【4-5】救世主
総督府を後にして、宿場の預かり所へ旅行用の鞄を取りに行く。
そろそろ、財布が底を突きそうなので、節約を始めなければいけない。野宿する場所を探していると、すっかり外は暗くなってしまった。
子どもたちにもケーキを食べさせてやりたいと思い、再び教会の方へ向かった。
教会の前までやってくると、怒鳴り声が中から聞こえてきた。
慌てて入ってみると、いかにも聖職者といった男がいた。着ている祭服からして、おそらく神父だ。
先ほどと、ほぼ変わらない絵面だった。三人の怯える子どもたちを、おさげの少女が両手を広げて守っている。
「教会とは、聖書を学び、神の愛を信じ、そして神と人を愛する場所です。決してお前たちのような薄汚い人間が住んでいい場所ではありません! 早々に立ち去りなさい!」
神父の男は、首からかけた十字架のペンダントを、お祓いをするかのように左右へ振っていた。
「もし本当に神様がいるのなら、マカローニはもっといい場所になっているはずさ!」
少女は怖じけずに言い返す。
「神を否定するとは何事か! 人は神の恵みによって救われるのです! それを信じない者には、教育が必要だ」
聖書で自身の手のひらをたたきながら、神父は子どもたちに近づいていく。
「こっちに来るんじゃないのさ!」
「信仰は個人の自由だぜ」
バルデナスの言葉に、神父の男は振り返った。
「誰ですか? あなたは」
神父は眉をひそめた。
「端的に言えば、帝国人だ。それより、聖職者のくせに子どもたちを怯えさせるのはやめてくれ」
「神聖な教会に住み着くような、育ちの悪い子どもを擁護するつもりですか? 彼らが勝手に私を怖がっているだけです。なんて失礼な子どもたち」
彼は子どもたちを睨みつける。
「住む場所もない子どもたちが教会で寝泊まりするぐらい、慈悲深い神様なら許してくれるはずだぜ。そんなことで怒る神様なんて、信仰する価値もない」
「あ、あなた、今、神を侮辱しましたか? 私たちの父を! 私たちの主を!」
神父の男は目をひんむいている。今にも飛びかかってきそうだ。
「他人に宗教を押しつけてくるんじゃないぜ、鬱陶しい。別に、ここはお前の家じゃないだろう? 神父のくせに器の小さい奴だぜ」
バルデナスがそう言うと、神父は顔を真っ赤にした。
何も言い返せないのが悔しいのか、神父は鼻息を荒くしてこちらへ近づいてくる。
「どうやら、まずはあなたに教えを説かなければならないようだ!」
そして、バルデナスに分厚い聖書を振り下ろした。
バルデナスはそれを片手で受け止める。子どもたちの悲鳴が教会の中に響いた。
「それが聖書の正しい使い方か? ふん、あきれるぜ!」
股間を蹴り上げてやると、神父は床に座り込んだ。
「貴様ぁぁぁ……!」
ものすごい形相で神父はこちらを睨みつけてくる。聖職者に似つかわしくない表情だ。
「とっとと失せやがれ、バカ神父。二度と教会に足を踏み入れるんじゃねぇぜ」
「覚悟しておきなさい。警察隊に通報してやりますから!」
彼は立ち上がり、股間を抑えながら走り去っていった。
結局、彼が頼るのは神様ではなく、無能な警察隊らしい。よくよく考えれば、こんな街にまともな神父なんて、いるはずもないのだ。
バルデナスは子どもたちに声をかける。
「大丈夫か、お前ら?」
「助かったのさ……あなたは救世主なのさ!」
おさげの少女がバルデナスの手を取り、目を輝かせて言った。
「よしてくれよ、オレはそんな柄じゃないぜ」
バルデナスは両手の手のひらを彼らに向ける。
「それでもアタイらにとったら救世主なのさ! あのままだと、あの男にまた教会から追い出されていたのさ」
「またって、以前にもこんなことが?」
「そうなのさ。やっぱり教会に住むのはいけないのさ……」
彼女は下を向く。
「お前たちがここに泊まることは、神が許さなくても、オレが許してやる。だから心配すんじゃねぇ。それより、ケーキを持ってきたんだぜ。みんなで一緒に食べてくれ」
総督にもらったケーキを彼女に渡した。
身を縮めて震えていた他の子どもたちも、こちらへ駆け寄ってきた。
「ケーキって何?」
「とってもスイートで、デリシャスなおかしだよ!」
双子とおぼしき少年少女は、物珍しそうに言った。
「本当に、アタイらなんかにこれを?」
彼女は首を傾げながら、こちらを見つめる。
「もちろんだ。たまには、うまいもんを食べて元気だしな」
バルデナスは柔らかく微笑む。
「ありがとう!」と元気よく言いながら、子どもたちはケーキに手を伸ばした。彼らの表情は明るく、さっきまで怯えていたのが嘘のようだ。
「ちょっと待つのさ、お前ら! ちゃんと平等な大きさに切って食べるのさ!」
彼女の提案通り、五等分に分けて、彼らと共にケーキを食べることにした。わいわいと賑やかに子どもたちが騒いでいるのを見ると、暖かい気持ちになる。
「本当にありがとう、救世主さん! いつかこの恩は必ず返すのさ!」
「いいって。おいしく食べてくれたら十分だぜ。オレが作ったわけじゃないが」
話がややこしくなるので、ケーキを作った当人のことは伏せておいた。
「さて、オレはそろそろ行くとするかな」
夜も更けてきた。早く野宿する場所を探さなければいけない。
「待って、きゅうせいしゅさん! ここで一緒に泊まって! またあの人が来るかもしれないから……」
出口へ向かおうとするバルデナスを、一番背の低い女の子が両手で腰をつかんで引き留めた。
「そうだわ! 私、怖くてもう眠れない!」
「ステイ・プリーズ」
双子もバルデナスへ駆け寄る。
「お、お前ら、救世主さんを困らせるんじゃないのさ!」
おさげの少女は慌てて叱る。
「分かったぜ。オレも寝床がなくて困っていたからな」
すがりつく子どもたちの頭を優しくなでながら、バルデナスは言った。
「本当に?」「やった!」「センキュー!」
子どもたちに再び笑顔が戻った。
確かに、ここが安全とは限らない。また誰かがやってくる可能性だってある。
「救世主さん! それは、いくらなんでも……」
「子どもが大人に気なんて使うもんじゃないぜ? 端的に言えば、オレもここで寝たいんだ。一人で眠るのは寂しいからな」
マカローニに来てからは、あまり寝付けなかった。
どうしても、この街だと――リオンがいるこの場所だと、十年前の出来事が悪夢として何度もよみがえってくるのだ。
「きゅうせいしゅさんも、寂しがり屋なんだ! ジニーたちと一緒だね!」
バルデナスの腰にしがみついている、背の低い子が笑った。
「そうだな。でも、みんなで寝れば、不安や寂しさなんてすぐ忘れるぜ」
家族を失った十年前から、誰かと一緒に寝ることもなくなった。本国でも、眠れない夜が何度もあった。
だが、この子どもたちが一緒にいてくれるなら、ぐっすりと眠れそうだった。
 




