【4-6】ルシア
子どもたちと出会ってから、三か月が経った。
昼間はマカローニを歩き回り、リオンを探す。夜は教会に戻って、子どもたちにいろんな話を聞かせてやる。そんな変わり映えのしない日々が続いていた。
今日もリオンを探しながらマカローニの首都を歩いていると、久しぶりに警察官のアレスに出会った。
「あら、お久しぶりですわね、ルシアちゃん」
バルデナスは固まった。なぜなら、この街にその名で呼ぶ人間はいないはずだから。
「お、お前、なんでオレの名前を……」
「警察本部に資料が残っていたんですの。リオンがあなたのご家族を殺した事件のね」
確か、総督府の近くにある施設だ。その名の通り、警察隊の本部だ。
「十年も前の事件が?」
「未解決事件の資料は、破棄しないんですのよ。リオンたちが関わっている事件は、山のように残ってありますわ」
昔のリオンたちは警察隊や軍人を殺害し、拳銃を略奪するなど、凶暴だった。さっさとリオンを排除しないと、資料は永久に残ってしまうのだろう。
「ご両親にずいぶんと可愛いお名前をつけてもらったんですのね。羨ましいですわ、ルシアちゃん」
からかうように彼は言った。
「その名で呼ぶんじゃねぇぜ。嫌いなんだよ、その名が」
「ご両親にもらった名前は大切にしないといけませんわよ、ルシアちゃん。せっかく素敵な名前ですのに」
「端的に言えば、弱っちい女みたいな名前は嫌なんだ」
ルシア・バルデナス。それが本名だった。
「子どもみたいな理由ですわね。名前ぐらいで、強くなれませんわよ?」
「分かってるぜ。そんなことは……」
ルシアという名で呼ばれるたびに、弱弱しいあの頃の自分を思い出してしまう。父と弟を守れなかった、情けない自分を。それが嫌だった。
「もしかして、一緒に住んでいる子どもたちにも言っていませんの?」
「子どもたち? どうして、お前がそれを?」
なぜ彼はバルデナスが彼女らと共にいることを知っているのだろうか。
「神父さんがわたくしたちの元に来たんですの。教会に変な帝国人が来た、とね」
あの神父、本当に警察官のもとを尋ねたのか。だとしたら、少しまずい状況だ。
「頼むから、子どもたちは追い出さないでくれよ?」
バルデナスはアレスをにらみつける。
「心配いりませんわ。あんな男、少し金を持たせて口を封じておけば、何の脅威にもなりはしない。すぐに追い払ってあげましたわ」
それを聞いて、バルデナスはほっとため息をついた。
「よくやったぜ。恩に着る」
今回ばかりは、アレスに感謝しなければいけない。
「おほほ、わたくしたちは仲間じゃないですの。あなたが裏切らない限り、ね」
リオンを追うという共通の目的がある間は、子どもたちが教会に住むことについて、警察隊が咎めることはないらしい。
「へっ、分かっているぜ」
「それにしても、あなたは本当に子ども好きなんですのね。弟さんがいたからかしら?」
バルデナスにとって、弟はむしろ兄のような存在だった。弟はバルデナスよりも多くのことができたからだ。勉学に狩り、芸術や音楽。何をやらせても一級品だった。
そして、銃口を向けられた父を庇うほどの勇気も持っていた。父のような軍人になると、毎日のように豪語していた。
「……そんなんじゃねえよ。端的に言って、あいつらが笑っているのを見ると、安心するんだ」
最近はよく眠れている。ストレスもかなり少なくなった。
「確か、あなたみたいな人をロリータコンプレックスと呼ぶんでしたわね」
「異常な目で、あいつらを見ているわけじゃねぇぜ? 人を変質者みたいに言うんじゃねぇ!」
単に力になりたいと思ったから、彼らを助けただけだ。誰かといると心が安らぐから、一緒にいるだけだ。他意はない。
「そうですわね。あなたはむしろ子どもっぽいですもの。わたくしからすれば、弟みたいですわ」
「冗談言うんじゃねぇよ。こんな変人の兄は絶対にお断りだ」
そう言って、バルデナスはアレスと別れた。
再びリオンや彼の仲間を偶然見つけたりしないかと、期待しながら街を歩く。陰鬱で静かなマカローニでは、人々の歩く音と風の吹く音が雑音のように耳に入ってくる。
キョロキョロと視界に映る人々を見回しながら歩いていると、見覚えのある人影が前から歩いてきた。
ミサとジニーだ。おさげの髪型をしている年長の少女がミサ。背が低くて髪の短い子がジニーだ。それぞれ、十五歳と十歳だ。
ミサという名前は、バルデナスが考えた。彼女だけは名前がなかったのだ。他の子どもたちからは、単に“お姉ちゃん”と呼ばれていた。小さな頃に両親に捨てられて、名前も覚えていないらしい。
よく見ると、ミサはふらふらとおぼつかない足取りでこちらに歩いてきていた。傍らで小さなジニーが、ミサを必死に支えている。何事かと驚き、すぐさま駆け寄った。
バルデナスの顔を見ると、ミサは安心したかのように微笑み、地面に倒れた。
「おい、ミサ! 一体、何があったんだよ!?」
彼女の顔と手足にはいくつかの痣があった。
「心配ないのさ、救世主さん。ちょっと転んだだけなのさ」
ミサは自嘲気味に笑う。どう見ても、それだけの怪我ではない。誰かに何かしらの暴力をふるわれたと見て間違いない。
「嘘をつくんじゃないぜ。誰にやられたのか、端的に言ってみろ」
「髪の毛のないツルぴかの男の子が、ジニーたちを襲ってきたの! お姉ちゃんはジニーを守るために、その子に何度も殴られて……」
ジニーはたどたどしく言って、泣き出してしまった。バルデナスは二人を抱擁した。
「偉いぜ、ミサ。お前は勇敢なんだな」
「そんなことないのさ! 弱い自分が嫌なのさ! アタイも救世主さんみたいに強くなりたいのさ!」
バルデナスの服を強く掴み、ミサは泣き叫んだ。彼女の悔しさが痛いほど伝わってきた。
腹立たしくて仕方がなかった。こんな可哀想な子どもたちを殴るなんて、信じられない。
「大丈夫だ。ミサならきっと強くなれるぜ」
「本当なのさ?」
「ああ、本当だぜ。ジニー、悪いが先に教会へ帰ってくれ」
ジニーの頭を優しくなでる。バルデナスの言葉に、ジニーは深く頷いた。
彼女の姿が見えなくなるのを確認すると、バルデナスは口を開く。
「ミサ。早くお前を殴った奴のところへ連れて行ってくれ。坊主のガキだったな?」
「会ってどうするのさ? あいつは危険なのさ! 何をするのか分からないのさ!」
「心配ないぜ。誰だって強くなれるって証明してやるよ。オレも、昔は弱っちい子どもだったからな」
この街で生きていくなら、武術や銃を腕前は磨いておいた方がいいだろう。
それに、ミサに暴力を振るった奴を許せそうになかった。弱者をいたぶる人間には、相応の罰を下さなければならない。自分は弱い人間ではないと、相手に分からせるのだ。
「覚えておけ、ミサ。奪われたり、傷つけられたりしたら、相手にもその苦しみを教えてやるんだ。そうすれば、何も失わずに済む」
灰色の空を見上げ、バルデナスは強く拳を握った。




