勇気が欲しい
学校が終わり放課後。
俺と千鶴は二人で千鶴の家に向かうために下校していた。
雪乃はラジオの収録があるらしく午前中で学校を早退していった。
そして今、街中を千鶴と並んで歩いているのだがCDショップの店先ではデカデカと雪乃の曲の宣伝をしているし、街の至る所で雪乃のポスターやスクリーンに雪乃が映っている。
これは昨日の番組の影響という訳ではなく、デビューが決まってから細々とした仕事を頑張っていた雪乃の成果なのだろう。
街を行きかう人の中にはそんな雪乃のポスターをスマホのカメラで撮影している人もいた。
「雪乃ちゃん、一気に人気者ですね」
隣を歩く千鶴を横目で見ながら、そうだねと答える。
そして千鶴に以前から気になっていたことを尋ねる。
「千鶴はさ、歌手を目指していたんだよね?」
「はい……そうですね。正直、アイドルとして輝くように活躍している雪乃ちゃんが羨ましいです」
「また歌手を目指さないの? 千鶴の歌唱力なら……」
絶対になれると無責任な事は言えない。でも、俺は彼女に歌手になってほしいと思った。
俺は千鶴なら雪乃のライバルになれるポテンシャルがあると考えている。このままだと芸能界は、音楽業界は雪乃の独壇場になってしまう。
それはあまり良くない様に思えた。雪乃に匹敵する存在は必要だと思う。
千鶴は俺の横顔を見つめ、それから視線を外して俯く。
「……以前にお話ししたかもしれませんが両親に反対されているんです」
「うん……。でも、千鶴の気持ちはどうなのかなと思って」
俯いていた千鶴が顔を上げ再び俺を見る。
「私は……私なんかが歌手になんてなれませんよ。それに歌手じゃなくても歌は歌えます。勇気くんの曲をネットに載せるのも楽しいですよ。私にはそれで充分なんです、十分幸せで恵まれているんです……」
そう言い笑う千鶴の笑顔を見ていると、胸が締め付けられるようで苦しい気持ちが湧き上がってくる。
「勇気くん、家に着くまででいいので、また手を繋いでもいいですか?」
俺は良いよと返事を返し左手を差し出した。
そして千鶴は「本当に私は恵まれています」と呟いた。
◇ ◇ ◇
それから千鶴の家に着くまで俺達はほぼ無言だったが家の玄関に入ると、千鶴の双子の妹である舞が仁王立ちしていた。
「ただい――」
「遅いっ!」
千鶴の言葉を遮ったその一言に俺達は呆けてしまう。
「……あぁ、ゆっくり来たからな」
「なんでよ?! 私なんて動画を確認するっていうから学校から走って帰って来たのよ!」
「舞、気持ちは分かるけど少し落ち着いて」
ぐるるっと獣のように唸る舞を千鶴が宥める。
「まぁいいわ! さぁ、勇気、お姉ちゃんすぐに動画チェックするわよ」
「いや、本当に落ち着けよ。そんなに焦る事もないだろ?」
舞は俺を睨みつけ指をさした。
「あんた達学校で何ともなかった訳?! 私の学校では今日一日中ずっとヒナ鶴か有沢雪乃の話題しかなかったわよ!」
俺と千鶴は舞の言葉に顔を見合わせた。
「まぁ、うちの学校も似たようなもんだったけどさ」
「でしょ?! あれだけ話題になってるのよ、きっとすごい事になってるはずだわ。早く見たいじゃない」
「舞、気持ちは分かるけれど動画は逃げないから。……それじゃぁ勇気くん、飲み物を用意するから舞と一緒に私の部屋に行っててもらえますか?」
「あぁ、ありがとう千鶴。それでは、おじゃまします」
◇ ◇ ◇
舞に半ば引っ張られるような形で千鶴の部屋に行く。
「はぁ、なんだか緊張したきたわ。どうしよう、私の絵をみた企業や出版社から依頼とかきてたら……」
「うん、それだけはないから安心していいぞ」
「なんですって?!」
舞とじゃれ合っていると麦茶を持って千鶴がやってくる。
「お待たせしました。それでは、動画の確認をしてみましょうか」
俺はただ黙って頷く。
どういった反応があったか少しだけ不安になる。でもきっと俺より千鶴の方がその気持ちは強いだろう。
千鶴は何でもないような様子だったが、マウスを操作する手は震えていた。
そして、パソコンを操作して動画投稿サイトを開く。
するとそこには――。
「ご、500万再生……っ?!」
舞が叫ぶように言う。
コメントやメールも凄い数が来ている。
内容は日本語だけじゃなく海外の言語でも書かれている。
「ちょ、ちょっと三日で500万再生はすごいんじゃない?! 私達有名人だわ!」
舞は狂喜乱舞と言った感じだ。
逆に千鶴は驚きすぎて言葉も出ないと言った様子。
「とりあえず、コメントを少し見てみようか」
俺の言葉に二人は同意してくれる。
コメントにはヒナ鶴の声や歌を賞賛する物、曲を褒めてくれる物がほとんどだった。
だいぶ好意的なコメントが多いので嬉しくなる。
「ちょっと、絵はまあまあってなによー」
どうやら絵の方はほどほどの反応の様だ。
「メールよ、メール。きっと企業からオファーが来てるはずだわ」
舞のポジティブな発言に笑いながら、メールの方も確認していく。
「どうやらノーネームに対する作曲の依頼や、本当に本人かという質問がほとんどですね……」
「ね、ねぇ?! これ見てよ!」
舞が慌てた様子でパソコンのモニターを指さす。
そこには、大手プロダクションからメールが来ていた。
「Kings Musicですね……」
「あ、あの業界最大手企業のキングス:ミュージックよ?! すごいじゃないっ!」
「多分キングス:ミュージックもノーネーム、勇気くんに曲の依頼でしょう」
千鶴がそう言ってメールを開くとそこには思いがけない内容が書かれていた。
「ちょ、ちょっとこれってっ!!」
舞が思わず身を乗り出す。
それはヒナ鶴宛てでキングスミュージックから歌手オーディションの案内が書かれていた。
俺は千鶴に声をかける。
「これってスカウトなのかな?」
「違うと思います。ただ、オーディションを受けてみないかという誘いのようですね」
「でも、すごいじゃない! 二次選考からの参加でいいって書いてあるわよ!」
どうやらスカウトという訳ではなく、途中からの参加でいいからオーディションを受けてみないかという誘いのようだった。
「……後で、お断りのメールを送っておきますね」
千鶴は何とも困ったような笑顔を浮かべメールを閉じる。
「なんでよ?! お姉ちゃん、ずっと歌手になりたいって言ってたじゃない!」
舞の言葉に千鶴は首を横に振る。
「オーディションの誘いが来たのは私の力じゃないから……勇気くんの曲の力だよ」
「そんなこと――」
「そんな事ないっ!」
俺は怒鳴るような声を出してしまう。
「千鶴の力だよ、千鶴の歌が認められたんだ。それに千鶴だって本当は歌手になりたいんじゃないのか……?」
「私は……もう、なりたくなんて――」
千鶴は俺から目を……顔をそらす。
でも、俺は千鶴を逃がさない。
「千鶴、本当の事を言って欲しい。俺は歌手になった千鶴の歌が聴きたいよ、そして大勢の前で俺の曲を歌って欲しい。夢を掴んで、幸せになった千鶴がみたいんだ」
「勇気くん……」
「お姉ちゃん、私も勇気と同意見かな。それにね、私知ってるよ。お姉ちゃんが今も一人で歌の練習してること。お父さんとお母さんの説得は難しいかもしれないけれど私も一緒にお願いするからもう一度目指してみなよ」
「舞……。二人ともありがとう」
千鶴の瞳から綺麗な涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「私も、もう一度だけ頑張って挑戦してみたい。でも、私は意気地なしだから……辛い事があったら心が折れてしまうかもしれません」
千鶴は潤んだ瞳で俺を見つめる。
「私に歌手を目指す勇気をくれませんか?」
「あぁ、もちろん。俺が傍で千鶴の事を見てる、千鶴が頑張ってる所をちゃんと見てるから、キミは俺の――」
最後まで言葉を言う事が出来なかった。
気が付くと、千鶴の顔がすぐそばにあって、思っていたよりもあっさりと唇にふわりとした感触が来る。
千鶴は腕を俺の首に回し、唇を押し付けてくる。驚いたが俺はそれを受け入れ、彼女の体を優しく抱きしめた。
初めてのキスに息をすることも忘れ、息苦しくなり何方ともなく唇が離れる。
「ぷは……っ、勇気を出すためのおまじないです」
真っ赤な顔の千鶴との距離は未だ近い、彼女の体温を感じられるほどに。
「もう一度だけ、いいですか……? 私が歌手を目指すためのにはもっと勇気が必要です」
「うん……千鶴は絶対に歌手になれるよ。俺はそう信じて……確信してるよ」
彼女が歌手になれるまで、夢を掴むまで俺が彼女のそばで支えよう。
「ありがとうございます。もし、私が歌手になれたその時は……彼女にしてください」
最後の言葉はとても小さかったがはっきりと聞こえた。
千鶴がとても可愛く愛おしく感じた。
「返事は歌手になってから聞きます」
「千鶴は意外と……大胆で臆病だね」
「ふふっ、そうですよ――」
俺と千鶴の距離は再び近づいていき――。
「お、終わった? ……あっ、ごめん、まだだった? えっと、ごめん、私はもう部屋に戻ってるねっ! あはは」
舞がいたことをすっかり忘れていた。
舞はそそくさと部屋を出ていく。
俺と千鶴は固まったまま舞を見送り、そして――。
「「~~~~~っ!!」」
声にならない叫びをあげた。




