【1-7】一時の針
ミサと名乗る少女と分かれてからも、街中を歩いてストームを探し回った。
だが、ヤツの尻尾すらつかめぬまま、半日が経ってしまった。聞いて回っても、みんな口をそろえて『わからない』と言うのだ。
三年前からずっと犯行を繰り返しているのに、姿を見た者はいない。まるで蜃気楼を追いかけているような気分になる。
途方に暮れながら街の大通りを歩いていると、聞き覚えのある苛立った声が、雑貨店から聞こえた。
「なんだ、お前? どっか行くし!」
シシーニョ・レスシタールだ。見つかると面倒なので、早々に立ち去ろう。そう思っていると、もう一つ、しゃがれた声がした。
「おい、お前。セロの思考によれば、人から盗んだものを売りさばくことは外道の行いである」
「シッシィ! これはシシの楽器だし! 盗んだものなんかじゃないし!」
「嘘をつくな! それはマザーがセロにくれたものだ!」
そのやり取りで、だいたいの状況は察せられた。知らぬふりをして通り過ぎようかと思ったが、彼らにストームについて聞いてみるのもいいだろう。0.25は雑貨店へ入った。
「お二人さん、喧嘩しなさんな。いったい何があったんですかい?」
0.25の声に、二人はこちらを向く。シシーニョとセロだ。
「おお、0.25ではないか。また会えて嬉しいぞ」
「お前は……昨日のいけ好かない東洋人だし! 今度こそ八つ裂きにしてやるし!」
二人は正反対の反応をした。シシーニョはあふれ出る殺気を隠そうともしない。
「0.25、聞いてくれ。このレタスシールが、セロの大事なチェロを盗んで、ここで勝手に売ろうとしているんだ」
「レタスじゃねぇし! レスシタールだし!」
どうやらこの男は、常に他人とトラブルを起こすらしい。
「そいつはいけませんなぁ、レタスさん。人様に迷惑かけちゃダメですぜい?」
「うるさいし! よそ者の分際で、シシに生意気な口をきくなし!」
彼は目をひん剥いて、こちらへ銃口を向ける。
「うひっひ、困りますねぇ。銃をしまって会話できないんですかい? これじゃあ、昨夜とほとんど同じ状況だ」
「昨日と同じじゃねぇし! 今日は警察隊が来る前に、お前を地獄に送ってやるし!」
「た、頼みますから、平和に。どうか平和に解決してください……!」
カウンターの陰に身を潜めながら、店主は震えた声で言った。
「おい、レタス! 今すぐ銃を捨てるんだ!」
セロはシシーニョに向かって叫ぶ。
「シシに命令するなし、色白野郎! このままじゃ、シシの気が済まないし! こいつを殺して、この怒りを静めるし!」
困った。シシーニョは顔を赤くしていて、額から血管が浮き出ている。彼はいったいなぜ、こんなにも短気なのだろうか。
「愚か者! それは殺人に他ならない!」
「なら、お前も銃を引くし。決闘で正々堂々と勝負するし!」
「そういう問題では――」
セロの言葉を遮り、0.25は告げた。
「いいでしょう。その勝負、受けて立とうじゃないですかい」
このままでは、どのみちこの短気な男に、一方的に殺されるだけだ。ストームについて聞きたかったが、それどころではなくなった。
やはり、関わるべきではなかったようだ。さっさと終わらせよう。
「シシシ! もちろん、男に二言はないし?」
「ええ、もちろんですぜ」
「シィィィ! おもしろいし! お前なんかに、シシが負けるわけないし!」
「決まりだ。外に出ましょう」
シシーニョはチェロを置いて、外へ出て行く。
「0.25、本気か? セロの思考によれば、あいつは非常に短気だが、人を殺したりしない男だ」
彼は0.25に言い聞かせるように言った。それは銃口を向けられて、彼に逆らおうとする人間がいないだけだろう。シシーニョには帝国の後ろ盾があるので、誰もが下手に手出しできないのだ。
「しかし、あっしにはモットーってもんがありましてねぇ……」
「おい、早くやるし! まさか怖じ気づいたしぃ?」
店の外から、シシーニョの声がした。
「こいつは失敬。今、行きますぜ!」
0.25も店の外へ出る。
大通りの石畳に立って対峙する、二人の男。その間には二十メートルほど距離があった。
「あの時計が一時を指したら、開始の合図ってことにしましょうぜ」
時計台を指さしながら、シシーニョの方へ叫ぶ。
今は十二時五十五分だ。一時になれば鐘の音が鳴るだろう。
「シッシシ! ということは、お前の命もあと五分で終わりだし! 哀れだし!」
待ちきれないといった様子で、彼は笑う。緊張感のない男だ。
「お前たち、どうして殺し合うんだ? そんなことをして何の意味がある?」
セロはうつむいて、ぶつぶつと呟いている。目元はシルクハットに隠れて見えない。
0.25とシシーニョは、互いににらみ合う。
「残り一分だし! 逃げるなら今のうちだし?」
相変わらず、彼には余裕がある。
気づくと、周囲には観戦者たちが集まっていた。
「シシさん! 華麗にぶっ放してください! あなたの武勇伝が増えれば、娘さんもきっと喜ぶでしょう!」
「そうです! お嬢に自慢してやりましょうぞ!」
彼の手下たちも応援に駆けつけたようだ。こんな男にも娘がいるらしい。聞きたくもない話を聞いてしまった。
三十秒を切ると、ニヤニヤと笑っていたシシーニョは、真顔になって0.25に尋ねる。
「お、お前、本当に逃げないんだし?」
「……」
0.25は答えず、目を閉じて集中している。
残り十五秒を切ったところで騒ぎは収まる。静けさの中にも、人々の鼓動、風のふく音、遠くの時計台の音。さまざまな小さな音が響いていた。
残り十秒になると、0.25は深呼吸した。何も考える必要はない。ただ腰のホルスターにある拳銃を引き抜き、撃つだけでいい。今まで何度もやってきた簡単な作業だ。
残り三秒。
二秒。
一。
鐘の音と同時に、一発の銃声が響いた。周りの人々は身動きせずに固まっている。
シシーニョはまだ銃を引き抜いてすらいない。
彼は静かに倒れた。
勝者の男は火薬の煙が出る銃口に、そっと息を吹きかける。
そして、腰のベルトのホルスターに銃を直した。
その様子を見て、ある者がつぶやいた。
「俺、知り合いの旅人から聞いたことがある……。目にもとまらぬ早撃ちができる、化け物みたいな野郎がいるって……」
「ありえねぇ……、そんなの与太話だ……」
「その与太話が、今目の前で起こっただろう? その男が銃を引き抜く速度は、約0.25秒だって話だ……」
閑散とした大通りには、一つの血だまりができていた。
ほどなくして、警察官がやってきた。昨日、酒場に乗り込んできたマッチョな人だ。今日は馬に乗っていない。
「あらあら、白昼堂々と元気だこと……。昨日の今日で、坊やたちは本当にどうしようもないですわね」
「おい、警察官! そいつを逮捕しろ! そいつはシシさんを殺しやがったんだ!」
彼の手下は警察官に向かって怒鳴った。
「正統な決闘は、この国でも合法って聞いてますがねぇ?」
それに勝負を持ち掛けたのは向こうだ。
「よく知っていますのね。その通りですわ」
「ふざけるな! 人殺しを擁護するつもりか! シシさんには一人娘もいるんだぞ!?」
反発の声は静まらない。
「物わかりの悪い坊やたちね。その小さな脳細胞を粉砕してあげましょうか?」
警察官ににらまれて、彼らは黙るしかない。彼らはこわばった表情で、0.25の方をにらんでいた。
「この決闘においては、何の問題もないですわ。むしろマカローニのウジ虫が消えてくれて、わたくしはとてもすがすがしい気分。皆さんもそう思わなくって?」
周りの国民たちに警察官は問いかける。国民たちは、口にこそしないが「確かにそうだ」と言いたげに、無言でうなずいていた。
シシーニョの仲間たちとセロを除いて。
「レスシタール警備団体は彼の死を持って、瓦解していくでしょう。これからはわたくしたち帝国人がマカローニの治安を守っていきますわ」
それに呼応するように、人々は黙って拍手をし始める。彼らの表情は笑っていない。
警察官は心底嬉しそうに両手を広げた。警察隊がまともに機能していたなら、治安は悪くなっていないはずだ。この国の総督はいったい何を考えているのだろうか。
「……狂っている。みんな、おかしい……」
横に立っているセロがつぶやいた。
「そうですねぇ……」
「お前だってそうだ。セロのチェロのために、どうして……」
彼は0.25の方を向いて問いかけた。
「勘違いしなさんな。別にあんたは関係ねぇ」
セロを助けるために、引き金を引いたのではない。
「なら、どうして決闘なんかしたんだ! 法で許されているなんて関係ない。人殺しは大罪だ!」
セロはしゃがれた声で、0.25を咎めた。その表情はシルクハットに隠れて見えないが、彼の怒りと嘆きが伝わってくる。
「……銃口を向けてくる相手に容赦はしない。それがあっしのモットーなもんで」
生きるためには、人殺しは避けられない。世界には、マカローニよりも治安の悪い国だってある。引き金を引くのをためらった者から死んでゆくのだ。
「それでも人が人を殺してはいけないのだ……」
その言葉を残して、彼は立ち去っていく。
セロは正しい。だが、0.25は彼のように生きられなかった。
「あらあら、あの子はずいぶんとウブな坊やですのね。あんな様子じゃあ、この国で生きていけなくってよ」
警察官は腕を組みながら、0.25の横に立っていた。
「そうですねぇ。でも、憧れちまいます。あんな風にまっすぐ綺麗に生きられたら、どんなにいいか……」
生きるために人を殺す。それは言い訳に過ぎず、人を殺した事実は変わらない。その事実に目を背けないセロが、とても強く思えた。
「人の心はいつか穢れていくもの。気にしてはいけないですわ」
柔らかな声で彼は言う。
「違いねぇ」
「さて、坊やに来てほしい場所があるのですけど、どうですの? もしかしたらストームに会えるかもしれなくってよ?」
警察官は不適な笑みを浮かべる。
「どういう意味で? あんたはストームと知り合いなんですかい?」
「おほほ、ついてきたら分かりますわ」
彼は歩き出す。どこへ行くのかは分からないが、彼についていかない選択肢はなかった。