【3-3】襲来
サルーンに帰ると、今日はすでに店じまいをしたようで、店内に客はいなかった。
マスターが客席に座っている。目を閉じながら、彼は両手を額に当てていた。ジニーの一件が、尾を引いているのだろう。
そう思っていると、彼はゆっくりと口を開いた。
「……あの日、小さな少女が荒野で射撃訓練をしていた。そのとき、通りかかった帝国人貴族が流れ弾に当たってしまったそうです」
「そ、それって!」
へメロスは両手を口元に当てる。ヘメニスも目を見開いていた。
荒野で鳥狩りをしている帝国人貴族がよくいるそうだ。少女というのは、先日に殺されたジニーである可能性が高い。
マスターは顔が広く、情報収集に長けている。店で知り合って、仲良くなった客から聞いたのだろう。
「でも、それはジニーのミスだったんじゃないのかい? あの子が意図的にキルしたはずがない!」
確かに、ジニーが貴族を殺したとは想像しにくい。銃を握っただけで震えてしまうような子だ。誤射で当たってしまったと言われた方が、信ぴょう性がある。
「この話はミサさんにも?」
店内を見渡すが、彼女の姿が見当たらない。
今はストームだけでなく、警察隊も徘徊している。もし、外にいるのなら、一刻も早く連れ戻さなければならない。
「いいえ、まだです。今日は朝から彼女の姿を見ていません。思い詰めていないといいですが」
マスターは窓の外に目を向けた。
「今は一人になりたいのかもしれないわ」
「でも、今の彼女はスーパーデンジャラスじゃないかい?」
いつも明るかったミサは、あの夜から気力を失っていた。親しい者を失った悲しみから、彼女は抜け出せずにいた。
「探しに行こうか――」
マスターがそう言いかけたとき、店の回転扉が勢いよく開く。ミサが帰ってきた。しかし、彼女の後ろには見慣れない男がいた。
「へへ、てめぇらだろう? てめぇらがあのクソガキの仲間だろう!?」
血走った目で怒鳴る小太りの紳士が、ミサの頭に銃を突きつけていた。
マスターと双子は息をのんだ。
「すまないのさ……」
「ミサを離すんだ! その引き金を引いたら、ただじゃおかない!」
マスターは声を張り上げる。
「黙れぇ! 俺の女房や警察官を撃ち殺した蛮人どもめ!」
マスターを睨みつけながら、男は怒鳴った。
「あなた、何を言って――」
へメロスの言葉を男の怒鳴り声がかき消した。
「とぼけるんじゃねぇ! 低俗なマカローニ人は、俺が一人残らず殺してやる!」
男は血走った目でこちらを睥睨している。このままではまずい。
「みんなを撃つのはやめてさ! 撃つのはアタイ一人にするのさ!」
ミサは震えた声で叫ぶ。
「ほら、お仲間もこう言っているわけだ。早く正直になった方がいい。そこの女じゃないのか? そこの女が俺の女房を殺したんだ!」
男がへメロスを指さした。へメロスは黙って後ずさりする。
「何を言っているんだ! とんでもないミステイクだよ!」
ヘメニスは妹をかばう。
「そいつだ。よくも、俺の女房を……」
低い声で言いながら、銃をミサの頭から離し、へメロスに向けた。
「落ち着いてくだせぇよ。あんたの女房を殺したのは――」
言い終える前に、一発の乾いた音が店内に響いた。
その音は0.25の右横――マスターの立っていた位置から聞こえた。
男が倒れる、静かな音。横を向くと、マスターが握る銃から火薬の煙が出ていた。
その後、沈黙がその場を支配した。
「マス、ター……?」
ミサの詰まったような声が、店内に響く。
「これで……いいんだ。これで……」
息を荒くしながら、マスターは言った。
「死んでしまった、の……?」
「こ、これはノーマルな行動だよ。マスターはノン・ギルティ」
この場にいる誰もが、突然の事態を整理しきれていない様子だったが、襲撃者の男の死により、事態は収束した。
「この男がジニーの撃った人の?」
「はい、おそらくは……」
マスターは顎に手を当てた。襲撃者の男の言う通りなら、ジニーの誤射で死んだのは、彼の妻のようだ。
「待ってよ。私たちがここにいることを、彼はどうやって知ったの? 復讐が目的だったみたいだけど」
へメロスの言う通りだ。一体どうやって、ここまで嗅ぎ付けたのか。それが謎だった。
「アタイの……せいなのさ。ごめん……本当にごめんさ……」
ミサは泣き崩れ、謝罪を繰り返す。全員の視線がミサに集まった。
「どうして、君が謝るんだい? あの男に脅されたのか? だから、この場所を彼に教えて――」
「違うのさ! 全部、全部、アタイのせいで……」
マスターの問いかけを遮り、頭をかかえたままミサは座り込む。彼女に何があったのだろうか。
「説明してくれ。一体、君に何が――」
そのとき、風が吹いた。嵐のような強風が。
風とともに流れてくるのは、強い殺意。
「みんな伏せなせぇ!」
0.25は叫んだ。
その声とほぼ同時に、弾丸がマスターの頭部を貫いた。呆けた顔でマスターは倒れた。
0.25は素早く物陰に隠れた。
少し遅れて、双子たちもそれに倣う。
再びの銃声。店に明かりを灯すランプが撃ち抜かれ、店内に暗闇が訪れる。
「いやぁぁぁ! 許さない! よくもマスターを殺したわね!」
狂ったかのように、へメロスは銃を撃つ。客席に置かれている花瓶に当たり、パリンと割れた。
「クールダウン……クールダウン……」
物陰に隠れたヘメニスは、ぶつぶつとつぶやいている。ミサは隠れようともせず、床に座り込んで放心していた。彼らはダメだ。目の前で身近な人の死を直視し、冷静さを失っている。
しかし、敵の姿は見えず、どこから銃弾が飛んでくるか分からない。
「死にたくなきゃあ、正気を取り戻してくだせぇ!」
0.25は彼らを奮い立たせようと叫ぶが、その声は届かない。
「出てきなさい! ぶっ殺してやるわ!」
ヘメロスは物陰から飛び出し、外の方へと走って行った。
あまりにも無防備な彼女は、銃弾に撃ち抜かれ、マスターと同じように倒れ伏す。
「ヘメロス? ヘメロスぅぅぅ! は……」
思わず物陰から顔を出したヘメニスを、もう一発の弾丸が貫いた。
彼の声はもう聞こえない。店内には再び沈黙が訪れた。0.25は銃を握りしめる。
僅かな物音に、0.25は一瞬だけ顔を出して銃を撃つ。手応えはない。
今度は向こうが撃ってきて、近くの床に当たった。相手は瞬時に0.25の居場所を見抜いたのだ。
「相手は本当に人間なんですかい?」
0.25は早撃ちの化け物と呼ばれていたし、それ以上の強者と出会ったこともある。しかし、あの何者かは本物の化け物だ。
気づけば、銃口を後頭部に押しつけられていた。気配など、微塵も感じなかった。辺りが暗いとはいえ、いつ後ろに回り込んだのか分からない。とても人間の業とは思えなかった。
「あんたが……噂の賞金首・ストームさんですかい?」
答えは返ってこない。
「アカサカ・コゴロウって人を知っていますかい?」
その問いにも、後ろに立つ何者かは答えなかった。後頭部に押しつけられた銃の感触だけが、背後に立つ何者かの存在を感じさせてくれる。
「うひっひ……。あんた、人間なんですかい?」
0.25は何者かの姿を見ることも、声を聞くのも叶わなかった。彼はゆっくりと頭から銃口を離し、嵐のように去って行った。
(まさか、見逃されたんですかい? いったいなぜ?)
ちょうど弾切れだったとしたら、一応の説明がつく。だが、生憎とそのような幸運にめぐまれるほど、0.25は強運ではない。なんとも腑に落ちない結末だ。
床に血を流して倒れる、マスター。そして、ヘメニスとヘメロスの双子。
ストームが撃った細長いリムド弾薬が、床にめり込んでいる。
相変わらず、ミサは床に座って天井を見つめていた。最も無防備だったのはミサだったのに、ストームはなぜか彼女を撃たなかった。
そんな彼女は小さな声で発する。
「アッシさん……」
「……どこか怪我してねぇですかい?」
ぱっと見では、ミサに大きな外傷はなかった。
「アタイを強くしてさ。自分の罪を償うために……ストームに復讐するために……」
かすれた声で彼女は言った。
「それは……できねぇ相談ですねぇ」
「どうして……? アタイも救世主さんみたいに強くなりたいのさ……」
彼女は0.25を救世主みたいだと言った。本当の救世主は、人を殺したりしないというのに。
「人を殺せることは……強さじゃねぇですぜ」
0.25はミサに背を向けて、店を出る。「そんなはずないのさ…。そんなはずないのさ……」と彼女はぶつぶつとつぶやいていた。
その声は0.25の耳から、なかなか離れなかった。




