母さん
小田勇気(主人公) side
有沢雪乃のレコーディングは上手くいってるだろうか? もう、終わった時間だろうか? さすがに日も暮れたし無事に終わっていればもう帰宅していてもおかしくない時間帯だ。
なんとなく有沢の姿を思い浮かべていたら急に俺が前世で作曲した曲を引きたくなった。
ピアノのある部屋に移動して鍵盤に手を置く。
もし、彼女、有沢雪乃に次に歌って欲しい曲はと聞かれたら間違いなくこの曲だ。
俺は目を閉じてピアノに集中する。彼女を考えながら演奏すると指が軽く感じる。軽快な旋律が部屋を満たすように溢れ出した。
◇
演奏が終わると軽く息を吐く。
ぱちぱちぱち――。
突然背後から拍手が聞こえてきて、驚いて振り向くと母さんが立っていた。
「素晴らしい曲と演奏だった」
「母さん、帰ってきてたんだ。おかえり」
「ただいま、勇気。……やっぱり今からでも音楽学校に編入しないか?」
「突然なんだよ、母さん……高校は今通ってる所でいいって決めただろ」
「そうだったね……。ところで、今の曲も勇気のオリジナルかい?」
母さんの質問に頷きながらピアノを鍵盤を軽く撫でる。
「そうか。勇気、キミには作曲者として大きな翼があると昔から言っていたが……何故、それほどの翼を持ちながら飛ぶのを怖がっていたんだい?」
「別に怖がってなんかいない……」
作曲家になる、ならないの話は子供の頃から何度もしてきた。
母さんの言葉の言い回しに少し疑問を抱きながらも、俺としてはあまり触れられたくない話題だったので思わず母さんから目をそらしてしまう。
「そうだね……勇気。キミは昔から聡い子だった。自分が周りに与えてしまう影響を分かっていたのかもしれない。それなのに、どうして今になって表舞台に立とうと思ったのか不思議に思ってしまってね」
「何の話?」
「……ノーネームって作曲家だけれどキミだったりしないか?」
突然母さんからノーネームの名前が出てきてドキッとして母さんの顔をまじまじと見てしまう。
まだ曲は発表されていないのにどこからその名前を聞きつけたのだろうか。
「別に……怒ってる訳じゃないよ。そう、やっぱり。あれだけの曲を作曲出来る天才なんて勇気意外にいる訳ないと思った」
母さんには俺の前世の曲を子供の頃から何度か聴かせてしまっている、どうやら俺がノーネームだと確信してしまってるようで今更誤魔化す訳にもいかなくなった。
「俺は天才なんかじゃないよ……」
「勇気は間違いなく天才だよ、私が保証する。けど、あれだけ私が言っても頑なに作曲家になるのを嫌がっていたのに急にどうしたんだい? どうして彼女だった?」
母さんは純粋な興味で聞いてくる。
「別に……偶々だよ。たまたま同じクラスで困ってそうだから手を貸しただけ」
「そうか、でも勇気の曲、今日のレコーディングスタジオで少し騒ぎになったよ。きっと曲が発表されればもっと大きな騒ぎになる。ノーネームは誰だって皆躍起になって探し始める。音無プロの社長は拷問されても絶対に口を割らないって言っていたけどね」
俺が音無プロダクションに楽曲を提供する条件として俺の事を出来るだけ秘密にする事を条件としてもらった。
しかし、今はそれより気になる単語があった。
「騒ぎ? 有沢さんになにかあったの?」
「別に大したことじゃない、ただ勇気の曲が欲しいって騒いだ子がいただけ。それより、勇気、母さんは今すごく嬉しい」
嬉しいと言った母さんの表情は嬉しさと同時に心配が入り混じっている様にも見えた。
「キミは作曲家としての一歩を踏み出した。勇気の曲は沢山の人にいい影響を沢山与えるだろう。今までの曲ではダメだった子も勇気の曲なら輝ける、そんな子たちが沢山いる、今日の雪乃くんのように。そういう人たちに夢を与えられるのは素敵な事だと思う」
「そう……かな」
俺の曲が他のたくさんの人にいい影響を与えると言ってもらえて素直に嬉しい。
「あぁ、勇気の曲を沢山の子達が欲するだろう。それを聞いた人々も君の曲を望むようになる。もしかしたら、勇気……キミの曲だけを望む声で世界は溢れかえるかもしれない。……他の作曲家達を押し退けてでもプロとしてやっていく、勇気にそこまでの覚悟はあるかい?」
「……母さん、さっきどうして有沢さんに楽曲提供したか聞いたよね。俺はずっと待ってたんだ」
「待つ? 何をだい?」
「俺を満足させてくれる音楽ってやつを……かな。有沢さんを選んだのは本当は偶々なんかじゃないんだ。俺にはすぐに分かった、彼女にはすごい才能があるって……だから曲さえあれば輝けるって思った。でも、その曲はこの世界にはない、存在しないんだ、だから自分で、自分の好きを、満足できる音楽を広めていこうって思ったんだ。だから彼女を選んだ。正直、プロとしてやっていく覚悟はまだ無いかもしれない。でも、俺は期待してるんだ。俺の音楽を聴いて世界の音楽が変るんじゃないかって。その為なら俺は他人を押しのける覚悟がある、多くの作曲家達を潰す事になっても俺はこの世界の音楽を変えたい」
「そうか……世界を変えたいか。正直に言うとそこまで言えてしまう勇気が少し怖い。それが出来てしまいそうな所もね。そして、母親の癖にキミの才能に醜くも嫉妬してしまい、同時にそこまでの才能がなかった自分が悔しい」
きっと今のは母さんの本音なのだろう。
それでも、母さんは俺を優しくそっと抱きしめてくれた。
「……すまない、勇気。作曲家としても母親としても不甲斐ない私を許してくれ」
俺も母さんの背中に手を回して抱きしめる。
「ううん、いつもありがとう母さん。俺、頑張ってみるよ作曲家として、母さんが言ったように沢山の人に夢や希望を与えられる、そんな作曲家になれるように」
「あぁ……頑張りなさい。全く、中々飛び立たない手のかかる子だと思ったが、いざ飛び立つとなるとやはり寂しいものだな、そして高く遠くまで行ってしまう。……勇気、やるなら全力でやりなさい、そしてもし何かあれば私を頼ってくれ。親としても作曲家としても勇気の力になると約束しよう」
「ありがとう母さん。やっぱり、母さんは作曲家としても母親としても俺が知る限り最高の人だよ」
そう言って俺たちは笑い合った。