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今夜、キミは歌姫になる  作者: 臆病丸(ごん丸)
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キミが見ているのは……。

 雪乃がドアを開けてくれたので、麦茶を持って部屋の中に入る。

 そして、机の上にそれを置こうとして楽譜が出しっぱなしだったことに気が付いた。


 俺は思わず雪乃を見てしまう。雪乃は俺を見つめたまま微笑んだ。

 楽譜を見られただろうか。

 しばらく、お互い無言の時間が過ぎる。その沈黙を最初に破ったのは俺だった。


「……なにも言わないんだね」


「はい、勇気くんが言いたくない事は聞きません」


 その一言で彼女が楽譜を見たことを確信した。そして俺の正体についても恐らく……。


「ありがとう、でも聞きたい事があるなら聞いてくれて大丈夫だ」


「そうですか……では、その楽譜、勇気くんが書いたんですか?」


 雪乃はただじっと俺の目を真っすぐに見つめる。

 今更誤魔化しても遅いだろう。


「うん……そうだよ」


 俺は全て正直に話すことにした。


「勇気くんが、名無しさん……Nonameさんなんですよね?」


「……どうしてそう思ったの?」


「そんなの、見れば分かります。分かるんです私には……。名無しさんの曲を私が気付かないなんてありえません」


 雪乃はそう言って俺の胸の中に飛び込んでくる。

 彼女の肩に手を置いて支える。


「……そっか、あはは。幻滅した? 俺なんかがノーネームで……」


「してません。ずっと、ずっと私を見ててくれたんですね。こんな近くでずっと……」


 雪乃は俺の背中に手を回してぎゅっと抱きしめてくる。

 俺はそんな雪乃をみてゆっくりと息を吐いて観念する。


「うん、見てた。オーディションに落ちて落ち込んでた雪乃の事も、デビューが決まって喜んでた雪乃の事も、全部見てたよ」


「名無しさん……っ。ううん、勇気くん、私ずっと会いたかった。貴方に会いたかったんです。どうして、どうして何も言ってくれなかったんですか?」


「いや……ごめん、なんか恥ずかしくって。キミを助けたのは俺なんだって言うようなもんだったから……」


「それでも、言って欲しかったです」


 雪乃は俺の胸に顔をぐりぐりと押し付ける。

 俺は雪乃の頭を優しく撫でる。


「ごめん……」


「いいえ! いいえっ! 謝ってほしいんじゃないんです。私……ありがとうって、私を助けてくれてありがとうって言いたかったんですっ!」


「うん、よかった。雪乃の力に少しでもなれたなら本当によかった」


「はいっ、私、名無しさんと、勇気くんともっとお話ししたいです」


「そうだね、雪乃。とりあえず、離してもらっていいかな? 雪乃に抱きつかれているとドキドキしてきちゃって……」 


 俺は自分の頬を人差し指で掻く。


「ふふっ、勇気くんの心臓ドキドキしてます。少しは私のことを意識してくれたんですね……」


 そう言って雪乃は俺から離れる。

 とりあえず、立って話すのもあれなんで俺はベッドに座り、雪乃には椅子を薦めた。

 しかし、雪乃は椅子には座らず俺の隣に座る。そして、俺の手に自分の手を重ねる。


 雪乃の体温をすぐ近くに感じるし、お風呂上がりの雪乃の良い香りに頭がくらくらしてしまう。


「雪乃、なんか何時もより距離感が近いっていうか……」


「嫌ですか? 私、これでもアイドルなんです、勇気くんから見て私は魅力的に見えませんか?」


 雪乃がピタリと俺にくっつき、俺はドギマギしてしまう。


「雪乃は魅力的だ……だから少し離れた方がいい」


「本当ですか? 嬉しいです」


 雪乃の顔をまともに見る事が出来ず、視線を外す。

 それを雪乃は楽しそうに見て笑う。


「えいっ♪」


 そう言って、雪乃は俺の体を押し倒す。雪乃に押されて俺はベッドに寝ころぶ形になった。

 すぐに起き上がろうとしたが雪乃が上に乗ってきた。


「ゆ、雪乃、何を――」


 雪乃はその可愛い顔を俺に近づけて唇を重ねる。それは物語などで眠り姫を起こすかのような優しいキスだった。

 ――あぁ、なんか最近似たようなことがあったな……。


 などと一瞬だけぼんやり考えながら千鶴の事を思い出し何とか、雪乃を手で押し退ける。


 唇が離れる瞬間に、その柔らかな舌でペロリと唇を舐められる。


「キス……しちゃいました。私、アイドルなのにキスしちゃいましたね」


 雪乃は手で頬を押さえながら、うっとりとした表情で独り言のように呟く。


「……雪乃。どうしてこんな事を?」


「好きなんです、勇気くんのことが。ずっと好きでした。誰にも渡したくないくらい、好きです」


 雪乃の真っすぐな好意に嬉しく思う反面、その瞳を見て気付いてしまう。


「雪乃、君が好きなのは俺じゃない……キミが好きなのはノーネームだ」


 雪乃は一瞬だけ目を見開いたがすぐに頷く。


「そうです……名無しさんが好きです。でも、勇気くんも好きです。ずっと私の傍で見守って、支えてくれていました。愛しています、勇気くん、私は勇気くんを愛しているんです」


 そう言って、雪乃は俺に再びキスをしようとしてくるが俺は雪乃を拒絶する。

 雪乃はそれに少しだけショックを受けた様子だった。


「えっ? どうして、拒絶するんですか?」


 俺は雪乃から視線を外す。


「雪乃は俺を見ていない……」


「見てます! 勇気くんしか見えていないくらいに見ていますっ!」


「見てないっ! 雪乃が見てるのは俺じゃない、ノーネームだけだ。そんな子とキスできない」


 俺の強い拒絶に雪乃はベッドから立ち上がり、ふらふらと後ろに下がる。

 

「そ、そんな事ないです……私は……」


「雪乃は俺がノーネームじゃなかったらこんな事しないだろ?」


 雪乃はその言葉が相当ショックだったらしく、心配になるほど顔面蒼白になる。


「ごめんなさい、私……舞い上がっちゃって……勇気くんを不快にさせてしまいました」


「いや……俺の方こそごめん」


 俺と雪乃は気まずい雰囲気になりお互い無言になる。

 何となく外を見ると雨は既に上がっていた。


「雨……止んじゃったんですね。ずっと降っていてくれればよかったのに……。それでは、今日の所は帰りますね。制服はまだ濡れているのでジャージはお借りししたままでもいいですか?」


「あぁ……。その、帰りは気をつけてな」


 余り、会話もないまま俺は部屋を出て雪乃を玄関まで見送る。

 そして玄関のドアノブに手をかけた雪乃。


「勇気くん、私……」


 雪乃はクルリと回って振り返る。

 そして、俺の胸に顔を埋めて抱き着いた。


「本当に私ってバカです、こんなに近くで見守ってくれていたのに気づかないなんて……。確かに私は名無しさんが好きでした。でも、これからはちゃんと勇気くんを見ます」


「雪乃……」


「だから、私にチャンスをください」


 首の後ろに手を回され、そのまま再び雪乃にキスされる。

 ほんの一瞬の出来事だったが雪乃は恥ずかしそうに微笑み、俺から離れて逃げるように帰っていった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なんか主人公自身の魅力と作曲の才能で多くの女の子を魅了して、キャキャウフフな幸せストーリー期待してたのに、話がどんどんドロドロになっていってる…… なにこれ最高じゃん こういう展開になっ…
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