むくわれない日々でゲオルは疲れ果てていた
ゲオル・ヨアヒムは幸せになりたい。
ただそう願っていただけなのに、どうしてこうなってしまうのか。
もしも、今すぐにでもこんな生活から自由になれるとしたら。
こんなことをウジウジ考える毎日だ。
────『魔獣症候群』が世界中の人生を変えてしまった。
300年ほど前に発見された、人間が突如として怪物のように狂暴になるものだ。
周囲への突発的な破壊行動と暴力行為。
口汚い罵り声は、他者の精神を容易に病ませる呪詛となる。
人々は恐れからその名をつけたのだ。
ある小さな村に住んでいたゲオルもその一家も、その脅威をモロに受けていた。
彼が13歳に両親が魔獣症候群になってしまったのだ。
ゲオルは左腕を肩まで食い千切られ、それを助けようとした姉もまたその毒牙にかかった。
目の前で大好きな姉は、両親に食べられてしまったのだ。
それは相当なトラウマで、毎日夢に見るほどに。
────今年18歳になったゲオルは、またその夢から目を醒ます。
今日もまた嫌な1日が始まるのだ。
虚ろな眼光に癒えない傷を忍ばせながら、起き上がって服を着替える。
そして簡単な料理を片腕で器用に作り、地下室へと。
「オヤジ、オフクロ、飯だぞ」
歯軋りと握りしめそうになる拳を抑えながら、鉄格子の隙間から料理をいれると、瞬く間にそれはなくなった。
電光石火の早業でふたりは食らいつき、最終的には料理の取り合いにまで発展する。
殴り合い、引っ掻き合い、蹴り合い、そこに人間のときの面影は一切なかった。
以前なら必死になって止めていた光景も、今では虚ろで冷ややかな目で見守るしかしていない。
どうせ止められはしない。
魔獣症候群の身体能力は並より上なのだから。
ゲオルは隻腕であっても喧嘩には自身があった。
村の若者を相手に圧勝できるほどに。
ときには森の獰猛な動物を相手に大立ち回りをしたこともあった。
それで承認欲求は満たされ、日々のストレスを少しでも解消することはできたが、時間が過ぎれば虚しさが込み上げてくる。
それがいつも彼を惨めにさせ、苛立ちを募らせていくのだ。
あれだけ温かかった家族だったのに、今では殺意交じりの空虚しか湧かない。
もしも今の自分が両親に挑めばどうなるか?
日々何度も深く考えそうになってしまうが、いつもギリギリで踏み止まる。
そしてもうひとつ、今の彼をここまで思い止まらせてくれていたのは、今は亡き姉の存在だ。
身を挺して守ってくれた姉。
腹が膨れた両親はそれで当時のゲオルをそれ以上襲うことはなかった。
姉の思いを無碍にしたくない。
だが、それも段々限界に近くなってきた。
「やっと静かになったか……」
地下室から出てようやく食事にありつく。
荒れ果てたリビングを見ながら、キツい1日を乗り切るためにと、腹に入れていった。
今日は村長からの呼び出しがある。
そんな日に限って本日は快晴。
この見せつけるかのような明るさが大嫌いだ。
いかにもこの世にはまだ希望がありますよと言わんばかりのこれが。
この村ではゲオルの家を含む3軒が魔獣症候群で悩みを抱えている。
朝早くから嫌でも騒々しさが伝わってきた。
きっと彼らもまた村長に呼び出されるだろう。
なぜなら、今日呼ばれたのは魔獣症候群に関わることなのだから。
「……調子はどうかなヨアヒム」
「別に」
「……ぁ、ご両親の様子はどうかな?」
「聞いてどうなるんだよ。わかってんだろそんなことよ」
「それはそうだが、こういった様子を『教皇庁』に報告せねばならないんだ」
「はっ、報告ねぇッ。……告げ口の間違いだろ?」
「ゲオル……」
村長宅の客間でふたり向き合うように話す。
終始ふてくされたようにするゲオルに、村長はメガネを外してため息混じりで姿勢を前のめりに崩した。
教皇庁とは世界的に勢力を拡大している宗教団体『プレロマ聖母教団』が各国に備えた機関の名称とされている。
その影響力は凄まじく、国教として長らくあらゆる国や地方に根付いているのだ。
すなわち、彼らの決定は神々の王の娘にして勇者を生んだとされる聖母からの神託であり、それに逆らうことはできない。
ゲオルが生まれる前、この教団であることが決定された。
これまで魔獣症候群に対しての敵対や抵抗は各地で盛んにあったが、それを『人間の持つ永遠の愛と無限の善なる精神を以て是を禁ずる』という。
それが『魔獣憐みの令』と言われるもので、ゲオルを日々苛ませているものだった。
「なぁ村長昔俺にいったよな? とにかく今は耐えなさいって。いつか必ず報われるって。言われた通り、俺はずっと耐えた。喧嘩だってやめたんだ。アンタら大人の言うとおりずっといい子でいたそうだろ?」
「ゲオル……大丈夫か?」
「耐えて耐えて耐えて耐えてきた……でもなんにもならない。どういうことだよ。……一体何回死にかけたと思う? 俺はサンドバックか?」
「仕方ないだろう。ずっと昔に教団が決めたことなんだ。『魔獣憐みの令』が発足されてから、魔獣症候群は保護対象。殺すことは勿論、傷付けることも許されない。……本来であれば君のように地下室へ監禁するというのもご法度なのだが、それは私が特別に不問にしてる。これが精一杯なんだよ」
村長は再びメガネを掛けて、ゲオルを見据える。
どうしようもない現実に、村長も頭を抱えているようだった。
だがそんなことはゲオルには関係ない。
両親のことや隻腕、そして逼迫していく生活。
ゲオルにとって今はもう誰も信用ならず、現実はただ魂を締め上げる牢獄に過ぎない。
「あーそうかい!! そんなに大事ならアンタか教団の連中が見りゃいいだろ!! 愛してるんだろう?」
「ゲオル!」
ゲオルは逃げるように客間から去っていく。
後ろから村長の呼び掛けが聞こえてくるが、不機嫌を表すように廊下を靴音で鳴らし、乱暴に玄関のドアを閉めた。
「クソッ!!」
帰り際に地面に落ちていた小さな木箱を蹴り飛ばす。
その足取りはまるでトボトボ帰郷する敗残兵。
滲み出る世界への嫌悪感で頭がどうにかなりそうだった。
────こんな世界、くそくらえだ!
しかし、そんなときに事件は起こった。
「おいゲオル大変だ!!」
「あん? どうした?」
村の友人が大慌てで駆け寄ってくる。
また家業でヘマをやらかし、親にどやされたのかと思ったが、現実はそれ以上に過酷なものだった。
「────お前のオヤジさんとオフクロさんが家から出て来たんだ!! ひとり殺した!!」
「なんだって!?」
ゲオルの顔が青ざめる。
駆け抜けた先に見えたのは、化け物のように暴れる両親の姿だった。
(鍵は閉めてあったはず。……まさか壊れたのか? あるいは壊したか!)
朝日が絶望を照らし、流血を鮮明に映し出す。
村が恐怖と断末魔に包まれる中、────『その女』はやってきた。
「賑やかだこと。でも朝のお祈りにしちゃちょいと派手ね。……血の臭いが濃くなっていく」




