約束
放課後、俺は雛田千鶴と一緒に下校していた。
しかし、千鶴の足取りは重く元気のない物だった。
その理由が――。
「すみません、小田君。私がお財布を落としてしまったせいで……買い物デートする予定でしたのに」
「気にしないで大丈夫だよ。それよりお財布が早く見つかるといいな。警察の人も見つかったら電話くれるって言ってたしきっとすぐに見つかるさ」
「はい、お財布はしょうがないとしても折角のデートだったのに……」
どうやら彼女は俺とのデートを楽しみにしてくれていたらしい。
今朝にあんな顔を真っ赤にしながら誘ってくれたのになんだか少し可哀そうな気がした。
「そうだ、今日は出かけるのは止めて雛田さんの家に遊びに行ってもいいかな?」
千鶴はとても驚いた表情で俺を見た。
「えっ、私の家ですか?!」
この世界は男女の関係が色々反転してるので男が女性の家に遊びに行くのは色々問題がありそうな気もしないでもないけれど、彼女は理性的だし大丈夫だろう。
「うん、お家デートってやつ? お金も使わないしダメかな」
「えっと、ダメじゃないです……けど、小田君はいいのですか? その私の家に来るって事は、その……」
「もちろん、雛田さんの事は信頼してるからね」
俺が彼女の瞳を真っすぐ見つめながら微笑むと彼女は頬を染めて、すぐに顔を逸らしてしまう。
「は、はい。今日は妹と使用人しか家に居ませんけど、いいですか?」
……使用人ってなんだろう。
「あっ、うん、じゃぁ雛田さんの家にお邪魔させてもらうよ」
「は、はい。えっと、小田君、これって一応デートでいいんですよね?」
「うん、俺はそのつもりだけれど?」
俺がそう言うと彼女は左手を差し出してきた。
「手……繋いでもいいですか? デートなので、その……家の近くまででいいですから」
彼女はとても緊張していますという雰囲気でそう言った。
なんだか、普段はとても余裕がある彼女の意外な一面が微笑ましくて思わず笑ってしまう。
「エスコートお願いします」
俺はそう言って彼女の手をそっと握った。
「はい、任されました。……私もっと小田くんと仲良くなりたいです。だから今日はデートよろしくお願いしますね」
彼女の笑顔はとても眩しい。
◇ ◇ ◇
雛田千鶴の家は名家だとは聞いていたがとても大きな敷地を持った家だった。
俺達は千鶴の家の玄関で、別の学校の制服を着た千鶴の双子の妹とばったり出くわした。
千鶴の妹は双子と言うだけあって千鶴にそっくりでやはり美人さんだった。しかし千鶴と違って少し釣り目で気が強そうなのが印象的だったが、俺を見て「えっ?! お、おと、男連れてきたっ?!」とすごい取り乱していた。
妹によろしくと声をかけると少し睨まれた、何でだろう。
千鶴の部屋まで一緒に付いてきそうな妹を千鶴が説得したりと、そんなやり取りをしてようやく彼女の部屋に案内してもらう。
千鶴の部屋は女の子らしい綺麗な部屋だった。ぬいぐるみや机の上にノートパソコン、部屋の隅にピアノ、そしてポップガードの付いたマイクやギターなど明らかに音楽をやっている形跡があった。
「……なんだか男の子が自分の部屋にいるってなんだか不思議な感じですね」
千鶴ははにかんだ様子でそう言う。
しかし、俺は千鶴のそんな言葉など殆ど聞いていなくて、ギターの方に近づいてそっと触れ千鶴に尋ねる。
「ギター……やってるの?」
「はい、ギターだけはもう何年も。私は……歌手を目指していたので」
「歌手? 目指してたって事は……」
そんな俺の言葉に千鶴は苦笑いを浮かべる。
「はい、諦めちゃいました。路上ライブとかやっていたんですけれど人気は全然でなくって。それに家族にも反対されていたので」
「……路上ライブ」
千鶴の言葉に一人の少女が思い浮かぶ。
数カ月前、まだ俺が中学生の頃に作曲した曲を渡した少女がいた。歌を聴かせてくれる約束をしたが約束の日に彼女が現れる事は無かった。そして、楽譜を渡してから彼女の姿を見ていない、楽譜を渡した時あんなに嬉しそうだった彼女が何故約束の日に現れなかったのか未だに分からないが、事故とか事件とか何もなければいいけれど……。その彼女もこんなギターを持っていたっけ。
一度だけでも彼女の声であの曲が聞きたかった。
そんな、思考の海から千鶴の声で引き戻される。
「小田くん……一曲だけ聴いてくれませんか?」
雛田千鶴はそっと俺に向かって手を伸ばした、俺はギターを彼女に渡す。
「あぁ、聴かせて欲しい、雛田さんの曲を」
千鶴はギターを手に取りワンフレーズだけメロディーを紡いで、にこりと笑って俺を見た。
俺はその曲に、その歌声に動けなくなる。
だって、その曲は俺があの子にあげた曲だったから……。
「私の事覚えていてくれていますか? ……約束を破った私を恨んでいるかもしれませんね」
千鶴は表情は笑顔のままだが、不安と緊張でその体は震えていた。
「雛田さん、キミは……」
「お久しぶりです、勇気くん。約束の歌を……もう一度だけ歌うチャンスを私にくれませんか?」
そう言って雛田千鶴は深く頭を下げた。




