怪しい老紳士
朱色と黒のグラデーションに彩られる街中。
夜の雰囲気が酒や料理の匂いに乗って、人々をさらに熱くさせる。
しかしそんな光景とは裏腹にふたりが通っているのは、そこから離れた明かりの乏しい区域。
そこにある一軒の古めかしい宿屋。
「いらっしゃい。おや、オルタリアじゃないか」
「ハァイ、部屋空いてるでしょ?」
「あぁ、この宿最高のスイートルームがね、ヒェッヒェッヒェッ」
宿の主である老婆は親し気に挨拶を交わしながらキーをオルタリアに投げる。
それを受け取ると、オルタリアもまた料金を投げ渡した。
「おやおやおや、結構イイ男じゃないか。どこで捕まえてきたんだい?」
「ん~知りたい? 教えな~い」
「ヒェッヒェッヒェッ。お盛んだねぇ。あんまやりすぎんじゃないよ」
「はいは~い」
「おいなんだ今の会話」
いやらしい表情をしながら話すオルタリアと老婆を見て焦りを覚えるゲオル。
そんな彼を見てさらに笑うふたり。
「あれあれ~、ちょっと緊張しちゃってる? クスクス、大丈夫よ。優しくしてあげるわよん。なるべく、ね」
「え? え? え?」
「スイートルームに飢えた女と純朴な男がふたりきり、なにも起きないはずがなく……ヒェッヒェッヒェ」
「ちょ待て! どういうことだよオイ!!」
「はいはいはい、ホラさっさと来なさい」
状況を把握し一気に赤面するゲオルを見て愉しみながらも、オルタリアは2階の奥の部屋へ鼻歌交じりに進んでいく。
スイートルームと言ったわりには、あまりにも簡素な部屋だった。
飾りらしい飾りはない。
窓から覗く街の色とりどりの光景が、せめてもの慰めになる程度の薄ら寂しい内装だ。
そんな中オルタリアはゲオルがいるにも関わらず、衣装を脱ぎ始めベッドに放っていく。
「ちょ! 待てッ!! な、なにしてんだ!」
顔を紅潮させたゲオルは慌てて後ろに振り向く。
心臓が今にも爆発しそうで、目の奥にオルタリアの今まで見えなかった部分の柔肌が焼き付いて離れない。
「なぁによ照れちゃって。あんなに私のことジロジロ見てたくせに。知ってんのよ?」
「そ、それとこれとは違ぇ! いいから服着ろ!」
「やぁよ。今から湯浴みするんだから」
そう言って全裸で扉の向こう側へと行ってしまった。
しばらくすると彼女の歌声と水の音が聞こえてくる。
それでもゲオルは振り向かなかった。
ゲオルほどの年齢の男であれば、嬉々と喜ぶようなシチュエーションなのだろうが、如何せん緊張がそれを遥かに勝り、喜ぶどころではない。
(あーそうだよ!! 女の経験なんざねぇーよ!! 仲間内でエロトークするだけのつまらねぇ村生活だったよクソッタレ!!)
思わず地団駄を踏み鬱憤を晴らす。
オルタリアはこれまで見たことないほどに美人で、しかも強く、そしてなにより落ち着く感じがした。
親しみやすいというのか、湯浴み場での歌も聞いているだけで心地が良い。
しかし先ほどのオルタリアの行動やベッドのほうを思い返すと、胸元やズボンを思わず緩めたくもなってしまう。
(クソクソクソォ! ……へへ、こうなったらよぉ)
そんな彼の劣情との葛藤を気にもせず、というよりもむしろ自分自身がその気でいるオルタリア。
特に仕草などは意識していないが、天性のそれでゲオルを魅了してしまっている。
「ふぅ、いいお湯だった。ゲオル、アナタも入らな────あれ?」
バスタオルを巻いて出てきたオルタリアだったが、ゲオルの姿は見当たらず。
半開きのドアがキィキィと寂しく響いた。
「あらあら、ちょっと刺激的過ぎたかしら。まぁ仕方ないわね。私が美し過ぎたって話。見たところ女性は初めてって感じだったから……フフフ、案外カワイイじゃんゲオルぅ」
謎の自信たっぷりの笑みと舌なめずりをしながら、オルタリアはベッドにそのまま横になる。
どうせ散歩でもいったのだろうと、それまでゆっくりと待つことにした。
一方、逃げ出したゲオルはというとロビーを抜けようとしたところで老婆に出会い「ヘタレが」、「クズが」という理不尽な罵倒にキレそうになりながらも外の空気を吸いに街のほうへと行く。
時間が過ぎるのは早いもので、すでに空にはいくつもの星が出ていた。
村で見るのとはまた違う味わいに、ゲオルの心も安定していく。
「なんでこんな暗いとこにある宿とるんだよアイツは。……もっと賑わってる場所のほうがいいだろうが」
足は自然と人混みと光の溢れるところへと進んでいく。
ほんの1回だけあの宿のほうを振り向くと、自分たちの部屋だろうところの明かりが点いていた。
あの歌声はここまでは聞こえてこない。
そう思うと、少しだけ名残惜しくもなるがやはり今さらすぐに踵を返すのは格好悪いと思い、そのまま進むことにした。
(……ちょっと金持ってるし、酒とツマミ買いに行ってたってことにしとくか)
小粋な口笛。
ポケットに手を突っ込み、徐々に目を大きく開いて街中の光景を静かに焼き付けていく。
村の人間とは違う人間たちの活気に改めて高揚感を抱き、少し進んだときであった。
「もし、もし、そこの紳士殿。そうアナタですよ」
「なんだ爺さん? 飯のお誘いか? 悪ぃが今そういう気分じゃねぇ」
「ホッホッホッ、そうではありませんよ」
カフェのテラス席で夕食を摂っていた白髭の老紳士がにこやかに語りかける。
微妙にズレたしゃれた帽子を人指し指で押し上げ、テーブルに料金を置いてステッキを持って立ち上がった。
その所作のひとつひとつに上品さがある。
自分にはけして持ち得ないものだとゲオルは視線でそれらを追った。
「私は怪しいものではありません。この街の義手職人でしてね。アナタの義手、いやぁ中々素晴らしい。これほどの逸品を作れる職人など滅多にいるものではありません。アナタは余程その御仁に気に入られたのですね。いやぁ、羨ましい」
そう言うと右目のモノクルで興味津々に覗き込む。
自分よりもずっと育ちの良い人間に義手を誉められたことで、ゲオルも頬がほころんだ。
「そ、そうかよ。まぁ、お目が高いってぇヤツだなアンタ。フフフ、そうだろうよ」
「恐縮ですムッシュー。あ、申し遅れました。私は『ヴェロス』と申します。お見知りおきを」
「おう、俺はゲオルだ。よろしくな」
「フフフ、アナタのような御仁に出会えたのもなにかの縁。お時間のほうは? 良い酒場を知っているのですが」
「酒場か。……酒買えたりってする?」
「えぇ勿論。なんでしたら私がオススメなどいくつか見繕いましょうか?」
「マジか助かる。いやぁ旅は道連れ世は情けってなぁこのことだな」
「あぁ、旅のお方でしたか。道理でほかの方とは雰囲気が違うわけだ。さぁさぁ行きましょう。我々の良き出会いに乾杯をするために」
「おうよ!」
ゲオルは上機嫌で老紳士ヴェロスに着いていく。
彼のモノクルに怪しい光が宿っているとも知らずに……。




