第六走 ガバ勢と二年B組ルーキ先生はどう見ても呪われている
「初めまして。俺が今日から数日間、特別講師をすることになったルーキだ。十六歳、レイ一門走者です」
まずは第一印象が大事ということで、ルーキは明るく親しみのある走者を気取って挨拶した。
訓練学校は二年制で、一年生と二年生でカリキュラムが大きく違う。一年は学校の敷地内で基礎作り中心、二年は野外活動が多くを占めるため、ここにいる生徒たちとは在学時期が重なっていても顔を合わせる機会はほぼなかった。
そのための第一印象重視。あとそのためのサワヤカさ。
が、生徒たちから返ってきたのは、ぽかんとした――あるいは呆然としたような顔ばかりだった。ルーキは少し焦る。
まさかさっきの大ガバに気づかれたのか? 誤魔化しは完璧だったはず。まあいいや(一門直伝の最速切り替え)
「俺はあんまり順序立てて人にものを教えるのが得意じゃないから、最初に大事なことを伝えておくな。走者になってあちこち走って、この学校のことを振り返った時に思うことは、学校は土を作る場所だったってことだ」
――土?
教室内がざわざわと波打ち出した。
「土って、花でも育てるんですか?」
早速軽口を飛ばしてきた生徒がいる。どこの教室にもいる、教師に気楽に話しかけてくるタイプだ。こういう人物はありがたい。しかも合ってる。
「ああそうだ。ただし咲かすのは解決方法、埋めるのはトラブルの種だ」
さらに疑問符を浮かべ続ける顔たちに向かい、ルーキは説明を続けた。
「俺たちが訓練学校で学ぶ解決法は、実際のRTAでは、そのままじゃ使えない。開拓地にはそれぞれ固有のトラブルやアクシデントがあって、それが複合的に襲ってくるからだ。自分やパーティの状態に合わせたアレンジが必要になる。ここまで細かいことはチャートでもカバーされてない」
チャートをちゃーんと守れば、走者はRTAを完走できる。しかし実は、そのチャートを守ることが難しい。まるで世界がそうさせまいとするように不都合が大挙して押し寄せるのだ。
「ことあるごとに即興での対処が求められる。目の前のトラブルの種を、自分という土壌に埋めて、解決策という花を得る――。どんな花が咲くかは土の育ち方次第。未熟な花かもしれない。いや大半はそうなると思う。それでもそいつを使って戦うしかない。その時に、せめて自分と仲間の命は守れるように、みんなには今のうちにたくさん栄養を土に与えておいてほしい」
「それって、具体的にはどうすればいいんですか……?」
今度は女生徒から声が上がる。他の生徒たちも同意するようにうなずいた。
「訓練をこなすだけじゃなく、経験したことを一つ一つ気に留めておくのがいいと思う。課題をクリアできたからオッケーじゃなく、どうしてできたのかをしっかり覚えておく。そういう意味では、失敗の方が糧になる。少なくとも俺はそうだった。どうしてできないか、どうしてできるようになったかがイヤでもわかるからな。RTA本番にも、とてもクリアできそうにない問題がしょっちゅう降りかかる。けど、そういう“できねえ”時どうすりゃいいのか、失敗を克服した記憶が教えてくれるんだ」
伝わってるかな? とルーキは少し不安に思ったが、こちらを見る生徒たちの眼差しは、いつの間にか真剣なものになっていた。
大丈夫そうだ。そう思い、話を続けた。
※
みんな聞き入っていた。
特別講師が語る失敗談と、そこから生まれた経験値を。
興味ない、わけがない。
このクラスは落ちこぼれだ。日頃からAクラスの連中に蔑まれ、道を諦めて学校を辞めていくのもまずはこの教室から。
でもこのルーキという先輩は、失敗の価値こそを重視している。
学校での成功なんて何の意味もない――とまでは言っていないが、成績の振るわない自分たちにとって、経験した数々の失敗こそが、綺麗事ではなくガチのマジで本番での最後の武器になるという話は、紛れもなく希望をくれる内容だった。
なかなか良い先生なんじゃねえのか。ユーゴがそう考えた矢先だった。
(あん……?)
ふと、その異常に気付いた。
今、ルーキ先生の後ろの黒板が、動かなかったか? 気のせいか……?
直後だ。絶対に動かないものだと思っていた黒板が突然、壁から剥がれて彼の方に倒れてきたのは。クラス中が息を呑む。
「あぶ――!」
ユーゴはここまでしか言えなかった。助けに向かうなんて到底無理。
しかし、ルーキ先生は話を止めすらせずにクルリと振り返ると、両手で黒板を抑えた。
『なっ……!?』
ざわめくクラス。しかし彼は何事もなかったかのように受け止めた黒板を床に下ろし、話を続ける。……それでよお、その後が大変でさあ……。
カキーン。
校庭の方から金属バットの打撃音が聞こえた。
一年生が、俊敏に逃げ回るレアモンスターを捕まえる練習として、千本ノックをやらされているのだ。だが。
「危ない!!」
怒号にも似た警告。次の瞬間、教室の開いた窓から、剛速球が飛び込んできた。
打ち損じたボールだ。しかも完全にルーキ先生に当たるコース!
バシッ!
『なあっ……!?』
それを再び、彼はこともなげに片手で受け止めた。直前にちらと確認したようだったが、ほんの一瞬。そしてやはり、平然と話を続行する。
手の中のボールはノールックで校庭に投げ返した。が……それは窓枠に当たって教室側に落ちてしまった。笑いは起きなかった。
なんだ……この人……!?
教室は明らかに落ち着きをなくしていた。
ろくに見もしないで、背後と真横からのアクシデントに対処した。この反応速度、判断力、まともじゃない。
これが、この人の言う、失敗から得た力なのか?
生徒たちがざわつき始めたことに気づいたのか、彼は一旦話を止め、
「話が長かったか? じゃあここらで骨休めとして……それでは皆様のためにぃ~――」
『!?』
と、ここで教室の扉をノックする音。
ガラガラと引き戸を開けて顔をのぞかせたのは、緑髪に眼鏡の、見たことのない女子。
「リズ……ティーゲルセイバー……!」
思わず、という感じで、クラムセルがそう口走るのが聞こえた。
教室中の視線が彼女に一点集中する。
Aクラスに招かれた講師だと、誰もが知っていた。訓練学校始まって以来の大物――いや怪物とすら言っていいとんでもない技能者。そんな人が来るとAクラスの生徒たちが騒いでいたからだ。
「ルーキく……ゴホン、ルーキ先生。もうとっくにホームルーム時間終わってますよ」
その彼女が、ルーキ先生をやんわりと注意する。
「あっ、もうそんな時間か……」
「……? 何です? その黒板と野球のボール」
「わかんねえ。何か倒れて、飛んできた」
「まったくあなたという人は……ほら、次の授業に差し支えますから、わたしたちは教員室に戻りますよ」
「はあい。――悪い、この話の続きはまた今度。実技の時に顔出すから、またな」
そう言うと、ルーキ先生はリズ――リズ先生と一緒に、にこやかに教室を出ていった。
ユーゴは茫然としていた。
リズ・ティーゲルセイバー。自分たちの世代を代表する走者の一人。“勇者”。
そんな有名人と、あんなに親しげで気さくに話をしつつ……黒板とボールへの対処も完璧。これじゃあ最初の黒板消しの悪戯なんて一切通用しなかったに違いない。
だけど、そういう凄みは普段は隠していて……。
ユーゴは机の下でグッと拳を握った。
(カッケェ……!!)
※
「おーい、みんな! やべぇよ、やべえって!」
一限目の座学を終え、短い休憩時間。
教室に飛び込んできたクラスメイトの一人が、小学校で習った基本的な語彙すら失い「やばい」を連呼している。
「何なんだよ、騒がしいな」
席で頬杖を突くユーゴがうんざりしながら言うと、彼は話相手を見つけたとばかりに走って来て、
「Aクラスのヤツが話してるのを聞いたんだけどよ。リズ先生の話によると、あのルーキ先生ってルート〈ロングダリーナ〉走ってんだよ! んでラスボスのソーラとも戦ってる!」
ざわ……と教室がざわめいた。ユーゴも聞き捨てならない。
「〈ロングダリーナ〉って、終盤で難易度がクッソ激烈に高くなるっていう、あれか……?」
「終盤だけじゃないわ」
忽然と席の横に立っていたのはクラムセルだ。彼女は感情の薄い口元とは裏腹に、目に興味の微熱を宿しつつ、
「序盤にも中盤にもそれぞれ危険地帯があって、一年目の走者なんてとても先へは進めないはずよ。注目に値するわ」
「つーかソーラだよソーラ! わかってんのかおまえら!」
そっちのが重要だと、クラスメイトが口を大にして叫ぶ。
それにウムウムとうなずくのは、こちらもいつの間にか集合しているヴァシリー。
「フムゥン。現地で恐るべき破壊精霊と呼ばれるソーラは、RTAでも滅多に現れることのない最悪の脅威だと聞く。ルーキ氏は、その戦いに立ち会ったということかな?」
「あの開拓地が潰れたって話は聞かねえから、あの先生、多分、勝ってるぞ……」
「おぉ……アンビリーバブル……」
ヴァシリーは天井を仰いだ。
RTAでラスボスと戦うのは、多くの場合、トップを走っているパーティだけだ。教本にすら載っている有名RTA、ルート〈ロングダリーナ〉。当然、ガチ勢やベテランも容赦なく参加してくる。その中で、あの人はトップ集団にいた……。
いつの間にか、クラス中がユーゴの席に集まって彼の話を聞いていた。
「まだあるんだ。あの人、〈竜征大三祭〉で、まだ一度しか出現記録のねえ幻の大魔王とも戦ってるし、〈スタールッカー〉も〈十倍くえすと〉も完走してんだよ。唯一リタイアしたのが〈ダークエレメント〉だけど、タイムが出なくても結局最後まで走り通したって……」
――〈スタールッカー〉って何だ?
――〈十倍くえすと〉も聞いたことない。
生徒たちがざわめく。
「〈スタールッカー〉と〈十倍くえすと〉は、ベテランでも運ゲーになる悪路中の悪路よ……。初心者では途中で引き返すことすら難しいわ……」
博識なクラムセルがそう情報を追加し、さらに場の息を呑ませた。
「新人の成績じゃねえ。ナニモンだよ、あの先生……」
「ものすごく運がよかったとか……?」
「いやそれだけは神に誓って絶対に違うって、リズ先生が大真面目に否定してたらしい」
「それなら逆に、物凄く運がないのかもしれないわ。ねえ――」
そう告げたクラムセルが温度のない目線を周囲に振り撒き、問いかけた。
「さっき黒板が外れて、ボールが飛んできた時……先生の足元に白い犬が見えた人、いる?」
「おい、気味悪ぃこと言うな。何だよ?」
実はその手の話が苦手なユーゴは、クラムセルがふざけて変な話をしているのだと思った。が、彼女はクスクスと不穏に微笑みながら、
「何かの呪いみたいな模様のある犬が見えたわ。どうやら、何かに憑かれてるみたいね、あの先生。注目に値するわ」
『えぇ……』
クラス中が顔を引きつらせる。
あのリズ・ティーゲルセイバーに運ではないと言い切られ、何だか得体のしれない呪物にまで憑かれている。
ひょっとしてあの先生、ものすげーやべー人なんじゃないのか……?
一門「ワシらが育てた」