【1-4】サルーンにて
時計台の鐘が、七回鳴った頃。
0.25と案内人は、時計屋の店員が言っていたサルーンへと赴いた。
木製の回転扉を開き、中へ入ると、酒の匂いが鼻を突く。店内は、昼間の街の静けさが嘘のように賑わっていた。酒を飲みながらポーカーに興じる人もいれば、ピアノの伴奏に合わせて踊る客もいる。
「どの国でも、酒場は民のオアシスですねぇ?」
「……うるさいから、好きじゃない」
うんざりといった声で、案内人はフードの上から耳をふさぐ。それでも、他の国のサルーンに比べれば、ずいぶんと控えめな方だ。他国のサルーンでは、まともに会話できないほど騒がしい。
案内人はスタスタとカウンターの方へ歩いて行く。0.25も彼女の背中を追った。席に座って、ビールをマスターに注文した。座りながら手のひらを上に向けて、全身をゆっくりと伸ばす。
「ふむふむ、お疲れの様子ですね」
明るい声でマスターが言った。若い青年だ。無地のシャツを着ていて、頭に赤いバンダナを巻いている。
「ええ。今日、マカローニに着いたばかりでして」
「そちらの方も?」
案内人の方を向いて、マスターは言った。
「……」
当人は聞いていないようで、淡々とお冷を飲んでいる。横には山盛りのポテトフライが置かれていた。
「彼女は案内人さんです」
「なるほど。そんな仕事があるんですね。ふむふむ、初めて知りました」
マスターは何度も頷いた。案内人の商売相手は、0.25のような外から来た人なので、民衆にはあまりなじみのない職業だろう。
「ところで、マスター。あんたに訊きたいことがある」
「どうぞ、どうぞ。なんでも訊いてください」
ビールを差し出しながら、マスターはニコニコと笑う。
「ストームって知っていますかい?」
少しの間の後、マスターは答えた。
「さっきも現れたみたいですね……他のお客さんが噂していました」
「ええ。二人も殺されたようで」
「奴が人殺しを続けて、もう三年も経つ。今じゃ、あまり関心を向けなくなりました。みんな、そういうものだと諦めているんです」
マスターはため息をつく。
「……なるほどねぇ」
「マカローニの人たちだけじゃありません。帝国人や旅人も殺されています。僕の知り合いだった、東洋人の方も……」
それは旅の途中で耳にした話だった。若い技術者だったとか。
知っている人物だったので、よく覚えている。彼もアヅマ出身だ。0.25が探している人物でもあった。もし生きていたら、二十歳ぐらいの青年だ。
「……ひょっとして、その東洋人。アカサカって人じゃねぇですかい?」
「おや、ご存じで?」
マスターは目を丸くした。横にいる案内人も、ポテトへと伸ばした手を止めた。
「生まれ故郷が同じ国なもんで、彼とはちぃと複雑な縁がありましてねぇ。コゴロウは本当にストームに殺されたんで?」
「ふむふむ、お客さんも東の方の人なのか。でも、どうでしょう。彼がストームに殺されたというのは、あくまでも噂ですから。誰かが見たわけでもない。死体も見つかっていないらしいですし」
顎に手を当てて、マスターは考え込む。
「……ストームじゃない」
黙々とポテトをつまんでいた案内人が、俯きながら呟いた。
「どうして?」
マスターは案内人の方を見て尋ねる。
「ストームは人間じゃない……。それに、人殺しの悪人しか殺さない……」
先ほどもそんなことを言っていた。やはり、案内人はストームについて何か知っているのかもしれない。
「いいえ、ストームはただの人殺しですよ。人間離れしている点には同感ですけど」
マスターは首を横に振る。
「……」
案内人が再び口を開くことはなかった。
「お客さん、アカサカさんとはどういうご関係?」
「いえ、それが複雑でしてねぇ。どう説明したらいいものか――」
その言葉は、店内の喧噪にかき消された。
店内でポーカーに興じていた客が声を荒げる。
「お前、イカサマしてたし! なめんなし!」
机を蹴り上げたのは、黒いコートを着ている、百八十メートルほどの高身長な男だった。見たところ、年齢は三十代前後か。
「へっへ、そんな証拠、どこにあるでのぅ?」
もう一人の太った男があざ笑う。他の客たちが黙り込み、店内が静まり返った。
「立場をわきまえろし! このシシーニョ・レスシタール様に逆らう気なら、血が流れることになるんだし!」
怒っている方の男は拳銃を抜いた。高をくくっていた太った男も、拳銃を向けられると「ひぃぃ」と言って床に尻もちをついた。
「落ち着いてくださいよ、シシさん! いくらなんでも、それはまずいですって!」
慌てて傍にいた仲間らしき男が止める。
このままだとマズいと思ったのか、マスターも彼らの間に割って入った。
「まあまあ、お酒でも飲んで落ち着きましょう。ほら、銃を下ろして……」
「うるさいし! これじゃあ、シシの気が済まないし!」
彼は今にもトリガーを引いてしまいそうだ。見ていられず、0.25も彼らの方へと近づく。
「ちょいと、そこのお兄さん方。店でのマナーがなってないですぜ?」
「なんだし!? シシに逆らうやつは一人ずつ殺してやるし!」
男は天井に向けて、拳銃を撃った。それを合図に、客たちは一斉に店から飛び出していった。
発砲した男と彼の仲間の他には、0.25と案内人とマスターの三人だけが残った。案内人はこの状況でも、カウンターで悠々とポテトをつまんでいる。
対して、マスターは青白い顔で慌てふためいていた。
「銃を下ろしなさいな。マスターの言うとおり、酒でも飲んで落ち着きましょう。悩みなら、あっしが聞きますんで」
「お前、なんかむかつくし! 腹いせに殺してやるし!」
「いいんですかい? 貴重な銃弾をあっし一人のために使っても?」
0.25はニヤリと笑う。彼は一発、すでに弾丸を無駄にしているのだ。
「帝国人に頼めば、弾はいくらでもくれるし! それに、お前なんかを仕留め損ねるわけがないし!」
彼は余裕ぶっている。そこで、マスターが口を挟んだ。
「穏便に済ませよう、シシーニョさん。死人が出ると片付けが大変なのは、あなたたちもよく分かってるでしょう……?」
顔色をうかがいながら、マスターはシシーニョと呼ばれる男を説得する。
「ふん、シシたちの仕事の苦労をお前も味わえば良いし!」
シシーニョはマスターに向かって吐き捨てるように言った。
「あんたらの仕事というと?」
0.25は尋ねる。
「シシたち、レスシタール警備団体は民衆のために身を粉にして働く、正義の味方だし!」
レスシタール警備団体……どこかで聞いた気がする。
「そりゃすごい。なら、これも正義の仕事の一環ってわけですかい? そりゃあ、随分と楽な仕事ですねぇ、正義の味方さん?」
ヘラヘラと笑いながら、0.25は手をたたく。
「お、お前だけは絶対に殺すし! シシシシ死ねぇぇ!!」
シシーニョの獣のような雄叫びは、店内に響いた。しかし、彼が引き金を引く前。サルーン店内の入り口である、スイングドアから誰かが馬に乗って勢いよく入ってきた。
「警察隊ですわ! 銃を捨てなさい」
言葉遣いに不相応な、ドスの利いた声で男は言った。
彼の身長は百八十メートルを優に超えている。
身長はシシーニョと同じぐらいだが、体格が違う。服の上からでも分かる隆々とした筋肉には、迫力を感じる。頭にかぶる中折れハットと、半そでのポロシャツにつけているバッジには、銀色の星模様が刻まれていた。
警察隊ということは、マカローニの正統な治安維持組織だろう。だが、形ばかりの役に立たない組織だと聞いている。
「お前、シシのを邪魔する気だし!?」
「おほほ! シシーニョちゃん、ちょっとおいたが過ぎるんじゃなくて? そんな態度だと、銃を取り上げますわよ?」
それを聞いたシシーニョは早口でまくし立てる。
「ま、待つし! 役立たずのお前ら警察隊の代わりに、シシたちは国の治安を守ってきたんだし!」
「そうですわね。でも、節度は守ってくださいまし。でないと、わたくしがお仕置きしてしまいますわ。おほほ!」
警察官の男は口に手を当てて笑う。
それを聞いて、シシーニョは腰のベルトにかけている、ホルスターに拳銃をしまった。
「用事を思い出したし! おい、そこの東洋人! 次に会ったら命はないと思うし!」
小悪党たちがよく使うような捨て台詞を吐いて、彼らは店を出て行った。あのような矮小な輩は、今までの旅で見慣れていた。
騒動が収まって、マスターは胸をなでおろしていた。案内人は相変わらず客席でポテトを食べている。
「この国は狭いですわ。用心した方が良くってよ」
馬に乗ったまま、警察官が話しかけてきた。
「さっきの彼らは国に雇われた方々でしょう?」
「雇われたなんてとんでもない! あんなのは飼い犬同然ですのよ。いらなくなったら捨て犬になって、負け犬に落ちぶれるのが定石ですわ」
彼らも不憫だな。警備団体と言ったか。セロが教えてくれたあの連中だ。昼間も街を徘徊していた。確か、罪人の取り締まりや死体回収が仕事だったか。
役に立たない警察隊の代わりに活動しているようだ。
「なんにせよ、気をつけた方が良さそうですねぇ」
「ええ。彼だけじゃなくストームもね」
そうだ。正体不明の賞金首。彼に会わなくてはいけない。なぜアヅマ人の技術者であるアカサカ・コゴロウを殺したのか、理由を尋ねなければいけないのだ。
「おほほ。では、良い夜を」
彼はそう告げて、去って行く。
店内にはスイングドアが揺れる残響だけが残った。