【5-5】嵐の終わり
二、三時間ほど経過したところで、案内人は地上に出て、慎重に状況を確認する。人の気配はない。
入り口付近まで行くと、床が赤く染まっていた。
そして、柱にはリオンがもたれかかって動かなくなっていた。現実感のない光景に、案内人は立ち尽くした。まさか、あのリオン・キャニオンが死ぬなんて。戦争時代から、リオンは化け物と謳われていた。彼が誰かに殺されるなど、想像もつかなかった。
おそらく病が足を引っ張ったのだろう。だから、本来の実力を発揮できずに、負けてしまった。
リオンにはとても感謝していた。何の取り柄もない案内人を、仲間として組織に入れてくれ、住む場所まで与えてくれたのだから。その礼を、生きていた彼に言っておけばよかった。
案内人はリオンのコケた白い頬にそっと触れる。
「……ありがとう。……さようなら」
動かぬ彼へ小さな声で告げて、外へ出た。
廃工場の前に、男たちが五人ほど群がっていた。おそらく警察隊だ。
最も体格のいい男が、案内人に近づいてきて、話しかけてきた。
「あら、お嬢さん。夜中にこんな場所にいては、危ないですのよ。この工場、中に死体でも転がっていそうですわ。おほほ!」
筋肉質な警察官は、口に手を当てて笑った。ずいぶんと明るい雰囲気の警察官だ。
「あなたたちが……殺したの?」
こんな時間に、ここに警察隊がいることも偶然ではない気がする。まるで、廃工場から誰かが出てくるのを待っていたかのようだ。
「おほほ! 何のことかしら? わたくしたちは誰も殺したりしていませんわよ?」
「それなら……どうしてここに……?」
「かの有名なリオン・キャニオンがここで野垂れ死んでいると、部下から連絡を受けましたの」
「あの人は、誰かに殺された……」
単に病死しただけならば、あんなに大量の血を流すわけがない。
それに、彼の体にはいくつかの銃創があった。明らかに他殺だ。
「ええ、知っていますわ。幸いなことに、犯人が誰かは検討がついていますの」
「誰?」
「ストームですわ」
警察官は間髪入れずに答えた。
最近、首都で有名になっている正体不明の殺人鬼だ。ここに来て、先ほどリオンも殺したらしい。
「それより、お聞きしたいのは、リオンが隠し持っていたお宝についてですの」
「……お宝?」
「リオンのお仲間なら、知っているはずですわ。ビバタイトの人形が、ここにあるのではなくて?」
あのゼンマイ人形のことだ。詳しいことは知らないが、あれはまだ未完成のはず。
「自分は……知らない」
「あらあら、とぼけるんですの? 素直に白状なさいな。どうせ、すぐに見つかるんですから」
「知らない……勝手に探せば……?」
廃工場の方を向いて、案内人は言った。
「探して、見つからないから、あなたに聞いているんですの。そもそも、あなたはどこから現れたんですの? わたくしたちは先ほどまでこの中にいましたのに、あなたとはお会いしなかった。妙ですわね」
彼は案内人をまじまじと見つめる。
「……自分は、存在が希薄だから……」
「わたくしたちがあなたに気づかなかったとでも? バカバカしいですわ。この工場、何かありますわね」
彼は疑いの念を解こうとしない。
もう一度探されたら、地下室も見つかってしまう恐れがある。そして、あの人形が帝国人の手に渡ってしまうのは、あまりよくないはずだ。
だが、彼らがこのまま帰ってくれることもないだろう。
「……探したければ、勝手に探せばいい」
「このままシラを切るつもりなら、容赦しませんわよ? あなたの頭蓋骨を粉砕して差し上げますわ」
警察官は大きな拳を握りしめる。白状しなければ暴力を行使するようだ。
彼の後ろには、他の四人の警察官が見える。逃げるという選択肢は取れなさそうだ。
「……」
「さあ早く教えてくださいな。ビバタイトはどこにありますの?」
「……そんなもの本当にない……。あったとしても、自分は知らない……」
案内人は否定した。
「なら、あなたは今までどこに隠れていたんですの?」
「それは……」
言いかけて、案内人は口をつぐんだ。
「早く教えてくださいまし。わたくしたちも暇ではないんですの」
これ以上、誤魔化すことはできなさそうだ。彼は、この場所に秘密があると確信している。
「……分かった」
案内人は頷かざるを得なかった。
警察官を地下室まで案内する。
他の警察官たちはリオンの亡骸を回収するようだ。追い詰められたとき、人は重要なものを飲み込んで隠すことがある。そのため、持ち帰って解剖するらしい。
案内人は地下室の入り口であるコンクリートの床を開けた。
「こんな狭苦しいところに隠れていましたの。リオンもここに?」
「そう……。前のアジトが使えなくなってからは、ここにいた」
案内人は先に地下室へと入り、ランタンの明かりをつける。
続いて、警察官も降りてきた。
「ずいぶんと生活感のない場所ですのね。それで、肝心の人形はどこですの……?」
地下室には、木箱の簡易ベッドと古びた机。そして、室内を照らすランタン。それ以外には何もなかった。警察官の巨体がこの狭い地下室に入ると、ほとんど身動きがとれない。
「……自分は知らない。さっきから、そう言っている……」
「まだ、とぼけるんですの? 何か隠しているのではなくて?」
彼は部屋の中を荒らしまわった。ベッドと机をひっくり返し、壁をペタペタと触っている。
しかし、彼が何かを見つけることはなかった。
「妙ですわね。ここに人形を隠していてもおかしくないですのに」
「……リオンはここに来ただけ。メガネの人と」
「メガネの人?」
「……東洋人の青年がここにいたの……」
アカサカ・コゴロウは、いったいどこへ行ったのだろうか。
少なくとも、廃工場内には彼の姿はなかった。
「その坊やは、リオンのお仲間? わたくしたちは見かけませんでしたわ」
彼も見ていないらしい。警察隊が来て、遠くへ逃げたのかもしれない。
案内人はため息をついた。なぜか安心してしまう。彼が生きていようが、死んでいようが、どうでもいいことのはずなのに。
そうこうしていると、上から声が聞こえた。
「ミスター・アレス。少しよろしいですか?」
上にいた警察官が地下室をのぞき込んでいる。
「何か見つかって?」
「工場の入り口にもう一つ死体が。リオンの仲間かと」
その言葉を聞いて胸騒ぎがした。
「死体? さっきまでは、そんなもの――って、ちょっと待ちなさいな!」
案内人は急いで梯子を駆け上った。
上にいる警察官を押しのけ、入り口まで急ぐ。
すると、確かに死体が入り口にあった。セーターを着た男性だ。凄惨だった。頭を撃ち抜かれ、見るに堪えない姿だった。全身は鎖で雁字搦めにされていた。
かけている割れたメガネによって、誰であるか分かった。
「メガネ……。わたくしにも見覚えがありますわ。あなたが言っていたのは、この坊やですの?」
警察官も追いついてきたようで、後ろから声をかけられた。
案内人は小さく頷いた。
「……アカサカ・コゴロウ。東洋人の……技術者」
「あら、あのリオンがそんなのを仲間にしていたなんて。ところで、口元についているこのクリーム……」
警察官はアカサカの遺体をまじまじと見つめる。
近くで見てみると、確かに口元に白いクリームがついていた。
「リコおば様ですのねぇ……! そうですの。あの女に先を越されたんですのね」
警察官は何かに気づいたようで、歯ぎしりをしながら何度も頷いていた。
「どういうこと……?」
「いえ、こっちの話ですわ。かわいそうなことに、この子もストームに殺されてしまったみたい」
「そうなの……?」
であれば、なぜアカサカは鎖に縛られていて、口元に生クリームを付けて死んでいるのだろう? 不可解だ。
「きっと、そうに違いありませんわ。夕方の神父に、リオン。今日だけで、ストームは三人もの命を奪いましたの」
「……神、父?」
震えた声で、案内人はつぶやいた。
「夕方にも、中心街の方でストームは銃殺したんですの。神父さんをね。今日の彼は、ずいぶんと活動的みたいですわ」
薬屋の前で神父を銃殺した。まさに案内人が目にした、あの光景だ。つまり、あのときの若い男がストームだったのだ。
「……ストームは、父を殺した……」
「あら、あなたのお父上でしたの?」
あの人にとっての子どもは一人だけ。薬屋の前に座っていた、気性の荒そうな青年だけだ。娘はいない。
「……違う。父、じゃない……」
「否定しなくともいいんですのよ。現実はしっかりと受け止めなくっちゃ。お父上はルシアちゃ……ではなくて、ストームに殺されてしまったんですのね」
「……違う」
あの人は赤の他人だ。
そこで死んでいる、アカサカと同じだ。悲しむ必要も、憎む必要もないのに、心がざわつく。
「リオンを殺され、お仲間を殺され、お父上まで殺された。なんて、おもしろい――じゃなくて、あなたにとって、なんて不幸な一日なんでしょう!」
嘆くように、彼は言った。
「……違う」
案内人は首を横に振った。
「このままで済ませていいんですの? ストームはこれからも殺し続けますわ。また、あなたの大切な人の命が、彼に奪われてしまうかもしれないんですのよ?」
「……自分にとって、大切な人なんて……いない」
今日、ストームに殺された三人だってそうだ。案内人にとって、自分以外はどうでもいいのだ。
「なら、ストームをこのまま野放しにしておいていいんですの? あんな悪人に好き勝手させていいんですの?」
警察官は案内人を責めるように言った。
だが、案内人にはどうにもできない。アカサカはストームに会ったら、人殺しをやめさせると言っていた。
『人を殺したり、傷つけるような悪人がいなくなったら、みんなが笑っていられる素晴らしい世の中になると思うんです。そんな世界、あったらいいと思いませんか?』
彼が言っていたことを思い出す。ストームがいなくなったら、このマカローニも、少しは彼の望んだ場所に近づくかもしれない。
「よくは……ない」
「そう! よくはないんですわ! ストームは、この国から排除しないといけませんわよね?」
警察官は大げさに賛同してきた。
「でも、自分じゃ……勝てない……」
「大丈夫ですのよ。わたくしが協力してあげますから」
警察官はそのごつい手を、案内人の小さな肩に置いた。
「あなたが……?」
「そうですわ。それに、わたくしはストームの正体に心当たりがあるんですの。一緒に彼を探し出して、いじめ……じゃなくて、やっつけてやりましょう!」
警察官はムキムキの腕を曲げる。
「でも……」
「それが贖罪になりますわ。あなたがストームを殺してくれるなら、あなたとリオンのつながりはなかったことにしましょう」
ストームを殺せば、すべて見逃してくれるみたいだ。そこまで言われたら、頷くしかなかった。
殺人鬼・ストームを見つけたのは、夜明け頃だった。昨日の夕方に見た、顔立ちの整った若い男が、悠々と街を歩いていた。
事は早く済んだ。逃げようとしたストームの背中に、案内人は何度もナイフを刺した。何度も何度も。ただ、ひたすらに。彼に殺されたアカサカたちの顔を思い出しながら。
すぐに彼は動かなくなった。
「ブラボーですの! あなたはみごと復讐を果たしましたわ!」
警察官は大きな両手をたたく。
「……復讐じゃない。自分の罪を……帳消しにするため」
「どっちでもいいですわ。これでストームはいなくなったんですもの。とっても楽しいショーを見物できましたし。時機に、あなたには賞金が贈られるでしょう」
「いらない。自分を見逃してくれるだけで……いい」
「あら、謙虚ですのね。ストームには、それなりの額がかかっていましたのに」
「目立ちたくないから……」
案内人がストームを倒したと知られれば、新たな危険が及ぶ。賞金稼ぎは、金に飢えた人間に狙われやすい。
これですべて元通り。また、あそこに住み、無感動な毎日を繰り返すのだ。案内人は帰路についた。
廃工場には、誰もいなかった。リオンの亡骸はすでに回収されており、乾いた血がコンクリートの床に残っていた。
案内人は地下室へと下り、警察官に荒らされた部屋を片付けた。
元通りの状態にした後、一旦地上に出て、“いつもの方の地下室”へ向かった。
この廃工場にある地下室は二か所ある。
一つは案内人がいつも生活している場所。もう一つは、木箱のベッドと机、小さなランタンが置かれているだけの狭い部屋だ。
警察官が荒らしまわった部屋は後者の方だ。
ほとんど使っていなかったが、リオンが使いたいと言い出したので、簡単に掃除した。そのおかげで、ゼンマイ人形がある方の地下室が警察官にバレずに済んだ。
人形は守れたが、リオンもアカサカもいなくなってしまった。彼らは人形の完成を渇望していたのに。
難しいことはよくわからないが、案内人もこの人形を完成させてみたいと思った。これが完成しないと、リオンやアカサカの苦労はすべて無駄になってしまう。案内人はそれが嫌だった。
それに、この人形が完成すれば、マカローニを変えることができるかもしれない。




