【1-5】馬を追いかけて
散らかった店内の掃除を手伝ってから、サルーンを出た。
街にはほとんど人の気配がしない。夜になったことで、気温が急激に下がり、冷たい風が吹くようになった。夜の空にも、相変わらず暗い灰色の雲が覆っている。
「ねえ……」
案内人は眠たそうに、瞼をこすりながら言う。彼女はあの騒動の中でも、ずっと我関せずといった態度だった。そんな彼女がした質問が意外だった。
「アカサカって……どんな人?」
0.25は少し間を置いてから答えた。
「実を言うと、あっしも直接会ったことはなくてねぇ」
「嘘……じゃあ、会ったこともない人を探しているの?」
「いろいろとありましてね。あっしは絶対に彼と会わなければならない。会わなければならなかった……」
もう会うことも叶わないのかもしれない。だとしたら、あまりにも悲しい。
「……ふーん、変なの」
彼女は何やら顎に手を当てて、考え込んでいた。
「夜も遅い。案内人さん、あっしが家までお送り――」
言いかけたとき、車輪の音が耳に入った。
続いて、馬のいななきが聞こえた。馬車がこちらへ勢いよく走ってくる! 案内人はうつむいたままで、気づいていない。
「危ねぇ!」
0.25は急いで彼女をこちらに引き寄せる。爆走する馬車はすれすれで彼女の背中を通り過ぎた。
幸い、案内人に怪我はないようだ。後から、馬車の所有者と思われる男が、息切れしながら走ってきた。
「あれはあんたのですかい?」
「……はぁはぁ、そう、なんだ……。頼むから、あれを、捕まえてくれ……」
彼は御者なのかもしれない。商売道具は命の次に大事なものだ。
「わかりました。とりあえず、そこで休まれるがよろしいかと」
0.25は走り出す。
一文無しなので、体がとても軽い。鳥にでもなった気分だ。
建物の外壁についている梯子から、屋上へと上る。
そして、建物から隣の建物へと跳躍する。建物の高さが均一で、密接しているので、飛び移りやすい。暗い夜の街は街灯の光だけが頼りだ。ほどなくして、爆走する馬車に追いついた。
二階建ての建物の屋根から、馬車の荷台へと飛び移る。
ドスンと大きな音を立て、足に強い衝撃が走る。荷台に積まれた、穀物などを入れた袋が、衝撃を緩和してくれた。そこから暴走する馬の上に乗り、やさしくなでる。
「落ち着きなせぇ。もうおやすみの時間だ」
その声に従うように、馬は少しずつ減速していく。広場に出たところで停止した。
0.25は馬をUターンさせて、来た道へと戻る。
低速でしばらく走らせていると、持ち主が今にも倒れそうに、ふらふらと走ってくるのが見えた。続いて、その後ろから案内人も歩いてくる。
「よかっ、たぁ……」
落ち着きを取り戻した馬を見て、持ち主の男はその場に座り込む。0.25は乗っていた馬から降りた。
「人の少ない夜でよかった。けが人はいないようですねぇ。もちろん、こいつも無事です」
「すべてあなたのおかげです……このご恩をどうお返しすればいいものやら」
彼は何度も頭を下げた。
「うひっひ、気になさんな。いつか酒でもおごってくだせぇ。それより、どうしてこいつは暴走していたんですかい?」
「レスシタールの連中に突っかかられてしまって。脅迫のために奴らが銃を撃ったから、馬がおびえてしまって……」
おそらく、シシーニョたちだろう。よく見ると、男の顔にはあざがある。本当に暴力的な男だ。
「あんたも災難でしたねぇ」
「なんだか、いつにも増して荒れていました。今日は運がない……。でも、あなたがいてくれたことはラッキーでした」
「そうですかい。なら、今日はゆっくり休まれるがよろしい」
再び何度も礼をして、男は馬車に乗って去った。
0.25と案内人だけが静かな街道に残る。彼女は不思議そうな目でこちらを見ていた。
「どうして……?」
独り言のような、小さなつぶやきだった。
「はて、何かおかしなことでも?」
「どうして……人を助けるの……?」
答えに詰まった。ずいぶんと変わった質問だ。
「そうですねぇ……特に理由はありません。ただ、自分のためにしただけですから」
「助けることが……自分のため?」
彼女はゆっくりと首を傾げた。
「困っている人を放っておけない、そんな聖人だったらカッコもついたんですがねぇ……。あっしの人助けは、自分の中の罪悪感を減らすためです」
「罪悪感……ふーん、変なの……」
案内人は単調な声で言った。
0.25は世界中を旅する中で、紛争や犯罪に巻き込まれた。そこで、生き残るために何人も殺した。
だから、意識的に人を救う。心に重くのしかかっているものが、少しでも軽くなるように。半分の半分だけでも、優しさを他人に分けるのだ。
彼女は巾着袋を手渡した。僅かながら重くなっていた。中身が増えているようだ。
「これは、あなたのお金ですかい?」
「……代金は、返す」
その言葉を最後に、案内人は立ち去る。彼女は案内代の五ゴールドを返してくれた。最後までよくわからない人だった。