【2-7】落ちてきた男
数時間後、気絶していたリオンは、木箱のベッドの上で目を覚ました。外傷は見られないが、ずっと呼びかけても目を開けてくれなかったのだ。
案内人は、彼のために薬を買いに行っている。
「リ、リオンさん!」
ようやく目覚めた彼に、コゴロウは抱きつく。
「うっとうしいな。離れてよ。ケッホ、ケホ!」
その声はいつもよりも弱々しかった。少しかすれてもいる。
「いったい、何があったんですか? 突然、上から落ちてくるなんて」
「別に。滑って転んだだけ」
彼は知らん顔で答えた。
「リオンさんはそんなドジじゃないでしょ。ボクじゃあるまいし」
「そうだね。でも、たまには、そんなこともある。ゴホッ!」
吐くような大きな咳の後、彼の口から血が飛び出る。毛布に赤い斑点ができた。
「リ、オンさん……?」
「あーあ、またお前に俺様の弱点を知られちゃったね」
冗談交じりに彼は言った。
「そ、そんなこと言っている場合じゃないです! 早くお医者様に診てもらわないと!」
「もう診てもらった。同志に元医者がいたから。どうやら、俺様はもう長くないらしいよ」
特に悲しげでもなく、リオンは鼻で笑う。
コゴロウは目を見開いた。
「嘘、でしょ?」
「ふぅ、こんな穴蔵で引きこもってたら、こうなるのはあたりまえ」
咳をすると同時に、再び赤い物がリオンの口から放たれた。
「なら、早くここから出ましょうよ! そうしたら、元気になりますって」
コゴロウはリオンの腕を引っ張る。
だが、リオンはにべもなくコゴロウの手を振りほどいた。
「バカなの? そんなことしたら、警察隊に見つかる。ここより安全な場所なんてない」
確かにそうだ。病気の状態で戦うなんて、そっちの方がよほど危ない。シシーニョの裏切りによって、平和連盟の同志たちは次々に捕まっているらしい。まだ生き残っている人は、ほとんどいないそうだ。
この厳しい状況下では、彼の体調は悪化していく一方だった。
リオンがそんな状態に追い込まれていたなんて、コゴロウは考えもしなかった。出会った四か月前から、いつもリオンはダルそうだったが、他に不自然なところはなかったのに。強いて言えば、何度か息切れすることがあったか。
「そんな……」
コゴロウはリオンから視線を外す。今だって、本当はつらいはずだ。苦しみを隠そうとする彼を見ていると、とても心が痛い。
「お前がそんな顔をするとはね。俺様がくたばったら、お前は自由になれるはずでしょ?」
「そんなのは関係ないです! いっつも偉そうなリオンさんなんて、確かに大嫌いですけど、死んじゃうなんて絶対に嫌です!」
「その発言は矛盾しているけど、安心していい。俺様はそんなに簡単にくたばってやらないから。死ぬまで、こきつかってやるよ」
彼は再び目を閉じる。そんな彼を見ていると、もう二度と目を覚まさなくなるのではないかと思い、自身の頭をかきむしる。
コゴロウはいたたまれなくなって、地下室の梯子を駆け上る。下から、リオンが早く作業にとりかかれと叫んでいた。
コゴロウは廃工場から出た。見上げると、灰色の無機質な空があった。
ずっと空を見上げていると、未来に何も明るいことなんてないようにも思えてくる。
あてもなく、コゴロウはマカローニの街を歩いた。
気づけば、酒場まで来ていた。この前来たときに警察官が発砲したせいで、一部の窓が割れていた。木の板で補修されている。
まだ夕方なので、そこまで客はいない。コゴロウは以前来たときと同じカウンター席に腰掛けた。
「ア、アカサカさんまずいですよ。暗くなると、この辺りには警察隊が徘徊していますから」
マスターは声を潜めて忠告してくれた。
「はい、すぐに帰ります。ただ、この前の件のお礼と謝罪を、まだしていなかったので」
この前は、お店に迷惑をかけてしまった。せっかくおごってもらったのに。
「お礼だなんて、とんでもない! 先に助けていただいたのは、こちらの方です。当然のことをしたまでですよ」
マスターは頭を何度も下げてきた。
「それでも、ありがとうございます。おかげでボクも……リオンさんもなんとか生きてます」
「ふむふむ、そうですか。よかった……」
マスターはほっと胸をなで下ろす。そして、お冷やを出してくれた。
他の客から注文が来たので、マスターはその場を離れていく。
逃げ延びたものはいいもの、彼の容体が悪化した。一難去って、また一難だ。お尋ね者のリオンは、酒場で酒を飲むことも、ちゃんとした寝床で療養することも許されない。人を殺めた者にとっては、当然の償いなのかもしれない。
モヤモヤした気持ちを吐き出すように、深くため息をついた。そうしていると、見知らぬ人に声をかけられる。
「おいおい、ため息なんてつくなよ。そんなんじゃ、幸せが逃げていくぜ?」
とても端麗な顔をした、美青年だった。
黒いレザーベストを着ていて、耳の上まで短く綺麗に切りそろえられた髪型をしている。この国にはあまり見かけないタイプの男性だった。コゴロウよりも、三歳以上は年上に見える。
「そうですよね、すみません。暗くなっちゃだめだ」
コゴロウは頬をたたいた。
「何か不幸なことがあったのか? まあ、この街は不幸なことしかないけどな」
美青年は苦笑する。
「……ボクではなく、身近な人に不幸がありましてね。その人を助けるために、どうすべきなのか分からないんです」
弱弱しい声で、コゴロウはつぶやく。ひどく抽象的な説明になってしまった。
「端的に言えば、そいつが望んでいることをしてやればいいんだぜ」
リオンの望みはマカローニの解放だ。
そのために、彼は子どもの頃からずっと戦い続けている。コゴロウが彼に協力できることがあるとすれば、ゼンマイ人形を完成させることだ。
「はい。そうなんですけどね……」
あの人形には、一つ問題があった。設計図によると一対一において、人形はすさまじい戦闘力を誇る。人間が教えれば、殺さずに相手を無力化できるだろう。
しかし、総督府と戦うとなると、さすがに規模が大きすぎる。犠牲は避けられない。人形が帝国人たちを殺してしまうのだ。
自分の発明が誰かの命を奪うことに、強い嫌悪感を抱く。
『お前は無力なままでいいの。決して、あの人のようにはならないで』
この世を発つ直前まで、母はコゴロウにそう言い聞かせた。コゴロウ自身も人殺しは嫌いだ。
だが、無力な自分も嫌だった。平和のためにできる限りのことはやってみたいのだ。
しかし、リオンが成そうとしている、犠牲の伴う革命ではマカローニは平和にならない。
「何にせよ、後悔しない選択をすることだぜ。お前さんにとっても、そのお友達にとってもな」
美青年は穏やかに笑みを浮かべた。この街にも、案内人のように優しい人はいるものだ。少しこの国が好きになれそうだった。
「はい、ありがとうございます」
コゴロウは一礼し、サルーンを去った。
(後悔しない選択、か)
人の命を奪う発明なんてしたら、間違いなく後悔してしまうだろう。
そんな発明は絶対にしないと固く誓い、自身の頬を強くたたいた。




