<妹の出涸し>と呼ばれた姉は、婚約解消で奮起した。
<妹の出涸し>は、言葉として間違っていると思う。
けれど、私は幼い頃からずっとそう言われていた。
芽吹いたばかりの新緑のような瞳と黄味がかったこれもまた若葉のような髪色をした瑞々しい美しさを誇る妹ミリアに比べ、姉のクレアは、色合いも容姿も出涸しの茶葉のよう。
クレアは、ミリアの出涸らしだ、と。
普通出涸しは後の方でしょ、まあ言いたいことは判るけど……。
反論を心の中で完結させて、窓の外で楽しげに友人達と談笑している妹から目を背け自室へ戻った。
今日は我が侯爵家の庭園で、まだ決まった相手のいない幼い令息令嬢を集めての茶会がある。所謂お見合いだ。
メインは十二歳のミリアの相手探しだけど、それ以外にも派閥の子供たちを集めて、縁付きたい貴族を多数招待していた。
因みに、今日一番の目玉は御年十五歳の第二王子殿下。既に兄君が王太子として立った後で臣籍降下が決まっていても、王家と縁続きになれるのは名誉なこと。もちろん我が家も婿として狙っていた。
……でも、私にも決まった相手はいないのに、今日の茶会には出して貰えない。
その理由、両親からは凄く遠回しな言い方で、ミリアにとってのマイナス要素はなるべく排除したいから今日は部屋でおとなしくしていてくれと言われた。
凡庸な容姿の私と姉妹であることは、ミリアにとって不利であるらしい。
実の親がいう科白か!! と一瞬は憤ったが、それ程両親は妹の美しさが自慢なのだろう。確かに、あの子の美貌であれば王子殿下を射止めることも夢ではないかもしれない。
妹は、ミリアは美しい。
だから両親は、いつも私より彼女を優先する。
さりげなく、でもはっきりと、彼らは私と妹を差別していた。
でも本人達はそれに気付いてないのが質が悪い。私が凡庸で、妹が美しいのは事実なのだから、各々それに相応しい扱いをしているだけだと真顔で言うのだ。
昔は悲しいと思った。両親の注目を自分だけに集めたいと切望した時期もあった。
でも……いつまでもそんなことにこだわっているのは時間の無駄だと、ある日気付いてしまったのだ。
そして、期待などしないと決めた私は、ただひたすらに<正しい侯爵令嬢>であることに邁進し始めた。
ミリアが美しい侯爵令嬢なら、私は正しい侯爵令嬢になる。マナーも教養も完璧に、一分の隙もない完璧な令嬢に、私はなる!!
だから今日も、一日部屋にいろという言いつけの対価に、好きな授業を受けさせてくれるよう頼んだ。つまらない子だと両親に思われても、したいことがそれしかないのだからしょうがない。
部屋に戻ってまもなく、語学の先生が来て大好きな授業が始まった。
歴史書、流行の小説、各分野の専門書、様々な言語の書籍を教科書がわりに、それらを我が国の相応しい言葉に置き換え翻訳していく作業は楽しくてとても好き。
一文、一章、一冊と出来上がったものは私の努力の結晶。
成果の見えるその瞬間が、私は何より好きだった。
その喜びを唯一共有出来る先生に私が心を許してしまうのは当然といえば、当然だろう。
だから、休憩中つい零れてしまった。
「ねぇ先生……姉が妹の出涸しというのはやっぱり言葉として変だと思うのよ」
愚痴るつもりはなく、本当に不意に、ふと先程の疑問が口をついて出ただけなのに、ちょっと驚いたように瞳を瞬かせた先生から返ってきたのは、とんでもなく辛辣な答えだった。
「そうですね。まあ私に言わせれば、ミリア様がクレア様の出涸しです。貴女はきっと、お母様のお腹の中からミリア様の分の賢さも持ってきてしまったのでしょう」
そんな科白をサラリと言うのは、私の語学の家庭教師を務めている派閥の伯爵家の次男。
お家は継げない彼だったが、幸いにも語学の才能が堪能で、同級生の王太子殿下の覚えがめでたく、卒業後は王宮勤めが決まっているという。それを彼の両親から伝え聞いた父にねだって、こうして教えを請うていた。
……なのに、子供相手とはいえ、雇主の令嬢に随分酷いことを言う。
一応私達も若い男女。変な噂にならないよう壁際には侍女も控えているし、部屋のドアも開け広げていて人目は常にあるのに、先生は更に続けた。
「ミリア様が貴女の出涸し……いや、それ以下かもしれません」
神妙な顔でとんでもないことを言う。
……でも妹に勝る部分があるとはっきり言って貰えるのは正直、ちょっと嬉しい。喜んでいるのがばれないようカップを運んで、緩んだ口許を隠し聞いた。
「でもミリアはまだ十二歳ですし」
「だからこそ、今いくら美しいともてはやされようと、それだけで生きてはいけないことも教えなければ。あれでは学院に通えるかどうか、万一試験に通っても相当努力しなければ淑女として通用しませんよ」
「……え、そんなに?」
それは流石に拙くない? みんなが当たり前に通う貴族学院に入学出来ないなんて、嫁入り先を探す以前の問題だ。ミリアの教師達は何をしているの?
私の方が心配になって焦ってしまう。しかし、私の焦りなど知らない先生は、ミリアをこき下ろしたのと同じ声で、酷く残念そうに続けた。
「それに比べてクレア様は……正直貴族学院などに通わず、専門機関で外国語を学んで、将来は外交に関わる仕事をしていただきたいくらいです。本当に、貴女は素晴らしい」
「……そんなに私は優秀ですか?」
「はい、私が語学を語り合いたいと思った唯一の方ですから」
ふわりと笑った先生の表情が、先刻までの憂いをすべて消してしまう。
つい見とれる私に気付かず。先生は脇に避けていたノートを引き寄せて、私が提出した翻訳をうっとりした目で眺めながら、彼が素晴らしいと思う部分を指でなぞって示してくれた。
その長く骨張った指にドキッとする。
動揺を隠すのに、考え込む仕草で先生の指から視線を逸らせた。その時にはもう、心臓が早鐘の様に脈打っていた。
先生も私同様見た目は凡庸で、特別美しいわけではないのに、私は先生の何気ない仕草にいつもドキドキしている。
もちろん、理由は判ってる。
……でも私はその感情に名前は与えていなかった。
だってそれは私の目指す正しい侯爵令嬢には不必要なものだから……でも、少しだけ夢想した。
「お父様もお母様も美しくない私には何一つ期待してないですし、適当に嫁ぐくらいなら……先生と一緒にお仕事がしたいです」
「いつかそんな日が来るといいですね……」
呟き、少し淋しそうに微笑む先生も貴族。まともな令嬢の行く先にそんな未来がないことは判っていたのだろう。
私の妄想に付き合ってくれた先生も、その後無事に学院を卒業し、お勤めに出るのを機に家庭教師も終わりになった。
◆◆◆◆◆
なんて夢を見たのはもう四年も前。
結局ミリアは王子殿下を射止めることは出来なかった。
しかし出し惜しみする両親の意向もあって、長らく決まった相手がいないまま学院に入学。先生が懸念した通りの問題にぶつかり……学院ではその美貌も相俟って、ちょっとした問題児になっていた。
対する私は、相変わらず見た目は凡庸であったが、成長期を迎えてそれなりに女性らしい変化もしたし、何より学院に入学して以降、成績という目に見える成果を示せるようになったことで、侯爵令嬢の他に才女というステータスも手に入れた。
おかげで、在学中に同じ侯爵家の跡取りと婚約を結ぶことが出来た。
先方が私の学業の噂を聞いて、是非にと望んでくれたらしい。努力を認められたことは純粋に嬉しかった。
つつがなく結婚することが決まり、卒業まで登下校や休みの日を利用して婚約者と交流を図りつつ、お屋敷に通って義母になる方から未来の侯爵夫人としての教養やマナーを学ぶ毎日は、大変でも充実していた。
でも、私はまた現実を突き付けられた。
努力する私を嘲笑うように、妹の入学直後から学院で流れ始めた噂。
未婚の男女とは思えない親しさで、ミリアと私の婚約者が過ごしている。
だが、出涸らしの姉と美しい妹、婚約者の気持ちも判るし、仕方がない。
そんな、同情と嘲笑の混じった陰口が耳に入った時の私の落胆を、彼らは一度でも想像しただろうか?
はしたないと思いつつも事実を確認するため忍んで行った先で見た妹と婚約者は、確かにただの友人でも、未来の義理のきょうだいの距離でもない近さで顔を寄せ合っていた。
そこで彼の本音を聞いた。
婚約者本人は私を好いてもいないし、私を評価してもいない。私を望んだのは夫人だけで、我が家に婚約を打診した時望んだのは、美しいミリアの方だった。でも、夫人の後押しと両親の頑なさに折れて、私で妥協したのだという。
そう悲痛に訴える婚約者と寄り添うミリアの様は、引き裂かれた恋人同士のそれ。
諦めが溜め息になり、浸っている二人から視線を引き剥がして、そっとその場を離れた。
事実を目の当たりにしても、貴族の誇りに一縷の望みをかけて、平静を装おって過ごした日々。
絶望がやってきたのは、卒業を間近に控えたある晴れた日だった。先触れなく婚約者が訪れたことを告げられて、応接室へ向かった。
その場には、既に両親とミリアがいて、更にミリアは婚約者の隣に座っている。
……結局そうなるのね。
漏れかけた溜め息を飲み込んで、席に着く。口火を切ったのは婚約者だった。
「すまない、クレア。君との婚約を解消したい……」
「お姉様! 私が悪いのっ、私が彼をっ……」
「クレア、貴女はお姉さんだもの、我慢出来るわよね? ミリアのためなの……」
「クレア、お前なら婚約の重要性はわかるだろう? 今更なかったことには……」
「ミリアを好きになったのは僕の勝手だっ、ミリアは悪くない……」
「ううん、貴方は悪くないっ。私が勝手に貴方を……」
「大丈夫クレアは許してくれるわ、お姉さんだものっ、ねぇ……」
「姉妹を入れ替えれば、婚約自体は解消せずにすむっ、クレア……」
各々が各々の言いたいことを食い気味に話し続けるのが煩すぎて目眩がする。
それでも言いたいことは判った。
私の気持ちなんて誰も考えないのがね!!!
余りの馬鹿らしさに、鼻で笑いそうになってぐっと堪えた。
そして正しい侯爵令嬢になるために培った矜持を総動員して、喧しく騒いでいる四人をゆっくりじっくり見据える。
涙を流す美しい妹を取り囲んで支えるように群がっている男女は、ただただ彼女を気遣い、私の目に灯る感情を慮りもしない。
彼らは私のことなど心底どうでもいいのだ。
自棄になりかけた思考を過ぎったのは昔の記憶。
『私に言わせれば、ミリア様がクレア様の出涸しです。貴女はきっと、お母様のお腹の中からミリア様の分の賢さも持ってきてしまったのでしょう』
辛辣な言葉で私を褒めて、私を認めてくれた人の言葉。
……よし、先生に会いに行こう!!
思い浮かべた途端、スッと思考が冴え取るべき道が見えた。
「お話は判りました、婚約の解消もお好きになさってください。かわりに一つ私のわがままも聞いてくださいませ、お父様」
私が声を出した途端、それまで響いていた妹の啜り泣きが止まる。それらは無視して感情を消し、ただ父を見た。
「言ってみなさい」
「私、王宮官吏の試験を受けます」
「……何を、言っているっ。侯爵令嬢が、表に出て働くなどっ」
「では籍を抜いていただいても構いません」
それには全員が同じ反応を示した。驚愕を浮かべて顔を引きつらせる四人をまた順に見て、彼らのしようとしていることを突き付ける。
「妹に婚約者を寝取られたとあってはもう、私に真面な縁談などありませんでしょう? なら、これ以上醜聞を気にする必要もありません」
「お姉様、酷い! 寝取ったなんて、私達はまだっ……」
「事実は知りません。ですが、他人はそう思うのですよ、ミリア。ですから、今後は私もやりたいようにさせていただきます」
宣言して、毅然とした態度でその場を後にした。
◆◆◆◆◆
その後の展開は思った以上にあっさりしていた。
幸い、前侯爵である祖父が味方に付いてくれたことで、希望は叶い。長年私の努力も成果も顧みなかった家族と縁を切るため、祖父母の養女になった。
そして一年……猛勉強の末、狭き門を突破して初登城した日、私は夢にまで見た人と再会した。
「先生お久し振りです」
「クレア様」
一目見て私を認識してくれた先生に、懐かしさ以上に溢れたのは、あの頃名前を付けずにしまいこんだ感情。
見た瞬間思わず泣いてしまいそうな何かが胸を迫り上がった。
もう、押さえ込んだりしない。
だって、私はこのためだけにここまで来たのだもの。
培った令嬢としての微笑みに、押さえ切れない親しみを織り込んで、あの頃は真面に見ることすら出来なかった先生の茶色い瞳を真っ直ぐ見つめる。
「先生に一言お礼を申し上げたく、ここまで参りました」
「……お礼?」
「私は出涸しじゃないと認めてくださった先生がいたから、私は頑張れました。ありがとうございました」
五年越しの感謝。
あの日と変わらない顔で驚いた先生は、それもまた変わらない笑顔で、言ってくれた。
「私はただ……本当に、純粋に、貴女の言葉選びに感動していただけですよ。こんなに素晴らしい才能を持っている女が出涸しなんてとんでもないと、知ってほしかった」
「そのお気持ちが私を奮起させてくれたんです」
だからもう何も諦めないし、何も我慢しない。
私は私のために努力する。
先生の後を追うのではなく、その隣に並び立つのだともう決めた。
<妹の出涸し>
かつてそう呼ばれた私は、今や王太子殿下の側近の一人として各国の王族や大使と言葉を交わす立場にあった。あちらのお茶会、こちらの夜会、時には国を跨いで出掛け、国のために働いている。
……夫となった先生と共に。
当然のことながら最初は女と侮られたり厭らしいやっかみもあったが、それは既に、妹に婚約者を寝取られた出涸しと学院で陰口を叩かれた時に通過した道だ。
そんな囀りでは、私に毛筋ほどの傷すら付けられない。
止まらない私は、かつて正しい侯爵令嬢になるために培ったマナーや教養、学院での成績、そして何より私を取り巻く噂……利用出来るすべてを駆使して、自分を王太子殿下に売り込んだ。
流石先生を見出だしただけあって、王太子殿下は公正な方だった。ここに至るまでの経緯もすべてご存じの上で、実力と成果で私を評価し何かと目を掛けてくださったこと、本当に感謝している。
私にとっては先生のそばにいるための手段の一つだったけれど、感謝を忠誠に変えて、殿下には誠心誠意お仕えした。
その行動は当然あらぬ誤解も受けた。
……しかし、もちろんそれも織り込み済み。
牽制にやって来た王太子妃殿下と取り巻きに、これまでの人生と先生に対する切なる想いを打ち明けると、彼女達は涙を流して私への支援を約束してくれた。
そして、それも計算通り、私の想いは妃殿下を通じて王太子殿下の耳にも入り……愛を得ようと邁進する私を殿下は好意的に受け入れ、先生との仲を取りもってくださった。
先生の部下になって数年。
先生が宰相補佐官に昇進したのと同時に、私も正式に王太子殿下付きの外務官となることが決定して、先生からプロポーズを受けた。
「ありがとうございます。私を出涸らしではないと認めてくださった先生を、私もずっとお慕いしていました」
先生と出会って十余年。
やっと名前を与えた感情を先生に告げ、念願叶った瞬間は、難解な文章の翻訳を終えた時よりもずっと大きな幸福で私の胸を満たし……以後も、その幸福はずっと続いている。
それはこれからも続くだろう、先生が私のそばにある限り。
……そういえばミリアと元婚約者の想いは、残念ながら実らなかった。
私は二人がどうなってもよかったのだけど、先方の母親と私の祖父母、そして何より世間が許さなかったのだ。
婚約者たる姉を捨てて妹に乗り換えた男と姉の婚約者を寝取った女の幸せな結末は、貴族社会として受け入れてはいけないものらしい。
愚かな行為の見せしめとして二人は引き裂かれ、社交界を追われたのだ。
……ざまあみろ。
ずっと私をないがしろにしていた実家にも、夫と結婚する時に報告の手紙を出したきり、一度も戻っていない。爵位もない男に嫁ぐなんて許さないとお父様がお怒りだったらしいけど、無視した。
その後何も言ってこないところを見ると、もしかしたらこっそり誰かが何事かしてくださったのかもしれない。
その証拠に、夜会などで両親を見掛けることがあっても決して近寄ってこないもの。遠巻きに私達を見て、オロオロしているだけ。
最近になって王太子殿下から、私達の子供に実家を継がせるお話をいただいた。妹に婿をとることが事実上不可能なので、父の娘で、書類上妹の私の子に継がせるのが当然となったらしい。
正直、今更実家などいらないが、殿下に勧められては断るのも角が立つ。夫と相談して受け入れる予定だ。
そんな私の努力と人生は、美談として社交界で噂され、知らない人はいない。
我ながらよく頑張ったと自分を褒めながらやはり思う。
<妹の出涸し>はやっぱり言葉として間違っていた……と。
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