表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

入道雲

作者: 千日紅

 俺は、小林のことが嫌いだ。


 越境入学した中学校は、友達がいない。勉強はもとから好きじゃない。小学校みたいに、面倒見のいい担任がいるわけじゃない。教科ごとに目まぐるしく大人は変わり、俺はまんまと置いていかれた。

 友達はいないまま、俺は自分に似た奴らとつるみ始めた。午後になると、俺たちは陽だまりの猫よろしく、机に突っ伏して寝たふりを始める。

 そんな時に、「おい」と言ってくるのが小林だった。

 小林は絵に描いたような優等生だった。あいつと同じグループになったのが運の尽き。話し合いも、実験も、あいつは俺に指図した。あいつの意見は正しく、まっすぐで、俺のささくれだった神経を逆撫でにした。

 肩をゆすった手を思いきりはたき落とす。振り向いた顔に『キモイ』と言い放つ。怒ったあいつに、思いきり馬鹿にした顔を向ける。

『は? お前、うぜぇんだよ、死ねば』

 小林の傷ついた顔は、冷えたコーラくらい俺を潤した。甘ったるくて、喉をちくちく刺して、呑み込み切れない空気が俺の口からあふれ出る。

 すぐに先生の(こんな時ばかりあいつらは先生面をする)知るところとなって、親に連絡が入った。SNSのログは、俺にとって致命的な証拠となった。親は俺から魔法の箱を取り上げ、そんなことやってる暇があるなら勉強しろと言った。


 そして、梅雨がやってきた。

 小林は俺に関わらなくなった。俺も、小林のことを無視することに成功した。小林はテストでいい点を取り、ガリ勉たちとキャッキャして、俺は回答用紙を丸めてカバンに突っ込み、仲間と昨日のお笑い番組のことでゲラゲラ笑う。

 給食も、掃除も、俺達は関わらぬまま、日々は過ぎる。


 そんなある日、俺と小林だけが、先生の手伝いに残された。俺は不運を呪ったが、小林は淡々とホチキスを紙の束に当てていく。パチンパチンと規則正しくステープラーの音が鳴り、俺は居心地悪く窓の向こうを見た。

 入道雲がむくむくと盛り上がっていた空も、夕暮れに染まり始めている。

「おい」

 俺の手元に、ステープラーとプリントが突き出される。

「早くやれよ」

 小林が俺に話しかけたのだ。小林は俺を見もせず、いつもの、他の奴らに向ける誠実さのかけらもない態度で、俺に接した。小林は、俺にそんな風にしてもいいと思っているのだ。

 そう理解して、なぜだか、瞼の裏がカッと赤くなった。

「うっせぇな、ほんとお前うぜえ。あれしろこれしろってよ、ほっとけよ、お前もう俺の前から消えて。学校くんなよ。迷惑なんだよ」

 数か月前と同じように、いやそれよりも勢いよく言葉があふれ出た。

 小林は黙ったままステープラーの手を止めた。その手が小さく震え、次の瞬間、俺に向かってステープラーを思いっきり投げつけた。

 ステープラーは、俺の顔のすぐ脇を飛んで、黒板にぶち当たって、派手な音を立てて床に転がった。

「迷惑なのはこっちだよ! お前みたいなやつがいる学校、俺だって来たくないよ!」

 小林の声は俺の数倍大きかった。誰か駆けつけてくるんじゃないかと思うくらいだったが、放課後の校舎に、小林の叫びを聞く誰かはいない。肩を上下に揺らし、真っ赤な顔をした小林の、見開いた目がみるみる潤む。

 俺の仲間は、クラスの男子の大半。小林の仲間は、クラスの成績がいい一部の女子。結果、小林はクラスの多くに、無視されていた。嫌がらせさえ受けていた。

 でも俺は、いいザマだと思っていた。お前はいっぱい、いろんなもの持ってるじゃないか。当たり前みたいに、いい子ちゃんヅラしていられるじゃないか。思っていた。お前だって、苦しめばいいと。

「お前も、他の奴らも、うるさいんだ! 授業中はうるさいし、掃除だってしないし、やらなきゃいけないことサボって、迷惑かけて! こんな学校、俺だって来たくないよ、でも休んで、休んだら」

 小林の足元に弾を打たれたばかりの紙たちが落ちていく。少しばかりの重たさで、埃を巻き上げながら、小林の足元に降り積もった。

「……親に心配させたくない」

 お前が学校に来る理由。俺が、学校に来る理由。

 小林はぐいと目をこすると、床に落ちたプリントを拾い始めた。夕焼けの日差しが、俺たち二人をオレンジ色に染め上げる。

「子供かよ」

 頬の熱さをごまかして、俺も床にしゃがみ込んだ。

「お前もだろ」

 俺は返事をせず、小林と一緒にプリントを拾う。

 大人たちは知らないのだ。子供にとって、大人がどれだけ大きい存在なのか。自分たちが、どれだけ簡単に子供を傷つけることができるのか。じっと見つめる目を、大人は無視し続ける。ひたむきな子供の目を、やわらかな魂を。ふりむいて、こっちを見て、少しでいいから、わたしを見て。

 俺は小林が嫌いだ、と言うと、小林は俺もお前が嫌いだよ、と言って、俺たちは少し笑った。


 季節は夏だ。

 明日もきっと、バカみたいに晴れるだろう。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] オチのファンタジーめいた美しさがよかったです。 そうはならなかったけれど、そうであった欲しかったなぁ。そんな気持になりました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ