有沢雪乃:変化
星野の演奏が終わり、次は雪乃が演奏スタジオに向かう。
すると、ちょうど演奏を終えた星野と出会った。しかし、無言で星野に頭を下げてすれ違う雪乃。
「私は全力を出した、次はキミの番だ」
星野はすれ違いざまにその言葉を雪乃だけに聞こえる声で呟いてスタジオを後にした。
しかし、その言葉は雪乃にはひどく軽い物に思えた。
あれが、あの程度が本当に本気だったのかと。
◇ ◇ ◇
丁度そのころ雪乃が演奏の準備をしている間、スタジオでは司会と赤羽ないかが場を繋ぐためにトークをしていた。
「それで、ぶっちゃけ、赤羽さんは有沢さんをライバル視している感じですか? 同じ新人アイドルですし、年も近いですよね?」
「えぇー私なんて全然ですよぉ。有沢さんには到底敵うなんて思っていません。稲葉さん(司会)だって有沢さんの曲を聴いたことあるなら分かりますよね? 本当に素敵な曲で羨ましいです」
「確かにあれはすごいですよね」
「はい、あっ、Noname先生見てますかー? 次の楽曲は是非この赤羽ないかにお願いしますねー」
赤羽ないかはカメラに笑顔で手を振りながらアピールする。
「こらこら、勝手にアピールしない」
司会が赤羽ないかを注意し、会場が笑いに包まれる。
赤羽ないかは何気にトークが上手かった。
そんな中に演奏を終えた星野聖華がスタジオに戻ってきた。
「お疲れ様です、星野さん。気合の入ったいい演奏でした」
司会の言葉と共に拍手で迎えられる星野。
星野はそれに軽く手を振って答える。
「さて、いよいよ有沢さんの曲の準備が整ったようです。では、さっそくお願いしましょう。有沢雪乃、デビュー曲で『恋を識らない君へ』です」
司会がそう言った所でスタジオのカメラが雪乃のいるスタジオに切り替わる。
そして雪乃が画面に大きく映し出され、息を吸い込んだ。
イントロが流れた瞬間に、雪乃は踊り始める。
そのダンスとメロディだけで、スタジオ、そしてその番組を視聴していた多くの人々が雪乃の世界へ引きずり込まれる。
そして、優しく艶やかに歌い出す雪乃。
会場の誰もがその魅力的な歌声に、魅惑的なダンスに夢中になる。いや、ただ一人、赤羽ないかだけは冷静に雪乃のパフォーマンスを見ていた。
――あの女、レコーディングの時よりも歌が上手くなっている。
赤羽ないかは画面に映る雪乃を睨みつけ、それから近くに座っている星野聖華をちらりと見た。
星野は「なんだこれは……」と呟く。
曲だけのせいではない、歌もダンスも雪乃の方が星野のパフォーマンスの数段上を行っていた。
星野は完全に雪乃の演奏にのまれて、ただ固唾をのんでみている事しか出来ない。星野は雪乃のリハーサルを見ていなかったので、雪乃の生演奏を聴くのは初めてだった。
そして、赤羽ないかはアレと比べられる星野に少しだけ同情した。
――だから言ったじゃない。あれには敵わないって……。私達にも必要なのよ、魅力的な楽曲が。でも、今回はそれだけじゃ無いわね。星野さんは可愛そうだけれど歌もダンスもあんたが上よ、雪乃。
赤羽ないかはそっと目を伏せてから、再びモニターに映る雪乃に目をやり見つめるのだった。
その後、雪乃の演奏はその生放送番組の最高視聴率を記録した。
◇ ◇ ◇
雪乃が演奏を終えてスタジオへ戻ると、番組の終了時刻が迫っていた。
演奏の感想を軽く言った後に、司会がまた来週と言ってカメラに向かって手を振り、画面がCMに切り替わる。
スタッフの『はい、オッケーです』という声が響き渡り、雪乃にとっての初めての生放送番組は無事に終了した。
しかし、番組が終了したにもかかわらず全く動くことの出来ない者がいた。
それは星野聖華だった、彼女は放送が終わったのにもかかわらず、俯き動くことが出来なかった。
雪乃と自分のパフォーマンスの圧倒的な差に動けなかった。
「星野さん、撮影は終了しましたよ、どうかしたんですか?」
撮影スタッフが声をかけた事で星野はやっと我に返り、ゆっくりと立ち上がるとフラフラとした足取りで歩き出す。
雪乃の隣でそれ見ていた赤羽ないかが一言呟いた。
「あーぁ、トップアイドルたるものが情けないわねー」
「えっ?」
その言葉にポカンとしてしまう雪乃。
赤羽ないかが雪乃を睨みながら告げる。
「アンタ、分かんないの? アンタのライバルどころか前座にしかならなかったことに気付いてああなってるのよ。トップアイドルがね」
雪乃は一瞬、赤羽が何を言ってるのか理解できなかった。
しかし、それを理解した瞬間雪乃は激しい怒りを覚える。
まるで雪乃の心を見透かしたような、その言葉を否定したかったのだ。
「そんな訳ありません! 星野さんの演奏は素晴らしい物でした。前座なんてあるはずがありません!!」
雪乃にとって星野は全力を出して戦ったライバルなのだ。たとえ、彼女の演奏を見て感情が動かなかったとしても。
赤羽にそう言い放ち、星野の元へ行こうとする雪乃。
「アンタ馬鹿なの?! アンタが行ったら――」
雪乃を止めようとする赤羽ないかだったが雪乃はそれを聞かずに星野の元へと向かう。
赤羽ないかは雪乃に私は止めたからねと言っておく。
それでも、雪乃はフラフラと力なく歩く、星野に歩み寄って声をかける。
「星野さん、お疲れ様です。私、今日の星野さんの演奏すごいと思いました。流石トップアイドルなんだって思いました。私は星野さんのライバ――」
「――っ、馬鹿にするなっ!!」
雪乃が言葉を紡ぐよりも早く星野が叫んだ。
雪乃の瞳は驚きと動揺で揺れ動く。
星野は分かっていた、雪乃が星野のパフォーマンスを本気で凄いとは思っていない事、ましてやライバルだなんて微塵も思っていなことを。
「私はっ!! 今日の私はキミの、有沢さんの前座にすらならなかった! それ以下だったっ!!」
「そんな……そんなことは……」
「私は、私はこれでもトップとして誇りを持ってやってきたっ!! だが……何がトップだっ、全力だっ! 私は全てを出し切ったつもりになっていただけだった……キミには遠く及ばなかったっ! 今日の私はキミのライバルなんかじゃない、ただの道端の石ころと同じだっ、キミの視界にすら入っていないっ!」
星野の悲痛な叫びにスタジオにいる人々の視線が集中する。
その時、スタジオの扉がバタンという大きな音を立てて開き、一人の女性が息を切らして入ってきた。いや、飛び込んできたと言った方がいいだろう。
そして、女性は星野聖華に近づいて歩いていく。
「星野くん……無事では、なさそうだな」
「小田……先生っ! どうして……ここに……っ」
スタジオに飛び込んできたのは、星野の曲の作曲を担当している小田京子だった。
「何となくだが、何かが起こってしまう気がしてね……。テレビ局の関係者に無理をいって入れて貰ったんだ」
星野は小田に縋りついて声を出して泣き出した。
「先生っ、すみません。私……私っ! 先生の曲を活かせなかった!! 自分がトップだって事に驕って努力を怠っていたっ!!」
小田は優しく星野を抱きしめながら背中を叩く。
「そんなことないさ……キミは十分頑張っていた、それは私が一番知っているとも。そして、謝るのは私の方だ星野くん、本当にすまない。私では……私の曲ではキミの魅力を引き出せなかった。キミのせいではない、だから自分をそんなに責めるな」
「違う、違います先生っ、先生……っ! 私は――」
「今回、星野くんが負けたのは作曲家として力がなかった私の責任だ。だから自分ではなく私を責めてくれていいんだ……」
小田は星野の背中を優しく叩きながら雪乃に目を向ける。
「有沢くんだったね。……キミの曲はすごい、凄すぎるほどだ。その所為で、キミ自身の評価が少し低くなっていた様だ。だが、その認識は今日で改めさせてもらうよ、流石Nonameが選んだだけの事はある、キミ自身も紛れもなく天才の、それも努力ができる部類の人間だ。……少しは自分の凄さも自覚しておいた方がいいだろう」
「そんな、私は……」
「頼むから否定はしないでほしい。これ以上星野くんを傷つけないであげてくれ……」
その言葉に雪乃は言葉を紡げなくなる。
そして、小田は再び星野に向き直る。
「星野くん、私はキミの作曲から降りる事にするよ……」
「――っ! そんな、ずっと一緒にやって来たじゃないですか?! 私がダメだからですか?! 私もっと頑張ります、今度こそ……だから……」
見捨てないでと言う星野の声に力はない。
「星野くん、キミも分かっているだろう。私ではキミの魅力をこれ以上引き出せないと」
「でも、でも……そしたら私は誰に曲を作って貰えばいいんですかっ?」
「……私の知り合いに、一人だけすごい作曲家がいる、その人に頼もうと思っている。まだ話はしてないが、実の娘の様に思っているキミのためだ、私が頭を下げれば嫌とは言わないだろう」
「その作曲家って誰ですか……小田先生以外の作曲者なんて……嫌です、他の人なんて考えられません」
「ありがとう星野くん、でもキミの曲はこれからNonameに頼もうと思っている」
小田の発言にスタジオに残っていたアーティストがざわつく。
「星野くん、Nonameに会ってみないか? キミの曲を作曲してくれるように私から頼んでみるつもりだから」
「先生……私――っ」
星野が言葉を紡ごうとした瞬間に反応した少女が二人いた。
「私も――」
「私にも紹介してよっ!!」
雪乃と赤羽ないかの二人だ。
しかし、小田は二人を交互に見つめ、首を横に振った。
「……ここで名前を出したのは失言だった。すまないが、Nonameは恥ずかしがりやなのでね。星野くん以外を会わせる気はないよ」
「そんな……」
「そんなこと言わないで会わせなさいよ! 私にも曲を作るようにお願いしないといけないんだから」
「今回はずっと可愛がってきた星野くんだから会わせるんだ。悪いが遠慮してくれ」
小田の言葉に、雪乃は黙り、赤羽ないかは悔しそうに唇をかむ。
「諦めない! 私は諦めないからねっ!」
赤羽ないかはそう言うとスタジオを飛び出していく。
その後、小田は星野を立たせてゆっくりとスタジオから退室していく、雪乃はそれをただ黙って見ていた――とても冷たい視線で。
そんな雪乃の心情は今日一番激しく波打っていた。
彼女、星野聖華がNonameと会う。それは雪乃にとって到底受け入れられるものではなかった。
雪乃の心をどす黒く醜い感情が支配する。
――私だって名無しさんに会ったことが無いのに……。トップアイドルだからって許されるの?
雪乃は今までの人生で一番と言えるほど激怒していた。
――あの人は、名無しさんの楽曲に相応しくない。……才能もないくせに努力すら怠る人に名無しさんが楽曲を提供する価値なんてない。
トップという事に胡坐をかいてダンスや歌の練習を疎かにしていた、星野聖華。そして、さらに自分の力の、才能の無さを楽曲の所為にする小田と星野を雪乃は心の底から軽蔑してしまった。
確かに曲の力は大きいだろう、しかし、もし仮に星野がノーネームの曲を歌ったとしても雪乃に勝てないと言い切れる。それだけの差が雪乃と星野にはある。
それなのに彼に頼ろうとする彼女らが雪乃の心をよけい苛立たせる。
そんな、雪乃に彼女の所属する事務所の社長である音無が心配して声をかける。
「雪乃……」
「社長……私も、名無しさんに会いたいです」
そんな雪乃の言葉に音無は俯く。
「それは出来ないわ。それがノーネーム先生との約束だから……」
「そうですよね……無理言ってすみません」
しょんぼりとした元気のない雪乃に音無は声をかける。
「雪乃……辛いかもしれないけれどこの世界は弱肉強食なの。貴女のアイドルとして皆を笑顔にしたいって気持ちはとても素敵な物よ。でも全員を笑顔にする事は絶対に出来ない。この業界で雪乃が生き残る為には他の歌手を、アイドルを潰してでも生き残らなくちゃいけない。それはトップアイドルと言われている星野さんも同じなの。次は貴女を本気で潰そうとしてくるはずだわ。それだけは覚えておいて……」
雪乃は音無の言葉に返事をすることも頷くこともしなかった。
ただしばらくの間、小田と星野の出て行った出入り口を見つめ考えていた。
――彼に、彼の楽曲に相応しくない邪魔な石ころは私が排除してもいいよね。だって、私は名無しさんに選ばれたんだもの。




