第13話 回帰問題
アイリを好きらしい。
そんな感情があるらしい。こんな想いを持つことになるとは思わなかった。けれど、どういう感情なのか私にはわからない。
多分きっと色々な感情があって。
それは一言で言い表すには複雑すぎるけれど、整理のために無理に名付けた言葉が好きという言葉なのかもしれない。私はあまり考えることは得意ではないから。
その初めての感情にはっきりと気が付く前に私はアイリとの関係を終わらせることを選んでしまった。それを後悔しない日はないけれど。
でも、好きって感情がこの程度である間に関係を終わらせてしまったのは幸運だったかもしれない。
あのままアイリと一緒にいる時間が長くなれば、きっともっと好きって感情が強くなって、制御できなくなって、もっと酷い別れ方をしていたというのは想像に難くない。
そしてそれによる後悔はもっと酷いものになる。
アイリとはいつか別れてしまうことが確定しているのだから、早々と関係が終わってしまったのはきっと僥倖だったというか。将来の私から見れば、よくやったと言える事なのかもしれない。
今の私には後悔しか残していないけれど。
この後悔は、後悔としては最小限の後悔だったというか。互いにとって一番浅い傷で終わらせる行為だったというのは、少し自分の行動を美化しすぎかもしれないけれど。
でも、そういう風にも思う。思いたい。
5年後にこの空中要塞都市を去る時には、この後悔の味にも慣れているのかな。
いや、もう4年後か。
ここに来てからそろそろ1年と言われてもあまり実感がない。この1年は随分と早く過ぎていった気がする。
多分、本当に選ぶべき道だったのは、アイリと出会わない道だった。
そうすれば、こんな風に後悔や叶わない期待を抱えて、この部屋にいることもなかったのに。
私とアイリは元々関わることなんかない人なのだから。
私はただぼんやりと魔法師になっただけの人で。
アイリは同調者として融合体とも戦える魔法師なのだから。
でも。
これは矛盾するようだけれど。
やっぱり私はまだアイリと会いたいらしい。
……自分から突き放しておいて。
あからさまに傷つけておいて。
こんなことを願う資格もないけれど。
だからか。
だから、私は未だにこの部屋にいるのかもしれない。
アイリと会わないためなら、別の場所に行った方が良い。
それなのに、私は未だにこの部屋に毎日来ている。そして期待していないと言えば嘘になる。あの扉が開いて、少し小さくて綺麗な動きをする彼女が来るのを。
……会いたいのなら、連絡すればいい。
連絡先を知らないわけじゃない。
魔導通信機なら、連絡することはできる。
でも、それでアイリが会ってくれるとは思えない。
あんなにも傷つけたのだから。
……いや、言い訳かもしれない。これも。
会いたくない。
またアイリと会うのが怖い。
あれだけのことを言ってしまったのだから、次も今までと同じように話せる気がしない。
だから怖い。彼女に嫌われていることを確定させるのが怖い。
まだ今は確定していない。
こういうのを魔力情報が揺らいでいるというのか。
あれからアイリがここに来ていないことがその証拠かもしれないけれど、でも私はまだ彼女と話していない。
だから、もしかしたらまた同じように話せるかもしれない。
そうは思えないけれど……
結局のところ、私は会いたいのか会いたくないのか。
どちらかはっきりしてくれたのなら楽だけれど、生憎と私の心はそこまではっきりしたものではなくて、無数の感情からなる総体的なものでしかない。
好意も。恐怖も。渇望も。認識も。
全部私の中に在る。
だから、困るんだけれど。
時は経っていく。
悩んでいるだけで時は経つ。
これが悩んでいるということに気づくまでにもすごく時間がかかった。
けれど、時の流れというのは残酷と言われるほどに自動的に流れていく。
それを感じないということはとても難しい。
特に魔法師には定期的に同調率測定の日が来る。
もうアイリと一緒に行った日から半年が経ったらしい。
もちろん私も行かないわけには行かず、5日間ある測定日の4日目に行くことにした。
時間ぎりぎりに来たせいか、もうほとんど人はいない。前回はもう少し早く来たから、まだ人がいたけれど。これならほとんど待ち時間はなしで済みそう。
「測定ですか?」
「はい。えっと番号は」
「あ、それは中でお願いします」
どうやら待ち時間はないらしい。
本当に終了間際で来るとこんな風になるみたい。
そこからはいつも通りで、測定室で測定機に魔力を流す。
担当者は相変わらず機械的だった。こんな時間に来る私のような人はそれなりに迷惑だろうに、それでも変わらない対応をしてくれるのは楽で助かるというか。
それは私にとっては楽で良い。担当者といっても、測定機の調整ぐらいしかやることはないだろうから、そんなものだろうし、それ以上求めたりはしない。
でも、この前の測定日でアイリは担当者と話していた。今考えれば、あれも有象無象の魔法師ではなく、同調者だったからなのかな。
多分、あの時から。
私はアイリが孤独ではないことを知った。
私とは違って。
……そんなときからどうにも遠く感じていた気がする。
もちろんそんなのは小さな距離だったのだろうけれど。
気づけば、アイリとの間には大きな距離があった。
……いや、元から距離はあって、違う場所にいて、それにようやく気付いたというのか。
多分、アイリの手は遠くまで届くから、私までの距離も距離とは感じていなかったのだろうけれど。
でも、私の手は短い。彼女に届く気がしなかった。
とても遠くて。
心がぎゅるっとする。
こんな感覚は初めてで、どうにも気持ちが悪い。
私の小さな手から全てが零れ落ちていくような。
そんな感じがして。
……元より何も持っていないのに。
なんでそんなことを想わないといけないんだろう。
これまでずっと生きてきた。
私は何かをしたわけじゃない。
だから、私の手には何もない。
魔力を流しているけれど、私の人生もそうだった気がする。
ただ魔力を流しているだけで、魔法を使おうとしなかったような人生。
……何を言っているのか少しわからないけれど。
でも、そんな感じがする。
「はい。終わりで良いですよ」
そんなことを考えているうちに測定は終わる。
「あ、はい。ありがとうございました」
定型的な挨拶をして、廊下に出る。
魔力を流すとやっぱり疲れる。
それに前より測定時間も長かったし。
「ぁ」
桃色の髪に。
こてんと傾いた首。
閉じられた瞳。
薄っすらと聞こえる規則的な息遣い。
扉を開けば、アイリが待合室の一角に座っていた。
まだ私には気づいていない。というか寝ているのか。
不用心というか。それとも疲れているのか。
彼女も測定に来たのかな。
考えてみれば、当然来るか。同じ時になるとは思わなかったけれど。
……いや、どうだろう。私はわざわざ4日目に来ているのだから。アイリがよく来ると言っていた4日目に。
……でも、私はそっちには行けない。
アイリとは出会わないほうが良いのだから。
私は測定場を後にして、外に出る。
もう日は暮れて、深い夜になっていた。
とぼとぼと歩いてみれば、小さな星明りが道を照らしている。
魔法師ばかりの都市とはいえ、もう少し街灯とかつけた方がいいような気がするけれど。やっぱり目立つのは危険ということなのかもしれない。
……また逃げてしまった。
どこかが痛い。
わかっているけれど。
でも、アイリと話してどうするというのか。
きっとまた後悔をするだけなのに。
彼女を起こすことなく、逃げて帰るのはそんなに間違っているのかな。多分、こうした方が行動に一貫性もあるし、互いが楽になるのに。
足が止まる。
異様に大きな泡が浮いている。
……そんな風に幻視しなくてもわかっている。
ここで逃げたら後悔することぐらい。それが一番後悔することぐらい。
わかっている。
でも。
……でも、私は。
白状するのなら、きっと期待してしまったから。
彼女の感情が少しばかりは私に向いていることを期待してしまったから。
気づいたら私は戻ってきていた。
アイリの目の前に。
彼女はまだ寝ているようで、顔を上げる様子はない。
魔力が胎動する音がする。
怖い。どんな顔をされるだろう。
あんなに酷いことをして、アイリにどんなことを言われるだろう。
でも、傷ついたとしても。
いや、傷つけたとしても。
この願いを止められそうにない。
「アイリ」
彼女の身体がびくりと震える。
ゆっくりと顔を上げたアイリの視線が私を捉える。
まだ寝ぼけているのか、半開きの瞳が少しずつ開いていく。
この踏み出した一歩が正しいのかはまだわからない。
今日のこの感情が、勇気なのか無謀なのかはこれから決まる。
この行動が後悔になるのかどうかも。
「ぇ……レーネ……」
久しぶりに聞いたその音はあまりにも綺麗で。
……認めるのなら。私は少し。
なんというか、そう。
見惚れていたのかもしれない。




