらりと広間の方をみれば、荷物がぽいと放ってあるし。きっと疲れているのだろう。今日は休日でもあるし、ゆっくり寝かせてあげたい。
そろりと寝床を抜け出す。少なくとも、私のような居候が邪魔をすることは良くないだろうし。
そんな彼女を横目に昨日来ていた通信連絡を開く。
一応、もう一度件名を確認する。
ニルヴァについて。
ニルヴァというのは私の妹の名前である。
私が魔法学校に入る時から会っていないから、もう12年ぐらい会っていないけれど。
妹について、か。
あんまり見たくはないけれど。
でも、無視するというのも薄情すぎる気がするし。
一応、魔法学校の学費とかを全部払ってもらったのだし。
そんなわけで読み始めた母からの通信連絡は色々と長文で書いてあったけれど、まとめるとこんな感じの内容だった。
妹が遺物研究に興味があり、その結果、遺物研究者として空中要塞都市に行くことになった。
そして空中要塞都市の規定として、親族が既にいる場合は同じ家に住むか選べるらしい。
というわけで、妹がこの第五空中要塞都市に来るらしい。私の家に住むつもりで。
……なんというか。
どうしてそうなるのか、よくわからない。
親族関係の規定があるのは知っていたけれど、それを家族が使ってくるとは思わなかった。私とはほぼ縁が切れていると言っても過言ではないし。
それなのに、どうしてわざわざ同じ場所に。
別に申請をしなければ、適当な家を宛がわれることもできたはずなのに。
けれど、遺物研究者だなんて。
妹はたしか2歳下だったはずだから、15歳か。
その年でよく成れたというか。あまりそういう研究方面のことは詳しくないけれど、多分結構すごいことな気がする。
まぁ、それなら応援するべきなんだろう。
家族としては。
一応、3年間は同じ屋根の下で暮らしたんだし。
正直、妹の印象は本当に薄い。
私と同じ保育園にいたのかも定かではない。
なんとなく家で話したような気はするけれど。
でも、12年前のことなんて覚えているわけがないというか。覚えている方がおかしい気がするんだけれど。
というか、これは親も親な気がする。緑髪のほうか、紫髪のほうかわからないけれど。
でもどちらかの発案ではある。
大概、私に連絡をよこすのは緑母だから、こっちなのかな。今回の手紙も緑母からだったし。やっぱり主体となって生んだ子供のことは多少なりとも気になるものなのか。それとも緑母の性格によるものかはわからないけれど。
そんな連絡にそれなりの動揺というか。
面倒くささを感じていたわけだけれど。
アイリが起きてくることにはなんとなく感情も整理がついてきていた。
「妹?」
「うん。来るんだって。ここに」
「この都市に?」
「そうみたい」
「へー……」
アイリが起きてから少しして、このことを話してみたけれど、あまり興味はなさそうだった。いつものアイリにはもう少し食いつく話題のような気がしたけれど。
昨日の疲れがまだ残っているのかもしれない。どんな任務かを言うことはできないみたいだけれど、大分大変な任務だったみたいだし。
「その、妹さん?」
「そうだね。妹だね」
「それは、なんていうか。レーネと関係あるの?」
アイリが首を傾げる。
まぁ確かに言われてみれば、そこまで関係はないのかもしれない。私は別に家族との関係がはっきりある人ではないし。
でも、ここに書かれている文言だけみれば、関係があるというか。関係があるようにされているというか。
「妹のことを助けて欲しいって書かれてるし」
「……助けるの?」
「まぁ。助けるって程のことができるとは思えないけれど。でも少しぐらいはね」
「そうなんだ……」
アイリは目に見えて気を落とす。
この時点でそんな顔をされると、これから言うことが追撃みたいになってしまう。まだそんなに気を落とすような話をしているつもりはないんだけれど。
「えっと、それなんだけれど。その、少し家に帰らないといけないかなって」
「家……? え、な、なんで?」
アイリはこちらにぺたぺたと身体を近づける。
彼女の身体の熱を感じる。
少し手を動かせば触れる距離に彼女がいる。
逆もしかりで。
なんだかアイリが近い。そんなに近づかなくてもいいのに。
「もしかして、嫌になった? 私、そんなに悪かったかな……」
でも、近くで私を見つめるアイリの瞳は不安気に揺れている。
そんなに怯えなくても……私が捨てられるならともかく、私から関係を崩そうという気はないのに。
でも、まぁ……確かに前科があると言えばあまり否定はできないから仕方がないのかもしれない。私としてはあの時のような勘違いはしないようにしているつもりなんだけれど。
「い、いやそういうことじゃなくて。ニルヴァが私の家に来るみたいだから、流石に私がいないわけには行かないかなって」
「あ、そういう……」
アイリはほっとしたように勢いを引っ込める。
けれど、すぐにまたこちらに視線を向ける。
「で、でも。私も一緒にいたいのに……」
「ごめんね。ニルヴァが慣れたら、またここに戻ってきても良いかな」
「良いけど……ずっと一緒にいたいのに……」
アイリは不満げに声を小さくする。
その言葉はありがたいけれど、これは私にはどうしようもない。
多分、今から私がなにをしても妹はここに来るのだろうし、そうなれば何もしないわけには行かない。少なくとも家を荒らされるわけにはいかない。
「まぁ、ほら。別に昼間は会えるし」
「そうだけれど……」
アイリの不満そうな顔は直らない。
けれど、これ以上私にはどうしたらいいかわからない。
こういう時に何も言えないのが、私らしいというか。何もできない私らしいというか。少しぐらいこういう時に言葉を持っていて欲しいんだけれど。
こういうところは私の対人関係経験のなさが出ているというか。
こういう時に私にできるのは曖昧に笑うことだけというか。
まぁ、多分、せめて言葉を尽くすべきなのかもしれない。何もないとしても、空っぽだとしても、言葉を尽くさないと。精々それぐらいしかできないのだから。
「えっと、どうしたらいいかな。代わりになにかするよ。それでどう?」
「……なんでもしてくれるの?」
なんでもというのは厳しすぎないかな。
私の力には限界があるんだし。
それこそ、アイリよりもとても低い限界が。
でも。
「私にできる範囲でならね」
「レーネができることなら、なんでもいいの?」
「うん。まぁ」
アイリは確認するように呟く。
その声は何だろう。あまり私が聞いたことがない声だった。
いつも通りの流れるような音だけれど。同時に、何か感情が含まれているような。
でも、それが何かはわからない。けれど、嫌な感じはしない。
「本当に、なんでも?」
「う、うん」
頷いてからちょっと安易だったかなという気はした。
そんなに確認されると少し怖い気もする。なんでもって。流石に私にもしたくないことぐらいあるし。
それにちょっとアイリの瞳が真剣すぎるような気もするような。
私のできる範囲って言葉を忘れないで欲しいんだけれど。
「……なら、いいけれど」
でもまぁ、アイリは笑ってはくれずとも、不満ではないようだったから良いことにした。それにそんな無茶な注文が来るとは思えないし。大丈夫なはず。多分。
加えて言うのなら、彼女との関係という傾いた天秤を均すのなら、なんでもするぐらいのことは言わないといけない気はする。まぁそれでも足りない気はするけれど。
私とアイリとの関係は、多分想像以上につり合っていない。
私が思っているよりもずっと。
そんな気はする。
「あの、じゃあ、撫でてくれる?」
「ん?」
一瞬、言葉の繋がりがよくわからなかった。
けれど、それは次のアイリの言葉わかることになる。
「なんでも、してくれるんだよね?」
「い、今?」
今とは思わなかった。
少なくともこんなすぐとは。
撫でるとか、それにそんなことを求められるなんて。
「……無理?」
だから。
そんな顔をされると断れるものも断れないというか。
けれど、これは別に嫌じゃないというか。
「無理じゃないけれど、それでいいの?」
「それがいい」
……うーんっと。
なんというか、これはどちらかと言えば罰というよりは褒美の方が近い気がするんだけれど。
まぁ、アイリが良いなら良いか。
別に私も、嫌なことがしたいわけじゃないし。
「ええっと、じゃあどうしたらいいかな」
私の問いにアイリは少し固まって。
その後不意に腕の中に入り込んできた。
彼女の小柄な身体は、私の膝の間にすぽりとはまる。私も一応、小さめな方なのだけれど。こうしてみるとアイリは思ったよりも小さいらしい。
「んー……」
アイリが変な鳴き声を出す。
これで撫でて欲しいということらしい。
私は多分、とてもぎこちない動きで彼女の桃髪を撫でる。
すると、さっきまでの不満そうな顔が嘘だったようにアイリはにこにことしている。目を閉じて、なんというか心地良さそうにしていた。
どれだけ贔屓目に見ても、私の手つきはぎこちないの域を出ない気がするんだけれど、これでも喜んでくれているらしい。
「……昨日はすごく疲れたんだよ」
「お疲れ様」
多分、かなり上位の魔法師にのみの任務だったのだろう。
融合体に関する警報は出ていなかったから、そういうのではなかったのだろうけれど。でも、それだけの魔法師が招集される任務なのだから、難度は計り知れない。
「……たくさん魔物がいて。いくら魔法を使っても、まだまだいて。進んでいくたびにたくさんでてきて」
「大変だったね」
「頑張って、帰ってきたのに。それなのにレーネは出ていくって言うし……」
「それは……ごめんね。ほんとに」
アイリの動きがぴくりと止まる。
どきりとする。また答えを間違えたかもしれないって。
けれど、振り向いた彼女は怒っているという感じではなくて。
どちらかといえば、隙を伺うような。この表現が合ってるのかはわからないけれど。
「もういいけど……これからもしてくれる?」
「ん?」
「これからもたまには、また撫でてくれる?」
「別にいいよ」
これぐらいいくらでもするけれど。たまにとは言わずに。たったこれぐらいのことで、アイリが笑ってくれるのなら、悪い気はしない。
……いや、正直に言うのなら。
こうしてアイリが甘えてきてくれるのは、なんというか。多分。
嬉しい。私も喜んでいる。気がする。




