第九走 ガバ勢と不運な二年B組戦闘大訓練
ボアドッグの群れが予想以上に手早く駆除できたため、B組は喜色混じりの安堵に包まれていた。
午後の訓練はこれ一本なので、こういう場合は寮に戻って自由時間となる。中には自主訓練を課す者もいるだろうが、せっかくゲットした臨時休養を堪能しない者はそうはいない。
しかし。
「訓練学校の人たち、ちょっと待って」
ケイブ警部補に駆除完了の報告を終え、ルーキたちが農場を去ろうとしたその時、呼び止める声がかかった。農場の主要メンバーと思しき三人のうちの一人。小柄で知恵者を思わせる少年だ。
「たった今見張り台の仲間から連絡があったんだけど、北から新しいボアドッグの群れが近づいてきてるみたいなんだ。露骨にこっちを狙ってる様子だから、そっちの駆除も頼めないかな」
せっかくの早上がりに水を差され、生徒たちは正直に「ええー」という不満顔になる。
が、
「俺からも頼む。参加してもらえたら、学校の方に成績の特別加点をしてもらえるよう直に言っておこう」
そこにケイブからの思わぬ一言が入り、彼らの態度を一変させた。
「やったぁ! 今季、実技のポイント足りなさそうだったんだよ!」
「ちょうど物足りないと思ってたとこ! どうせ次も楽勝だし!」
「この中に誰かラッキーボーイがいるんじゃないのぉ?」
途端にワイワイ騒ぎ出したところに農家の少年からも「うちからもキャベツを一山特別報酬に出すよ。鍋にすれば肉との相性は最高さ」と提案され、彼らの意欲はさらに上がった。ゲンキンな態度だが、人間とはそういうものだ。
ところが――。
「おい、大変だ!」と響く土間声が、その歓声を貫いていった。
リーダー格の一人、体の大きな農夫が忙しない足取りで現れ、
「東から来たボアドッグの群れが、北のヤツと合流した!」
「なにっ」
「なんだあっ」
さらに。
「聞いてくれ、まずいことになった。西にあった群れが突然北に移動を始めて、そこの群れと合流した。見たこともない大群になってる」
イケメン農家まで、そんな報告を持ち込んでくる。
「オイオイオイ、聞いてないよぉ!」
「見たこともない大群って、勝てるの……?」
生徒たちが途端に浮足立つ中、「どうしてそんなことに?」とルーキがたずねるも、農家三人衆は互いに首を傾げるばかり。
「わからん……」
「偶然たまたまクッソ激烈に運が悪かったとしか……」
「ほう……運が悪かった、か」
「運が悪かった、だってさ……」
「な、なんでみんなして俺を見る必要があるんですか……?」
生徒たちとケイブに見つめられ、ルーキは狼狽えた。
とにかく、オイシイ追加報酬どころではなくなってしまった。
この後も、群れの中に大型の個体が複数体いるだとか、このままだと畑の作物の大半が食い荒らされるだとか、ろくでもない情報ばかりがもたらされる。
だが、訓練生だからと退くことは許されない。走者とは元々自分たちの生存圏を守る者たちのこと。ある意味これが本業とも言える。
「今、訓練学校の方に応援を頼んだ。A組が到着するまで、B組だけで何とか踏ん張ってくれ」
ケイブのその発言に合わせ、「俺たちの畑だ。俺たちも当然戦うぜ」と農場の人々も武器を手に参戦表明してくれた。
ここに、農場VS害獣軍団という一大決戦の幕が上がることになる。
※
「A組が到着するまでだって? クソッ、アイツらばっか……」
農場が着々と防御態勢を整える中、ユーゴは一人、さっきのケイブ警部補の発言に対し反感を抱いていた。
「俺たちはアイツらが来るまでの時間稼ぎってことかよ」
一年次のクラスはごっちゃで、今はA組の連中とも同じ教室にいた。中には戦闘訓練で明らかに自分よりできないヤツもいたのに、総合評価とやらでちゃっかり上のクラス入りし、その後、急にこっちを見下すようになった。
気に入らねえ。そんなヤツらのサポート役なんて。
「ユーゴ」
そんなタイミングで声をかけられたものだから、「何だよ」と、つい棘のある返事をしてしまった。
「あっ、先生……」
しまったと思ったが、ルーキ先生は特段気にした様子もなく、
「次の初撃、任せていいか?」
「! ああ、もちろんだぜ。で? 何をすればいい」
「EFBを最大出力でぶっ放せ」
「!!」
ユーゴは目を丸くした。エターナルフォースブリザードは、由緒正しい古文書から名前を取った自分の必殺技だ。その最大出力となれば一番の見せ場。期待されている――!
「先生、それはどうかと思うわ」
そこで声を挟んできたのは案の定、クラムセルだった。ヴァシリーもすぐ横で腕組みしたままうむうむとうなずいている。
「大して威力のない攻撃に、余計な魔力を使ってる場合じゃないでしょう。ここは持久戦の構えを敷くべきだわ」
「おい、余計なこと言うな」とユーゴは反論しようとしたが、先生は「いや、先にパなしてもらう。その方が後から効く」とだけ言い残すと、忙しそうに他の生徒たちのところに向かっていってしまった。
「何考えてるのかしら。あの先生……」
「何だっていいさ。やれと言われればやる」
ユーゴは冷めた外面を装いつつ、内心、闘志で煮えたぎっていた。
A組のヤツらに出番なんかねえ。俺が一発で決めてやる。
だって、それが一番カッケェんだから……!
※
草原の彼方が茶色く濁る。
青く澄んだ空まで手を伸ばそうとする土埃は、百体にも迫ろうというボアドッグの到来を否が応でも理解させた。
「は、始まっちまうよ……」
「ひいぃ、怖い……」
農場の前に陣取ったはいいものの、早くも気圧される生徒たちの前に、ルーキは激励を込めた声を放った。
「いいか、獣の群れとやるときは絶対にビビるな! ビビったら一気に襲いかかってくる。逆にビビらなきゃ、向こうの何割かは勝手に逃げ出す! 大丈夫だ! 仲間と自分を信じろ! 走者を目指すヤツが、そのへんの野獣なんかに負けることはねえ!」
まるでその言葉を一番に背負うように、一人の少年が先頭に立つ。全員の視線が自然とそこに集まった。
『ユーゴ!』
「俺に任せろ」
過ぎ去る風にそのつぶやきを乗せたユーゴは、マフラーを押し下げると口を大きくして最大まで息を吸い込んだ。
力を込めた右手首を左手で掴み、それを前に突き出したまま、腰を落としてどっしりと構えを作る。
「まだ撃つなよ。十分に引きつける!」
ルーキはそのすぐ後ろで状況を見定めた。
土煙はいよいよ間近に迫ってきた。茶色い煙幕の中に、野獣の群れの輪郭が見えてくる。
デカいのが複数体。数もサイズも、さっき撃退した群れとは比較にならない。
「まだかよ先生!」
「もう撃っちまえユーゴ!」
生徒たちから焦った声が飛ぶ。
ユーゴが構えのまま、ちらとこちらを見るのがわかった。ルーキは首を小さく振って前を見据えた。ユーゴは黙ってこの緊張に耐えた。
緊急設置した防護柵に群れの先頭が差し掛かり、大型個体がそれを薄紙のように弾き飛ばす。生徒たちから上がる悲鳴。
地響きはすでに膝まで届いていた。獣の息遣いもはっきりと聞こえだす。
「先生!」
「もう少し――今だ! やれユーゴ!」
ルーキの言葉にユーゴはすぐに反応した。
「エターナルフォースブリザード……!」
彼の口に煌めく白い空気が吸い込まれ、突き出した拳に冷気が収束していく。
解放を待たず、すでに足元の草に霜が降り始めた。
これが全力全開の――。
「“グランデ”!!」
直後、耳を覆うような暴風が吹き荒れた。
まるで白い巨鯨が口を開けるようにして、相手を殺す冷気の塊がボアドッグの群れを飲み込む。
こちらまで叩きつけてくる風雪。
うおおおお――!!
とても一人の生徒が生み出したとは思えない圧巻の光景に、B組の仲間も農家の皆さんも一斉に声を上げた。
「やったか――!?」
誰かが叫ぶ。
前方は突然の白い吹雪に覆われ、見通せない。
が。
「!!」
見えた。見えてしまった。こちらに向かって変わらず走り続けている無数の獣の影。
全然倒し切れてない――! 誰もが言葉にできないままその悲鳴を上げた時、ルーキは逆のことを口にしていた。
「よし、奴らの勢いは落ちた! 動きが鈍ってる今がチャンスだ! イクゾー!!」
デッデッデデデデ!(カーン!)
大音量のカーンが突撃の号砲となる。
「うおおおおお! 王都にいるおっかぁにオラが作った野菜さ食ってもらうだあああああ!」
「こちとら地元じゃ負け知らずなんだよォォォ!」
「う、うおおおおー!」
先頭に飛び出たルーキに、いきり立った農家が怒号を上げながら続くと、やや遅れてB組も喊声を発してそれを追いかけた。
薄く凍りついた草原にて、人と獣が激突する。
「なっ、何だ?」
「これは!」
訓練生たちは、その時になって気づいた。
体のあちこちに雪を張りつかせたボアドッグたちの動きが、見た目ほど激しくないことを。それどころか露骨にスローになっている。最初に倒した群れよりもはるかに。
「考えたなルーキ」
自ら警察用サーベルを抜いて戦うケイブがそう声をかけてくる。
「温暖なこのあたりに住む獣では、魔力の冷気には対抗できん。まとめて機動力を削ぎ、序盤から有利を作る作戦か」
「へへ……冷気の魔法に関しては、勇者級のエキスパートが仲間にいるんで」
そちらは正直、見栄えも威力も敵からすれば絶望的に凶悪だが。
ともあれ冷気の魔法は相手の運動能力を著しく低下させる。人間でも手がかじかめば武器は満足に振るえない。今回はそれを一気に広めてもらったわけだ。
「指電!」
盛大な破裂音を立て、ボアドッグの巨体が吹っ飛ぶ。
「指電! 指電!」
さらに連発。凝縮された高威力の電撃が、その相手に相応しい大型を次々に落としていく。
その横で、華麗に閃く剣先もまた、獣の影を一匹また一匹と貫いていった。
「先生!」
「ルーキ氏!」
「クラムセルとヴァシリーか! ナカナカヤルジャナイ!」
ルーキの後ろから駆けて来たのは、問題児パーティの二人だった。
「どうだ。ユーゴの一発は効いただろ?」
「え、ええ……倒すには至らなかったけれど」
「これだけスローリィなら我が友クラムセルでも容易に仕留められる。クレバーな作戦だ!」
思うに、ユーゴもクラムセルも、独力で勝つということに意識が向き過ぎていたのではないだろうか。個人の成績を重視し、お互いのシナジーを深く考えられなかった。
ユーゴのEFBを見た時、威力はともかく範囲の広さはホンモノだとわかった。そしてその後、クラムセルの狙いの甘い魔法でも十分相手を仕留められたことも注目に値する。
この二つを組み合わせればお互いの短所は打ち消され、強力な鉾が一つできあがる。
純粋に腕の立つヴァシリーは、肉体的には非力なクラムセルの警護役がちょうどいいかと思っていたが――こちらはお膳立てせずとも紳士らしくその役目を果たしてくれているようだ。
「俺はいいから他の仲間を助けに行ってやってくれ」
ルーキはそう促すも、クラムセルは意外なほどはっきりと「いいえ」とそれを否定してくる。
「気づいていないの先生? あなたが行くところが、今一番ピンチなところよ」
「なに……?」
確かに、危うそうなところをカバーして回るつもりではいたが――。
クラムセルはここでなぜかこちらの足元を見て、
「先生の足元に白い犬がいる」
「! それは……」
「先生はその子についていってるんじゃないの?」
白い犬……心当たりはもちろんある。が、
「いや、俺には“まだ”見えてない。けど、そうか。俺の勘はあいつが引っ張ってくれてるのか」
「何にせよ、ルーキ氏についていけばクラスメイットのピンチは救える。さあ、我らに道を示してくれたまえ!」
「よし、じゃあ犬のように駆け巡るぞ!」
ルーキはB組屈指の攻撃メンバーをつれ、戦場を走り回った。
生徒たちは戦闘教本のセオリー通り、敵一体につき二人ないし三人で対応していた。正対している一人は積極的には仕掛けず、敵の横や後ろに陣取ったメンバーが本命の攻撃をかける。もしもその陣形が作れない時は――。
「指電!」
「エクセレント・ヴァシリー!」
クラムセルと自画自賛のヴァシリーが援護し、たちまち仲間を救った。
「おい、俺だっていつまでも休んでるわけじゃないぞ」
「戻ったかユーゴ!」
やがて全力ブッパから回復したユーゴも戦線復帰。前髪の色は青。魔力の総量が少ない分、立ち直りが早いタイプらしい。
「なんか、まだ俺だけ一体も仕留められてなくてイヤなんすけど」
不満を漏らす彼にルーキは笑う。
「だけど、この優勢を作ったのは間違いなくユーゴだぞ」
「それって単なるサポート役だろ。メインアタッカーがやることじゃない」
「いいや、先制攻撃ってのは味方の最強クラスがやるもんだ。俺のパーティでもな」
「! マジ……?」
自分のメンツで言うなら、ニーナナとマギリカが真っ先に敵に飛び込んでいく。攻めにおいては最強の二人。そこで相手を総崩れさせてから、攻守共に優れたリズが仕上げにかかる。相手は死ぬ。
「……それならカッケェ……」
なんかそんなつぶやきがマフラーの下から聞こえた気がしたが、ルーキは気にせず戦場を駆けた。
※
委員長や他の教師陣がA組の生徒を率いて現れた時、ルーキたちはすっかり平穏を取り戻した農場前で、地べたに座り込んでいた。
「これは……」
援軍である彼らは、目の前の光景に言葉を失う。
農家の人々によって回収されたボアドッグの屍の山。その数は今もなお増え続けている。
「ルーキ君」
「ああ、委員長。何とか撃退した。こっちは全員無事。ほぼ軽傷だ」
「そうですか。お疲れ様です」
リズは労うように――あるいはどこか満足げに――微笑みを浮かべた。
「こ、これ、おまえらがやったのか?」
戸惑うような声が耳をかすめて目をやれば、休んでいるユーゴたちへ、A組の生徒が話しかけている。
同じ訓練生ながらどこか小奇麗に見えるA組の生徒に対し、ユーゴたちは土汚れと返り血ですっかり汚れきっていた。だがどちらが美しいかと言えば、きっと誰に聞いても同じだっただろう。
「そうだ。何かおかしいか?」
ユーゴはクールにそう言い放ち、対してA組の生徒たちはただ戸惑いの顔を見合わせた。
ボアドッグの駆除はAクラスも行う。しかしこの規模との戦闘は間違いなく経験していないはずだった。それでもこれがどれほどの激闘か、わからない訓練生はいない。
「チッ、せっかく来たのに無駄足じゃねえか……」
それだけしか言い返せず、彼らはそそくさと離れていった。
ユーゴとクラムセルとヴァシリーが、顔を見合わせて密かにほくそ笑むのが、ルーキからは見えていた。
「おい、とんでもない大活躍じゃないかおまえら! 実技に思いっきり加点しとくから期待しとけよ!」
一人、子どものようにはしゃいで生徒たちを労うボルトルソンの姿がある。
教え子の活躍を誰よりも喜べる。それこそが教える側にとって最大の名誉であることを知る教師の鑑。生徒たちも、まるで一戦終えた戦士のような顔をほころばせる。
「これだけ倒せばどんだけの肉が取れるか……。B組は特別にしばらく食堂で肉食い放題だ!」
『っしゃー!!』
どこまでも素朴な声が拳と共に上がり、真っ青に晴れた空に染み込んでいった。
不運な戦いが逞しい一門を育てるのだ。