第七走 ガバ勢と訓練生日記
ルーキの臨時講師としての出番はすぐにやって来た。
カリキュラムでいうと二限目にあたる野外訓練。
場所は、街外れの山の裾野に作られた特製アスレチックコースだ。
〈サスケース〉と呼ばれる全長一キロにも及ぶ自然の地形を利用した訓練所は、円形に近いルートを持ち、急な坂道、崖昇り、ロープを使っての登攀などなど様々な関門によって、生徒の体力作りと野山の踏破法の学習に貢献してくれる。
「タイムは気にするな! ベストを尽くせば勝手についてくる! それより目の前の課題に集中だ!」
ルーキは各アスレチックポイントを見て回りながら、生徒たちにそう声がけをしていた。
タイムは気にするな。その一言を聞くと、訓練生たちは大抵驚いた顔をする。
RTAはスピードを競うもの。訓練中でさえタイマーは動いている。それを無視しろとは? けれども彼らは反論一つ寄越さず、それに従いひたむきに走った。
(何か、やけに聞き分けがいいな……)
普段のやり方と違う、ともんくの一つくらい言われるかと思ったが。
この訓練に出かける時も、妙に皆素直というか、何か若干畏れられているような気がした。こちらは走者とはいえまだまだ新人の部類なのだから、そこまで緊張しなくてもいいのに。
そんな中、ルーキは機敏に障害を突破していく人影を見る。
先頭を競うように駆けていく二人の名前は確か、ユーゴとヴァシリー。
ボルトルソンからもらった名簿によると、身体能力に関してはB組でも上位。ただ、座学が苦手なのと、動きにムラがありすぎるのが原因でA組入りはならなかったようだ。それでもクラスメイトからは一目置かれており、頼りにされているらしい。
「イイゾ~、ユーゴ、ヴァシリー!」
ルーキが声をかけると、ユーゴはちらとこちらを一瞥しただけで走り去り、ヴァシリーは「プロージット!」と何事かを叫び返して駆けていった。
別のところも見て回る。苦戦している生徒も多いが、みんな真面目に取り組んでいる。ルーキもかつては同じだった。体の動きがなってなかったのだ。この手の動きが逆に得意になったのは、ロコからグラップルクローを譲り受けてから。ようやく自分の目指すところに気づいたように、考えて動けるようになったのだ。
と。
一つのアスレチックの手前で、石の上に腰かけている訓練生がいた。
妙に色素の薄い少女、名前はクラムセル。名簿によるとステータスは魔力志向、体力的には要努力といったところ。パーティではユーゴとヴァシリーと組むことが多い。座学の成績は上位。
「クラムセル。どうした?」
ルーキが近づいていくと、クラムセルは本に落としていた目をこちらに向けた。
「あら先生。休憩中よ」
この〈サスケース〉による訓練は実に十周にも及ぶ長丁場、持久戦だ。途中の休憩は自由。その見極めも訓練課題の一つなのだが、そういった体力配分について、訓練生時代のルーキは気にしている余裕はなかった。動けなくなるまで走って、そうしたら休憩。
しかし、今日の二限目はまだ始まったばかり。休むには少しばかり早い。
本人のどこか気だるげな空気から、早くもサボリかと勘繰ってしまうところだが……静かに読書に戻ったクラムセルのあちこち土汚れと擦り傷があり、長い髪の一本がうっすら汗ばんだ頬に張りついているのをルーキは見逃さなかった。
彼女が立ち止まっているアスレチックを見る。
崖を素手でよじ登っていく、体力勝負の課題だ。
大方の生徒は実力と根性で突破していっているが、彼女にはそれが難しかったらしい。
ルーキはクラムセルの成績表を見る。〈サスケース〉の評価は、最悪の「不可」。特にこの崖昇りで毎回つっかえている。
「他の訓練生のやり方を見ないのか?」
ルーキは不思議に思ってたずねた。
この崖は自然物に見えて人の手が入っており、その日によって使える出っ張りが違う。難易度もきっちり調整されており、難しいがタイムが早いルートと、比較的易しくタイムが遅いというルートが設定されている。その他はダミーという引っ掛けも。
まずはそのルートを見つけるところからだが、それは他人のやり方を見ればすぐにわかることだった。なのに彼女の目は本の中に落ちたきり戻ってこない。
「ズルしたら自分のためにならないわ」
素っ気なく、クラムセルはそう返してきた。
ルーキは意外に思った。一見、要領よくやるタイプのようで、向き合い方はかなり実直だ。
「向上心があるんだな。けどな」
ルーキは言った。
「RTA本番ではズルしていいんだぞ」
「えっ」
虚を突かれたような顔で、クラムセルがこちらを見た。
「本走で自分よりも上手くやってるヤツがいたら、走者はすぐにそれを真似する。タイムが早くなるなら犯罪以外は何でもするのが走者ってものだ。朝、学校は土作りと言ったな。あれはプロになってからも変わらない。完成なんてない。ガチ勢だってあらゆる場所から“正解”を取り入れて自分のものにしてる」
「でもこれは訓練でしょう? 簡単に正解がわかったら意味ないわ」
頑なにそう言い返してくる。
「先に答えを知ってから、そこにたどり着くまでの方法を考えるのでもいい。上手くいったパターンを分解して、理解するんだ。そうすりゃ、次からはそのパーツを当てはめて解決策が探せる。答えがわかってからも学習は続くんだぜ」
「……もし、本番でそれでも正解が見つからなかったら、先生はどうするの?」
ルーキは返事の代わりにグラップルクローを崖の上へと放った。
ちょうどネズミ返しのようになっている場所で、人力では登れないところだが、ルーキはかつて川蝉姉貴に教わった技術であっさりと昇り切る。
クラムセルは目を丸くした。
「その時は仲間を頼れ。誰かが何かしらの手がかりを持ってる」
訓練生にありがちな考え方に、RTAは個々の力でするものだ、というのがある。
学校の成績は一人一人に付くものだから、パーティプレイというのがイマイチしっくり来ないのもわかる。しかしRTAは結果がすべて。仲間を頼り、チャートを頼り、道具に頼り、運を父に祈る。そうしてすべてを使い切って完走に届かせるものなのだ。
今、運動が苦手そうな訓練生が一人、どうにか簡単なコースを見つけ出し、そこを登っていった。クラムセルはじっとそれを見ていた。不意にこちらを見上げてニンマリと笑う。
「だったら、ここで先生に上まで運んでいってもらうのが一番楽よね」
「卒業して現地で会ったら、その時は喜んで手伝うよ」
「フフ……ズルい人」
クラムセルは本をコートにしまい込むと、前の生徒と同じコースを、危なっかしい動きで登っていった。
※
午前の講義を終え、昼休みになった。
ルーキたちはとっくに学校へと戻ってきており、待ちに待った昼食を堪能する。
はずが。
「えぇ!? 講師って食堂使えねえの!?」
学校の廊下でその事実をリズから知らされ、ルーキは愕然とした。
「あそこは生徒たちの場所で予算もそのためのものですから、教師陣は自前ですよ。もしかして、お弁当持って来なかったんですか?」
「うっ……。じゃ、じゃあ購買部で何か……」
「あそこは昼休みになった瞬間、焼きそばパンRTAの始まりだったでしょう。今頃はもうコッペパンしか残ってないんじゃないですか?」
「オォン……コッペパンはイヤだぁ……」
中身スカスカの安っぽいコッペパンは、訓練生の間では敗者の証なのだ。あれのせいでクラスの嫌味なヤツから何度バカにされたことか……。
と。そんな悩めるルーキの耳に、奇妙なざわめきが飛び込んできた。
そちらにつと目を向けてみれば、昼休みの活気に沸く廊下を、驚きと好奇の目を引き連れて一人の少女が歩いてくる。どよめきの渦中にあって努めて平静かつ澄ました顔をしている彼女は――。
「ファッ!? ユメミクサ!?」
ルーキは仰天してその名を叫んでいた。
シックなメイド服に身を包み、楽器の弦のように背筋をぴんと伸ばした少女、ユメミクサ。
「メ、メイドさんだと……」
「何でここにメイドさんがいんだよ……!?」
「ご、ご主人様は誰だ……?」
本来訓練学校にいるはずのない存在に、生徒たち――特に男子諸君も色めき立っている。
そんなざわめきを一身に引き受け、しかし眉一つ動かさずに平然とする彼女は、やがて驚きのあまり固まるルーキの前で静かに足を止めた。
「ルーキ。お弁当を届けに来ました」
顔にかかった後れ毛を直しつつのその一言で、廊下はさらなる騒乱に包まれる。
「ルーキ先生!?」
「オイオイオイ、あの先生マジでなんなん!?」
しかし――その気持ちはある意味ルーキも同じだった。
「な、何やってんのサクラ……?」
なぜかメイド服で現れたサクラに、小声で問いかける。
そう。このユメミクサというのは、ニンジャのサクラが仕事のために変装した姿なのだ。しかし、図鑑に載ってそうなほどにピシッとした姿勢、常に主人を立てるような伏し目、低く抑えた落ち着いた口調などなど、はっきり言って本物の――しかもかなり上流階級勤めの本職にしか見えない。
「ルーキ。女の子の名前を呼び違えるのは一番やってはいけないことだと、何度もお伝えしましたよね?」
今もこうして他人行儀にぴしゃりと言われ、廊下のざわめきがもう一段階増す。
「女子の名前を何度も――だと?」
「うわサイテー」
「こんなことが許されてええんか……?」
ルーキは焦った。特別講師初日から謂れのない悪評がついてはたまらない。
「と、とにかくこっちへ……」
「強引ですね。いつものことですけど」
最後まで爆弾を周囲に投げつけまくるユメミクサの手を引き、中庭へとエスケープした。
訓練学校中庭――。花壇やベンチなどがあり、どこも野暮ったくボロっちい学校敷地内では唯一憩いの場と呼べる場所だ。木陰なんかも多く、外で昼を食べるのにここを選ぶ生徒も少なくない。
「はいルーキ。お弁当です」
「おお、ありがとナス! これは本当に嬉しいんだけど……」
その木陰の一つに、ルーキとリズ、そしてユメミクサは収まっていた。
「普通にニンジャの方じゃダメだったのか……?」
受け取った弁当の確かな重みに強い感謝を抱きつつ、どうしてもその疑問だけは拭い去れなかった。
今も、メイドさんの存在に気づいた昼食中の生徒たちが、こちらを見て何やらひそひそ話し合っている。これは……面倒なことに……なりそうだ。
「TPOを弁えただけです。それより、いかがですか。お二人の首尾は」
言葉遣いどころか声音まで完璧な一メイド少女になりきり、ユメミクサが聞いてくる。芝生の上に一人用のレジャーシートを敷いた彼女は、ちゃっかり自分の弁当も持参し、昼食をご一緒する気満々だ。
まあつまりは……心配で様子を見に来てくれたのだ。サクラは。
それじゃあたとえクッソ激烈に目立つメイドさんの格好であっても追い返すわけにはいかない。
「まだ何とも言えないけど、生徒とは普通にコミュニケーションが取れてると思う」
「わたしの方も優秀な生徒ばかりですから、特に問題はなさそうですね」
ルーキとリズは、互いにひとまず無難なスタートが切れたことに安堵の笑みを交わした。
「偉そうな上から目線になっちまうけどよ、やっぱ、訓練生時代と走者って違うな。訓練生はどうしても成績のことで頭がいっぱいで、どこかの視点がすっぽり抜けてることが多い」
自分もそうだったとの戒めを滲ませつつ、弁当箱からオクトパス型ウインナーを取り出し頂戴する。うまあじ。
「今、基礎をゼロから作り上げているところだから、穴があるのは仕方ないです。逆に言えば、穴だと思えるほど他のところができていると考えるべきでしょう」
リズも持参のサンドイッチを行儀よくかじった。
多分、ベテラン勢から見たら、今の自分たちもまだまだ歯抜けなのだろう。
けれどこうして上が下を引っ張り続けることで、全体のレベルは上がり続ける。自分たちがベテランと呼ばれる頃には、もっとすごい技術が生まれているのかもしれない。
「ああ、そうだ。ちょっと困ったことがあって、ルーキ君に聞きたかったんです」
「おっ、大丈夫か大丈夫か。せっかく二人で臨時講師をやってるんだ。わかんないことがあったらお互いをフォローしていこうぜ」
珍しく委員長からの質問とあってルーキが嬉々として対応すると、彼女はこんなことを言ってきた。
「“アレ”、どうやって鳴らしてるんです?」
「へ……? アレ?」
「あの一門が出発する時のデッデッデデデデってやつです」
思わぬことを聞かれ、ルーキはきょとんとした。
「いや……口で言ってるだけだけど……」
「そうでない時。たまに鳴ってますよね」
「え……そうだっけ。こ、こうかな……?」
デッデッデデデデ!(カーン!)
「それです。野外授業に出る時、生徒たちの景気づけに鳴らしたいんですけど」
「それはアリだな。え、でもこれ、どうやって、どこから鳴ってんだ?」
デッデッデデデデ!(カーン!)
「なんか、イクゾー! っていう気分の時に勝手に鳴ってる。委員長もやってみたら?」
「それでは……イクゾー!」
テーレッテー!
「処刑用BGMじゃん! もう勝負ついてるじゃん!」
「お、おかしいですね……」
首を傾げるリズに、ユメミクサが一言告げる。
「それならわたしも一つ知ってます」
デレデレデェェェェェェェェン!
「エンディングテーマ!? それサクラが鳴らしてたのかよ!? ていうか話が終わる! 終わっちゃう!」
「別に、いつもわたしが鳴らしているわけではありません。きっと他の誰かがやっているのでしょう」
「ふむ、仕方ありませんね……。この処刑用BGMだと生徒たちが勝ったなと思って油断してしまいそうですし、使わないことにします」
「それがいいだろうな……。なんか逆に失敗できないプレッシャーも感じそうだ。それにしても、これ、実際に鳴ってたのか。気づかなかったなー」
デッデッデデデデ!(カーン!) デデデデ!
デッデッデデデデ!(カーン!) デデデデ!
「ルーキ。うるさいです」
「ロングで使うのは卑怯ですよ」
「セ、センセンシャル……」
そんな話をしつつ、臨時講師たちの昼休みはすぎていった。
※
「おい見たかよ、あれ……」
近くの茂みからそんな三人の様子をうかがう、こちらも三人の生徒。
B組筆頭、ユーゴ、クラムセル、ヴァシリー。
「ええ。何もないところから音が鳴ったわ。注目に値するわ」
「ミステリアァス……」
二人の反応を耳にしつつ、ユーゴは他のことに気を取られていた。
学校に弁当を届けてくれるメイドさんの存在。
ルーキ先生は尻に敷かれているように見えて、しかし決して軽んじられてはいないようだ。いざという時は頼りにされる、そんな関係性――のような気がする。
(やっぱカッケェ……!)
音源を召喚できないようでは一人前のレイ一門とは呼べぬ。