【2-9】拷問
父は悪党だった。何人も殺めながらも、のうのうと生きていたらしい。
母はそんな父を心底嫌っていた。
だから、息子には武術を教えなかったし、刀や銃も持たせないようにした。常に人のためになる善行をするように、言いつけてきた。
『お前は無力なままでいいの。決して、あの人のようにはならないで』
懐かしくも、昨日のことのように覚えている、今は亡き母の言葉だ。
意識が戻ってくると同時に、やるべきことを思い出す。平和を実現し、母やリオンに認めてもらうのだ。
(そうだ。ボクはヒーローを作るんだ! ボクは無力じゃないんだ!)
だが、燃え上がる情熱に反して、体は思うように動かなかった。
目を開けると、まぶしい光が入ってきた。
ぼやけた視界が直ってくる。白い天井と、そこからぶら下がる豪華な照明が見えてきた。実物を見るのはこれが初めてだが、噂で聞いたことがある。確か、シャンデリアというものだ。
お菓子のような甘い匂いが、部屋の中に充満していた。
「ぐふふ、おはようなの。よく眠れた?」
柔らかい低音な猫なで声が聞こえる。少々老け気味の四十代ぐらいの女性がいた。
なぜか白いコック帽を被っている。割れたメガネをかけて、彼女はコゴロウを見下ろしていた。あのメガネはコゴロウが工場で落としたものだ。
「あなた、は?」
「リコちゃんはねぇ、マカローニのシハイシャなの!」
まだ目覚めたばかりで、頭が回っていないせいか、彼女が何を言っているのかよく分からない。
「ここはどこなんですか?」
「リコちゃんのおうち!」
会話が成立しないので、いまいち状況がつかめない。ただ、ここが見知らぬ場所だということは分かった。自分自身の体を見下ろすと、思わずぎょっとした。
「ど、どうして、ボクは鎖で縛られているんですか?」
「それはねぇ……。リコちゃんと遊ぶためなの!」
彼女は満面の笑みを浮かべる。幼い口調をしているが、彼女は明らかに初老の女性だ。おばさんと遊ぼうと言われても、微妙な気持ちになるだけだった。
「でも、ボクは早く帰らないと」
「つれないこと、いわないの! けいさつかんさん、はじめちゃって!」
「イエス、サー」
もう一つの声は、男のものだった。足音と共に彼はこちらへ近づいてきて、頭に固いものを押しつけてくる。
「これは……?」
「リコちゃんはねぇ、あなたに聞きたいことがあるの。だから、てっとり早くごうもんさせてもらうね?」
彼女は明るい笑みを浮かべた。
「こんなことするなら、何も答えません! それより、早くこの鎖を外してください! ボクはあなたと遊んでいる暇はない!」
「こらぁ! あなたにキョヒケンはないの! いい子にしてないと、ぴすとるで頭がふっとんじゃうんだからね!」
そう言って、リコと名乗る女性は指先をコゴロウの鼻に押しつけた。
「拳銃?」
「うん、本物だよぉ。ほらほら」
彼女は警察官の手首をつかんで、さっきから押しつけていた銃をコゴロウが見える位置に持ってくる。
間違いなく、本物のリボルバーだ。
「どうして、こんなことを? これは犯罪です!」
「犯罪? これって、犯罪なの? けいさつかんさん?」
「いえ、犯罪ではありません。閣下が掲げる、崇高な未来のための正統な対談であります」
無機質な声で彼は言って、再び銃をコゴロウの後頭部に押しつける。こんな男が警察官なはずがない。
「“すうこう”じゃなくて、スイートな未来でしょ! リコちゃんはねぇ、お菓子がだーいすきなの!」
「何の話ですか?」
突然、お菓子の話をされても、よくわからなかった。
「リコちゃんは、お菓子の国が作りたいんだよ。でも、女帝陛下が許してくれないんだ……」
「女帝? 大西方帝国の?」
「そうなの! でね、陛下は“てっこうせき”を探してるらしいんだぁ。それを見つけたら、マカローニはリコちゃんのものに――お菓子の国にしてもいいんだって! みんなのおうちも、こうじょうも、全部お菓子で作り上げるの!」
満面の笑みで、リコは両手を広げた。
「鉄鉱石……」
思い当たったのは、あのビバタイトという特殊な鉄鉱石だ。
しかし、その存在は公にされていないはずだった。伝説上の鉱石とされている。
「リコちゃんは知っているよぉ。あなたはリオンの仲間でしょ?」
「そうだ! リオンさんを助けないと!」
だが、すぐに思い出した。リオンは死んだのだ。今もこの手が、動かぬ彼に触れたときの感覚を覚えている。
「あの人はストームさんが処理してくれたから、もういないよ? 目障りなのがいなくなって、すっきりだよ!」
(リオンはストームによって殺された……?)
あのとき、廃工場でいったい何が起こったのか。
そして、コゴロウはなぜこんなところで鎖に縛られているのか。
分からないことが多すぎて、頭がおかしくなってしまいそうだ。
「それよりも、てっこうせき! どこにあるのか、リコちゃんに教えてほしいな」
「知りませんよ。そんなことより、早くこれを解いてください!」
「とぼけたって、ダメだよ。シシーニョさんが教えてくれたからね。ビバタイトを持っているんでしょ?」
そう言われて、コゴロウははっとする。確かにあの人なら、リオンたちがビバタイトを持っていたことを知っていたはず。警察隊に密告した彼を通して、この女は知ったみたいだ。
お菓子の国かなんだか知らないが、この人たちに素直に答えてやる気は、さらさらなかった。
「何にせよ、こんなことする人には教えてあげません」
コゴロウは目の前の女をにらみつけた。
すると、コゴロウの頭に警察官の男が銃をぐりぐりと押し付けてくる。
「ぐふふ、そんな意地悪を言うんだったら、頭がパーンになっちゃうよ?」
「い、いいですよ。ボクが死んでしまったら、あなたにビバタイトについて知られることもないですから」
あれが悪用されてしまったら、とんでもないことになる。
「そっか、じゃいいや。一回、死んでみよっか。警察官さん、やっちゃって」
「イエス、サー」
大丈夫だ。痛みも感じぬまま死んでいくだけだ。必死に言い聞かせた。
死ぬのは怖くてたまらないが、ビバタイトが悪用されるなんて、あってはならない。コゴロウは強く瞼を閉じる。
そして、警察官は銃を撃った。
鼓膜が破れるような音と共に、心臓が飛び跳ねる。
しばらくすると、まだ意識が残っていることに気づいた。耳がつんざく音に交じり、騒がしく低い声が聞こえてくる。それが眠りから無理やりコゴロウを引き釣り上げた。
「ほら、早く起きて! あなたはまだ死んでいないの!」
「ど、どうして、ボクは?」
生きているはずがない。銃は確かに撃たれたのだから。
「ぐふふ、実はね。その“りぼるばー”には、弾が一発しか入っていないんだよ」
「弾が、一発だけ?」
「うん! りぼるばーに入れられる銃弾は六つだから、あなたは、あと五回分も死ねるチャンスがあるんだよ?」
ぼんやりとした頭で整理する。
回転式銃であるリボルバーには、銃弾を装填するために、一般的には六つの穴が開いている。そこに銃弾を入れるのだ。
しかし、今は一発しか銃弾が入っていない。
つまり、頭を撃ち抜かれる確率は六分の一。今、一発撃たれたから、五分の一だ。
「分かったかな? また死にたくないなら、リコちゃんの質問におとなしく答えてね。ビバタイトはぁ、どこにあるのぉ?」
低音の猫なで声でリコは聞いてきた。断れば、もう一度警察官に銃を撃たせるつもりだ。
「こ、答えないと言っているでしょう!? ふざけるだけなら、早くボクを解放してください!」
「頑固だなぁ。じゃあ、次、行ってみよっか」
再び、耳をつんざくような音がした。コゴロウは気を失いそうになった。
だが、そんな彼の頬を皺だらけの手がひっぱたき、無理やり覚醒させる。
「寝ちゃだめぇ! あと四回もあるんだからね!」
「……」
頭がほとんど回らない。
そんな状態でも、必死に言い聞かせた。何があっても口を割ってはいけない。それだけを自分に言い聞かせた。
リオンならば、こんな状況でも絶対に口を割らないはずだ。病に蝕まれても戦い続けた、あのリオンならば。
「早く言ってよぉ。次で死んじゃうかもしれないんだよ? ほら、答えてくれたら、リコちゃんの作ったおいしいケーキをご馳走してあげる」
甘いにおいがする。ショートケーキを乗せた皿を持っている女の姿が、ぼんやりと見える。
彼女はコゴロウの口元に生クリームをつけた。
「……ボクは……」
「うん、なになに?」
彼女はこちらに耳を寄せる。
「あなたなんかに……絶対に、教えません……」
呂律が回らなくなっているが、はっきりと彼女に告げた。
「じゃあ、もう一回」
そう言って、彼女はコゴロウから離れた。
やがて、三度目の爆音がした。
五感が麻痺し、生きているのか死んでいるのかも分からなくなる。恐怖よりも無念で仕方がなかった。コゴロウはまだ何も成し遂げていないのだ。
しばらくして、四発目が聞こえた。
結局、今までの人生はなんだったのか。あの人形を完成させて、母やリオンに認めてもらう。そんな自ら立てた決意も果たせなかった。最後まで、コゴロウは無力だった。この人たちの拷問に耐えることだけが、唯一にして、最後の足掻きだ。
さようなら、醜い世界。叶うのなら、あの人形を誰かが代わりに完成させてほしい。
そして、笑顔を溢れる世界を――
五発目の銃声は聞こえなかった。