2-6 欲しいもの
何冊も渡された専門書を片手に、ルードは大きく欠伸をした。
一日中働いて、勉強の時間なんてものは当たり前のようになかった。簡単な読み書きはできても、専門書を読めるほどの語学力はない。計算もおつりをちょろまかされない程度だ。こんな異国の言葉みたいな本を渡されても眠くなるだけだった。全く頭に入らないし理解などできない。
「……大体、今更コンピュータ言語なんて要らないし」
最近主流のN言語やHPSとか言うシステムは使う人間の気が知れない。ルードからすれば無駄が多く不便なものだ。プログラムに関しては、学んだとか考えると言うよりも当たり前に創れるものなのだ。それが出来ないという感覚がわからない。
「少しは進んだか」
この悪人は変な期待をしているようだが、逆立ちしたって求める答えは出せない。イレギュラーな力、それだけがルードの武器であって、正攻法では平凡以下なのだ。
「無理だよ。僕馬鹿だもん。それに、こんなの勉強しなくっても、プログラムは創れるし、原理の本なんて書くこと自体が無意味だよ」
不平を漏らす。既にどんな事ができるのかは見せている。これ以上手の内がないというほどだ。一世一代の賭けに出たと言っても言い過ぎではない。それなのにこの悪人はまだ足らないと考えているらしい。
「ノルマもこなせない理由が、必要ない……か?」
「うっ」
マイチスで慣れていると思ったが、クライムの不機嫌な顔の方が生命の危険を感じる。思わずたじろいでしまう。
「でも、こんな事して……何になるのさ」
それでも無理なものは無理で、言い訳がましく聞き返す。
「俺のラボで働く上で、最低限の事は知って置いてもらわないと困る」
病院の中だと言うのも気にせず煙草に火を点けて、クライムが言う。
「へっ」
思わず間抜けた声が出た。
「……ラボって、ネビューラの?」
「それ以外にあるか? 俺の補佐役なんて待遇までつけるんだ、馬鹿な餓鬼じゃあ俺が困るからな」
上から目線のその物言いに呆れるが、それ以上に高揚した。
「それって、マイチスを殺すくらい有益なことなの? 正直、殺人犯と一緒に働くなんてごめんだよ」
遊園地に連れて行ってくれるとパブのお姉さんが誘ってくれた時よりもわくわくしていた。あの時は子供好きに売られかけた。甘い話には裏があることはよく知っている。
煙草の煙をゆっくり吐いてから、クライムが口を開いた。
「俺の元で働く代わりに欲しいものをひとつやる。もちろん別に高給も保証してやる」
まともな申し出に驚いた。自分が思っていたよりも奴隷然と扱われる事に慣れていたらしい。対等とは言わなくても、人権を思い出させるその提案は意外だった。ばらされたくなかったら死ぬまで働けと言われる可能性も考慮していたのに拍子抜けだ。
「……少なくとも安月給じゃなさそうだし、金と衣食住がたりる生活ができるなら、それでいいよ」
あんな場末の修理工で働くよりも、最新のネビューラに触れて、おまけに食うものにも寝るところにも困らないなら十分だ。先のことはまた考えればいい。これ以上ないくらいの高望みを保障されれば文句もない。下手に欲を出して失敗なんてしたくない。
「それだけか?」
聞き分けのよさにクライムがまた不機嫌になる。
もう一度問われて考える。浮かんだ答えがあんまりにも幼稚で馬鹿馬鹿しくて無意識に笑いが漏れた。
「……クリスマスにお願いしても貰えなかったのに、今更もらえるなんて思ってないんだよ」
マイチスはもちろん、他の大人だってそんな物はくれなかった。精々残りのパンをくれるくらいだ。神様がいたって、貧しい子供にはプレゼントをくれない。貧乏な子はそれだけで悪い子なのだ。それくらい理解している。
「一国でも欲しいって言うのか?」
冗談めかして促される。そんな大それたものではない。
「孤独な子供らしい話だよ。……ま、何年も前に諦めてるから」
眉根に深い皺を刻みクライムが明確な答えを促す。これ以上機嫌を悪くさせて、割のいい申し出を流されても困る。
「本当の両親が今までごめんねって迎えに来てくれる。それが一番欲しいもの。大金持ちでなくてもいいから、表面っつらだけでも謝ってくれるって言うのがミソだよ。でなきゃこっちも許したふりができないだろ?」
わざと冗談めかして答えた。そんな事がある訳はないし、もしやってきたって人攫いの部類と一笑するだろう。今更のこのこやってくるような親なんてマイチス以上の糞だ。
朝から晩まで働かされ、蒸し暑い部屋で飲み水すらケチられ、失敗の有無なんて関係なく機嫌がいいか悪いかそれだけで殴られる。そんな生活が当たり前の子供は夢すら抱かないか、幸せな家族を夢に抱くかの二つ。ルードは残念な子供で後者だった。
クライムがそんなくだらない話を聞いて何か考えている。
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