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Épisode 31「いっそぶっ壊しましょう、これ」


 刹那、目に見えない風圧に、フランツの身体が吹き飛ばされた。

 舌打ちしたヴィクトルは駆け出すと、ぎりぎりのところで彼を受け止める。


「面白い人ですね、ヴィクトル・ド・ヴァリエール。まさか僕の作った薬をキスなんかで無効にするとは。それとも今回のは、ユーフェも要因の一つでしょうか。実証するには男女の組み合わせを用意して……いえ、同性同士でも可能か気になりますね。二人の関係性も試す価値はありそうです。初対面に友人、恋人、段階を踏んで……」


 一人ぶつぶつと思考に耽り出したダニエルに、ヴィクトルは呆れた眼差しをやる。


「根っからの研究者だな。見てわからなかったのか? 薬とやらの効果が切れたのは、ただ一つが原因だ」


 胸を張るヴィクトルを、ダニエルがきょとんと見つめた。


「それは愛だ!」

「違うわよ!」


 ユーフェが間髪入れず否定する。でもその顔はいまだに赤いので、説得力は皆無である。

 ダニエルは相変わらず目をぱちぱちとさせていた。


「なんだ、何が違う? 俺は君に恋をしている自覚がある。ほら、愛があるだろう?」

「な、な、なっ」

「君の怒った顔は見ていて飽きないし、困った顔を見るともっと困らせたくなる。真っ赤な顔で震えられると、胸が高鳴ってどうしようもなくいじめたくなる。立派な恋だろう!」

「どこが立派なの⁉︎ ただの嗜虐心の表れよね⁉︎」


 もう色んなことでいっぱいいっぱいのユーフェは、落ち着かなきゃと思う余裕すら残っていない。

 そんな二人を、いや、正しくはヴィクトルを見る周りの目は、だんだんと冷たいものに変わっていく。この中で興味深そうにヴィクトルを見つめる変わり者は、ダニエル一人だけだ。


「あー、ヴィクトル様」


 フランツが間に入る。


「痴話喧嘩は後でしてください。もう本当、後でなら好きなだけイチャイチャさせてあげますから、まずは彼をどうにかしません?」

「ふむ。その言葉、忘れるなよフランツ」


 イチャイチャなんてしてない! というユーフェの抵抗は、残念ながら誰にも認めてもらえなかった。


「ところでユーフェ、君はどれくらいやれる?」


 そこでユーフェは、ようやく気がついた。

 自分が彼らの前で、魔法を使ってしまっていたことに。


「あ、あの」

「正直に言って、君の力がないと難しそうなんだ。力を貸してほしい」

「!」


 ぱっとヴィクトルを見る。思いがけない言葉だった。

 自分でさえ厭うこの力を、彼は必要だと言う。

 その湖面の瞳には、やはり嫌悪なんてどこにもない。彼は純粋に、ユーフェの力を認めて、そして求めてくれているのだ。

 それが、ただただ嬉しくて。

 ユーフェは言おうとしていた全てのことを飲み込むと、別のひと言に変換した。


「氷柱が、私の中で一番強力よ」

「上出来だ」


 フランツが飛び出した。ユーフェはさっきとは別の呪文を口にする。さっき、攻撃力の高い氷柱ではなく、氷の礫がヴィクトルたちを襲ったのは、無意識下にもユーフェの良心が働いたからだろう。そんな彼女の横顔を見つめながら、ヴィクトルは優しげに目元を緩ませた。

 フランツの剣を不可視の壁が受け止める。もうこのときには、誰もがダニエルの正体を悟っていた。彼は魔女だ。

 レオナールが横から懐に入ろうとする。それを小さな竜巻が阻害する。

 ユーフェの放った鋭い氷柱は、二人の間をぬってダニエルへと迫る。さすがに三方向からの攻撃に、ダニエルも厳しい表情を見せた。

 そこにトドメとばかりに、ヴィクトルが頭上から剣を振り下ろす。


「っ!」


 ダニエルが避けた。魔法でいなすのではなく、ダニエル自身が動いた。

 そこに勝機を見つけ、ヴィクトルは思いきり蹴りをかます。

 小さく呻き、男にしては細い身体が吹き飛んでいく。


「ごほっごほっ。ほんと、だからただの魔法は嫌になりますよ。人間すら満足に殺せない」


 不穏な言葉に、ユーフェがハッとする。


「離れて!」


 その瞬間。

 ダニエルを中心として、これまでの比ではない突風が三人を襲う。

 いきなりのことで反応できなかった三人は、しかし思ったよりも攻撃を食らわなかった。というのも。


「ああ、余計なことをしてくれましたね、ユーフェ」


 ユーフェが咄嗟に結界を張ったからだ。ただ、それでも完全な無効化はできなかった。

 ユーフェは魔女の中でも落ちこぼれ。癒しの魔法以外は不得意なのだ。


「余所見をするな!」


 レオナールが剣を横に薙ぎ払う。それを鬱陶しそうに、ダニエルは彼ごと剣を弾き飛ばした。

 ユーフェを優に超えて、後ろの壁までレオナールが飛ばされる。

 びっくりして振り返ったユーフェの耳に、続けてフランツの苦悶の呻きが聞こえた。


(どうしよう、これじゃあ彼に勝てない……!)


 古の魔法を使われては、その威力に普通の魔女すら手を焼くのだ。人間三人と、落ちこぼれの魔女一人では、どうにもならない。

 けど、一つだけ糸口はある。


「ダニエル様は古の魔法を使うの! すぐに魔力切れを起こすわ! だからっ」


 ユーフェの言いたいことが解ったらしいヴィクトルは、立て続けに攻撃を仕掛ける。フランツとは共に戦い慣れているのだろう。絶妙のコンビネーションで、彼らはダニエルを確かに追い詰めていく。

 ユーフェも加勢したいところだが、戦い慣れていない彼女では、そのスピードについていけない。下手をすればヴィクトルたちに当たる。

 もどかしい思いを抱えていると、ヴィクトルたちの向こう側、縦長の水槽のところに、一人の少年を見つけた。

 赤髪の、見たことのある少年だ。


(まさかあの子)


 ジェラールの意図を理解したユーフェは、考えるより先に走り出す。もちろんダニエルに気づかれないよう、細心の注意を払って。


「ねぇ」


 びくり。ジェラールが飛び上がる。


「驚かせてごめんなさい。この子たちを助けるのね?」


 小声で話しかけたユーフェに、ジェラールが何度も頷いた。


「手伝うわ」


 といっても、水槽の中に浮かぶ子供たちを、どうやって中から出せばいいのか見当もつかない。

 水槽にはたくさんのスイッチがあって、はたしてどれを押すのが正解なのか。


「どうしよう。わからない」


 こんなとき、リュカがいてくれれば。こういうのは彼の得意分野だ。


「なあねーちゃん、これは? 〝非常ボタン〟って書いてある。押せば非常事態ってことで、水槽が開くかも」

「待って。わからないわ。もしかしたら非常ってことで爆発したり……」

「や、さすがに爆発はねーんじゃ……」

「それくらい怖い人なの。迂闊に押すのは――」


 そのとき、ヴィクトルの短い悲鳴が聞こえた。慌てて水槽の陰から覗くと、彼が見えない何かによって壁に押しつけられているではないか。

 まるで首を絞められているようだ。ヴィクトルの襟元がぐしゃぐしゃに寄っている。足は床についていない。苦しそうに眉根を寄せて、それでも、彼の不敵な笑みは崩れない。

 それが気にくわなかったのか、ダニエルがヴィクトルへ伸ばす手をぐっと握った。呼応するように、ヴィクトルの眉間がさらに歪む。


「ヴィクトル……!」


 思わず駆け寄りそうになったところで、ジェラールに袖を掴まれた。


「待ってねーちゃん! 行ったところで、俺たちじゃ足手まといだよ。それにねーちゃんは、魔法を使うとやばいんだろ? 前は立ち上がるのもやっとな状態になってたじゃねーかっ」


 心配そうに揺れる少年の赤い瞳を見て、ユーフェはやっぱり、と思う。


「やっぱりあなた、あのときの」


 ユーフェが癒しの魔法を使って助けた、モンブール教会の孤児だ。

 自分が心配だからと、ずっと寄り添ってくれた心優しい少年。


「俺、誰にも言ってないよ、ねーちゃんのこと。適当にはぐらかしたんだ。でもごめん。そのせいで、あることないこと広まっちゃって……」


 しゅんと俯くジェラールの頭を、ユーフェはそっと撫でた。大丈夫、と。


「むしろありがとう、秘密にしてくれて。きっとあなたのおかげで、色んなところに噂が広まったから、場所を特定されなかったのね」

「ねーちゃん……」


 よし、とユーフェは自分の頬を叩いた。気合いを入れるために。


「いっそぶっ壊しましょう、これ」

「……は?」


 それは、聞き間違いを切望したいくらい、恐ろしい提案だった。


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