【2-1】技術者と革命家
三年前のマカローニ。
首都にある、狭苦しいアパートの一室には、紙束や工具が散らばっていた。床には汚れが染みついていて、濁った色が混ざっている。薄暗い室内の光源は、小さなガスランプだけだ。
セーターを着た、メガネの青年――アカサカ・コゴロウは頭を悩ませていた。
「上手く動かないんだよなぁ……」
ゼンマイ仕掛けの機構を組み立てていたのだが、ゼンマイと歯車の動きがかみ合わない。トライアンドエラーを繰り返しているものの、なかなか成功しないのだ。
「ねぇ、コゴロウ。まだ完成しないわけ? お前、技術者なんでしょ?」
けだるい声が聞こえてきた。
顔を上げると、その声の主がソファーに寝転がっているのが見える。黒い軍服を着た男が、リボルバーを磨いている。すらりとした体型で、彼の長髪は背中まで伸びていた。
彼は反帝国組織のリーダーを務めている男だ。
「あのですね、リオンさん。ボクが今どれだけ苦心しているか、分かります? 等身サイズの自動人形なんて、作ったことないんですから」
コゴロウはズレたメガネを持ち上げた。
小さな時計やオルゴールなら作ったことがあるが、それらとは訳が違う。今作っている自動人形は、パーツの数も、機構の複雑さも異次元レベルだ。
「やめてよ。言い訳なんか、うっとうしい。技術者なら、なんでも作れるはずだよね?」
常に上から目線の態度がいけすかない。こんな人からは、早く解放されたい。
「ボクは天才じゃないんです。ていうか、そこまで言うなら、リオンさんが作ってくださいよ」
「あ? 俺様に命令する気? お前の命を助けてやったのって、誰だったっけ?」
ソファーの上から、リオンはコゴロウをじろりと見下す。
悔しいが、彼には反論できない。コゴロウがマカローニに来たひと月ほど前、街の外にある荒野で、盗賊に襲われそうになったところを彼に助けてもらったのだ。それ以来、奴隷のようにこき使われていた。
「むぅ……。せめて、ご飯は食べさせてくださいよ。昨日の夜から何も食べてないんですけど! ていうか、食べさせてくれないんですけど!」
徹夜でずっと作業をしている。人形が完成するまで自由になれない。飲み水しか与えてくれないのだ。
「うるさいなぁ。近所迷惑でしょ?」
言われて、コゴロウは思わず口を押える。壁が薄いので、騒がしくすると隣室に響いてしまうのだ。ここは、三階建てのアパートの一階にあり、最西端の部屋だった。
「リ、リオンさんが、何も食べさせてくれないからですよ」
ボリュームを下げて、コゴロウは引き続きリオンに抗議する。
「はぁ。なら、あげるよ」
そう言いながら、彼が差し出したのは瓶詰めのイチゴジャムだった。彼の毎日の主食だ。
この狭い部屋には、イチゴの匂いが充満していた。
「リオンさん。ジャムはパンに塗るからこそ、その真価が発揮されるわけであって、ジャムだけ食べてもそんなにおいしくないんですよ?」
「知ったことじゃない。俺様がおいしいと思ったら、それはおいしいんだ。別にいらないなら、あげないよ?」
リオンは差し出したジャム瓶を引っ込める。
「いります! いります! いやぁ、ジャムってそのまま食べてもおいしいですよね。リオンさんの言うとおりだ!」
コゴロウはリオンから瓶をひったくり、飢えた獣のようにイチゴジャムを口の中にかき込む。何も食べないよりはマシだ。こんな甘いものを、彼は毎日食べているらしい。
それにしては、彼はすらりとした体型をしている。いったい、食べたものはどこに行っているのだろうか。
「で? いつになったら、完成するわけ?」
「人形のフレームと機構自体は、今週中になんとかなりそうですね。ちゃんとご飯を食べさせてくれたら、もっと早く終わるかもしれません」
「あっそ、お前の頑張り次第かな」
銃を磨きながら、リオンはつぶやく。
「ひどいです……」
「そんなことより、その人形はちゃんと動けるの?」
「ボクの食事をそんなことで済ましたのは気に入りませんが、設計図通りに作ってます。自由自在に動くでしょう」
横にはボロボロの紙の束が置かれていた。合計で百枚ほどある。人間の筋肉や骨格を模して、設計されていた。
だが、コゴロウは解剖学に精通していない。ちゃんと動くのだろうかと疑いながら作っていた。
「なら、安心だね。マカローニ政府が残した機密兵器。どんなものか楽しみだよ……」
今は亡きマカローニ共和国の政府のことだ。これらの紙束は、政府の軍事開発部が書いたものだった。
しかし、パーツの材料となる鉱石が入手困難だったため、製造までには至らなかった。
マカローニが大西方帝国によって征服された、十七年前。当時は軍人だったリオンたちに、軍事開発部の研究者たちは、この紙束を託した。帝国人の手に渡らないように。
その後、研究者たちは、国家元首や軍の幹部たちと共に処刑された。
「でも、どうして十七年前のマカローニに、こんなすごいものが残っていたんですかね?」
人形の外側のフレームは普通の鋼鉄で作られているが、内部メカニズムを構成するゼンマイや歯車などには、特別な鉱石が使われていた。戦争終結後に、リオンたちがマカローニの鉱山から発見したのだ。
それが、自由自在に動ける頭身サイズの人形なんて、非現実的な発明を可能にしていた。
「決まってるでしょ。マカローニの技術は、帝国なんかよりも進んでいたの」
彼は誇らしげに言った。
「そうなんですかねぇ」
「何にせよ、人形が完成すれば、マカローニの奪還も現実的になってくる。俺様たちのマカローニの命運は、お前にかかっているんだ。失敗したら許さないよ?」
冷ややかな目で、リオンはこちらをにらんでくる。
ソファーでだらだらと寝そべっている彼は、マカローニ平和連盟の創始者だった。革命を目論んでいる反帝国組織のリーダーだ。
昔は、百人にも上るほどの同志がいたとか。
そして、彼はこの軍事兵器である人形を、革命活動に利用するつもりなのだ。
「はいはい。分かってますよ」
コゴロウはテキトーに返事をする。
面倒なことに巻き込まれてしまった。マカローニには、機械技術を学びにきただけなのに、まさか革命活動に加担する羽目になるなんて。
またリオンに小言を言われる前に、手を動かし始める。ため息をつきながら作業を再開していると、狭い部屋に二人の男たちがなだれ込んできた。
「リオン指揮官、大変です!」
眼帯の男が叫んだ。彼の名は確かメデスだ。ちなみに、眼帯は単なる彼のおしゃれらしい。
「昼間から騒がしいなぁ。近所迷惑だから、騒がしくしないでよ」
かったるそうに、リオンは長い髪をかき上げた。
「ス、ストームが現れたんです!」
「誰、それ?」
「人殺しの賞金首ですよ! 奴は指揮官との決闘を望んでいます……身なりからして、おそらく帝国人です」
ストーム。ならず者を片っ端から撃ち殺している、マッドキラーだ。標的になった人の多くは、頭を撃ち抜かれていた。その驚異の命中力は、街の人々を震撼させている。
コゴロウがこの国に到着する少し前から、どこからともなく現れ、その正体は謎に包まれていた。賞金もかけられている。
「へぇ、そうなんだ。俺様と戦いたいなんて、いい度胸してるよ」
「シッシシ! 指揮官が出るまでもないし! ストームはシシが代わりにぶっ殺してくるし!」
連盟随一の荒くれ者、シシーニョが笑いながら言った。身長が高く、黒いコートに身を包んでいる。彼は短気なことで有名だ。最近、妻と破局したらしく、一段と気性が荒くなったらしい。
「俺様が行く。そいつがどんな顔をしてるのか見てみたい」
リオンは立ち上がり、磨いていた二丁の拳銃を腰のホルスターにしまった。この狭いアパートの一室に引きこもっている彼が外出するなんて珍しい。一か月前、初めて彼に会った時以来だ。
「でも、それって危なくないですか? 相手は賞金首ですよ?」
「お前、俺様が負けるって言いたいわけ?」
「いや、そうじゃないですけど――」
リオンは元軍人だ。そう簡単に負けるとは思えないが、物騒なことに変わりない。真昼間から銃で撃ちあうなんて、コゴロウの故郷では考えられない。
「そうだ。お前も一緒に来て。これ、命令ね」
「はいぃ!?」
あまりにも唐突な彼の命令に思わず耳を疑った。
「無理です。無理です。怖すぎます! さっきまで、早く作業しろって言ってたじゃないですか!」
銃での決闘に立ち会うなんて、勘弁ならない。銃声を聞くだけで失神してしまいそうだ。
「命・令!」
嫌がるコゴロウの手を、リオンは無理矢理に引っ張っていく。本当に身勝手な人だ。