レコーディング
有沢雪乃に楽曲を提供してから数日がたった、俺が学校に行くと有沢雪乃と雛田千鶴が既に楽しそうに談笑していた。
俺は自分の席に鞄をおいてから二人に挨拶をする。
「おはよ、二人とも」
「おはようございます」
「おはようございます。聞いてください、小田君。有沢さんがデビューする曲が決まったそうなんです」
雛田は、まるで自分の事の様に嬉しそうに有沢のデビュー曲が決まった事を教えてくれた。
それは、俺が有沢の事務所に送った曲なのだがそこは黙っておく。
最近、暗い表情が多かった有沢も明るい表情を浮かべており心の底から良かったと思う。
「そうなんだ、有沢さんおめでとう。本当によかった……」
彼女なら俺が渡した曲と真剣に向き合ってくれる事だろう。
「は、はぅ……」
「お、小田君、そんな優しい表情を向けられると……私と有沢さんにはちょっと刺激が強いって言うか……」
「ごめん、もしかして変な顔してたか?」
「う、ううん、すごくカッコいいよ! あっ、じゃなくて、カッコいいけど……変じゃないって言うか……えっと、その――」
「あ、有沢さん落ち着いて。えっと、小田君の表情が少しきゅんと来たと言うか何と言うか……」
アタフタする二人の様子がおかしくて思わず吹き出してしまう。
「あっ、笑うなんてひどいです」
「そうです、小田君」
「ごめん、二人があまりにも可愛らしかったからつい。それで曲が決まったんだって?」
「はい、今どんな曲なのか有沢さんにお聞きしていた所なんです」
「そうなんだ、俺も有沢さんの曲すごく楽しみだな」
「ありがとう二人とも。私の曲は、有名な人が作ってくれた訳じゃないんだけれど、本当の本当にいい曲なんです。私も一度聞いただけですごく気に入ってしまって何度も聴いてしまいました」
どうやら有沢もあの曲を気に入ってくれたようだ、よかった。
「そんなにいい曲なんですね。よかったですね! もう、CDの発売日とか決まってるのでしょうか?」
「それはまだ……まだレコーディングとかもしてないので」
「そうですよね、でも発売したら絶対に買います。ね、小田君」
「あぁ、有沢さんの声は凄く綺麗だから楽しみだよ」
「ありがとうございます、二人とも。曲に負けない様に一生懸命歌います」
そう言って彼女は胸の前で両手の拳を握って気合十分と言った感じだ。
そして、その笑顔は彼女本来のとても素敵な笑顔だった。
◇
あれから数日後。
小田達との穏やかな日々が少し過ぎ、とうとう有沢雪乃はレコーディングの日を迎えていた。
レコーディングスタジオには雪乃の所属している事務所の社長である音無が同行してくれていた。
「雪乃、とうとうこの日が来たわね。いっぱい練習してきたし、あとはもう当たって砕けるくらいの気持ちでいくわよ」
「音無さん、砕けちゃダメですよ……」
「そうね、まぁ、ちゃんと撮り直しする時間もあるから気楽にいきましょ」
そして二人がスタジオの中に入っていくと入口付近で一人の女性が雪乃と音無に気が付いた様で近づいてきた。
雪乃にはその人物が誰かは分からなかったが音無は面識があるようで挨拶をしていた。
「ご無沙汰してます、小田先生」
「こうやって会うのは久しぶりですね、音無社長。この前はお力になれずに申し訳ない」
小田先生と呼ばれた、40歳前後の女性は音無と雪乃に頭を下げた。
小田と言う苗字に雪乃はクラスメートの少年を一瞬だけ思い浮かべたがすぐに頭の隅に追いやる。
「いえいえ、小田先生には作曲家の方達を何人も紹介していただいて、本当に感謝しています」
「そうですか、それより、そっちの子が?」
「はい、私の事務所に所属している有沢雪乃です。雪乃、この方は小田先生といって有名な作曲家の先生なのよ」
「は、はい、小田先生のお名前は存じ上げています」
「ありがとう、今日はレコーディングかな?」
「そうなんです、雪乃のデビュー曲で。先生は?」
「今日は私の作曲した曲のオケ録りだから様子を見にね」
三人が話し込んでいると、ちょうどレコーディングを終えたと思われる人達が出てくるのが見えた。
「いけない、雪乃、私は手続きをしてくるから。小田先生、それでは失礼します」
音無は頭を下げて駆け足で立ち去ってしまった。
雪乃は音無についていくタイミングを逃し、いきなり小田と二人にされてしまいどうしたらいいか分からなくなり戸惑ってしまう。
「雪乃くんといったね、キミの曲が決まって本当によかった。君がオーディション番組でされたことは音無社長から聞いたよ」
「あ、ありがとうございます。でも、あの時は私があまり上手に歌えなかったから仕方がなかったのだと思っています」
「そうか……きみはすごいな」
それ以降会話が続かず気まずい沈黙がしばらく続く。
しかし、そんな二人に声をかけるものがいた。
「あら? あなたオーディション番組でつまみ出された子ではなくて?」
雪乃が声のした方に視線を向けると一人の少女とそのマネージャーと思われる女性が立っていた。
雪乃はその少女の方に見覚えがあった、それは雪乃が笑いものにされたオーディションで合格した少女だったからだ。
「えっと、貴女は……たしか、赤羽ないかさんですよね?」
雪乃がそう尋ねると少女は当然と言った感じで答える。
「えぇ、そうよ。私、あの番組で合格して今レコーディングを終えた所なの。貴女はここで何してるの?」
「その……私も今日レコーディングで――」
「えぇっ、貴女がレコーディング?! 驚いたわ、貴方みたいな音痴に楽曲を提供する人がいるなんて」
「あぅ……」
雪乃は強く言われて何も言えなくなってしまう。
「でも、貴女程度に楽曲を託すような作曲家なんて、どうせ、無名か新人でしょう? そんな人が作ったしょうもない曲なんて出してどうするの?」
「そんなことない! ……です。名無しさんの曲は本当にすごいんです、だから馬鹿にしないでください」
「なに? 名無し? それが作曲者の名前なの? あははっ、変なのー」
「うぅ……笑わないでください、本当はノーネームさんって言う名前なんです」
「いやいや、それ意味一緒だから。笑えるー。ねぇ、マネージャー、この子のレコーディング少し見学してってもいいでしょ?」
マネージャーと呼ばれた女性は腕時計を一瞬見た後、少しなら構わないと答える。
「という訳で、見学させてもらう事にしたからよろしくねー」
「それは、面白そうだな。私もいいかな?」
今まで黙って聞いていた小田が声をあげた。
「はぁ? 誰よオバサン。この子の付き人じゃなかったの?」
「私は小田京子、作曲家だよ」
「作曲家ねー、オバサンが名無しってやつなの? と言うか小田京子って何処かで聞いたような……」
「違うね、でも、私も雪乃くんの曲に少し興味がわいた」
「そ、そんなぁ……」
初めてのレコーディングなのに見学者まで出来てしまい雪乃はとても心細い気持ちになった。
雪乃は早く音無が戻ってくる事を切に願った。