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Prologue 「触らないで!」


 ユーフェには、昔から不思議な力があった。

 ただそれは、決して羨むものではなく。ユーフェの感情が昂ったとき、呼応するように暴走して周りに被害をもたらすものだった。

 そして彼女が十二歳。妹のフラヴィが十歳のとき。

 ついに事件は起きた。


「それは、フラヴィのものだもん!」


 ユーフェが唯一大切にしていた人形を、フラヴィがとろうとしたのだ。それまでも姉のものを何でも欲しがる妹に、たくさんのものをとられてきた。

 お気に入りの本や服、お菓子をとられることは当然で、お気に入りの侍女を奪われたこともある。

 そのたびに我慢して、文句なんて一つも言わなかった。

 けど、その人形だけは。

 それだけは、ユーフェも譲れないものだった。


(だってそれは、レオナール殿下がくださったもの)


 唯一ユーフェにも優しい、この国の第一王子がくれたものだ。

 それを、姉のものなら何でも欲しがる妹が、欲しいと手を伸ばしてしまった。その手が、ユーフェには恐ろしい怪物の手に見えて。


「触らないで!」


 ユーフェが叫ぶと同時、近くに置いてあった花瓶が音を立てて割れる。割れた破片がフラヴィの腕を掠って、白い肌に赤い血が滲んだ。

 それからはもう、色々と酷かった。

 今までも何度かユーフェの力に振り回されていた両親は、これを機にユーフェを完全に見限った。

 実の子であろうと構わず、よわい十二の娘を外に捨てたのだ。それも、雨の中。

 泣いて謝ってもうしないから捨てないでと懇願して初めて、屋敷の厩舎で生活することを許された。

 もちろん両親の子――オルグレイ侯爵令嬢としてではなく、家畜同然として。

 それでも、幼い子供が一人で生きていくことなど不可能で、ユーフェは今まで以上に気配を殺して日々を過ごしていた。

 そんなとき、ユーフェをさらなる絶望が襲う。

 姉のものを何でも欲しがった妹が、ついに、ユーフェの好きな人にも手を出したのだ。


「本当にいいの?」

「もちろんよ! だってフラヴィも、レオのこと好きだもん」


 無邪気な天使そのものの笑みで、フラヴィが呼んだ名前に凍りつく。

 レオ――レオナール・ジョセフ・トネリアは、このトネリア王国の第一王子で、ユーフェの幼なじみで、そして、好きな人だった。

 彼だけは、不思議な力のせいで両親にも嫌われていたユーフェに、ただ一人「好きだよ」と愛をくれた人だった。

 なのに。

 二人は近くにいるユーフェに気づかず、何のためらいもなく顔を寄せ合う。唇が重なった。その光景を、ユーフェは見たくないのに目を逸らせない。

 軽く触れて、すぐに離れる。離れたそれを、フラヴィがまた引き寄せる。

 どれくらいの時間が流れただろう。

 永遠とも思える時間、二人は戯れのようなキスを繰り返していた。まるで、ユーフェに見せつけるように。

 いや、実際、フラヴィは見せつけたかったのだろう。キスの合間に、彼女がユーフェをチラ見したのには気づいている。



 これを機に、今度はユーフェが家族を見限った。

 走って、走って。とにかくがむしゃらに走って。

 あの光景を頭の中から振り払うように、泣き叫びながら走りまくった。

 体力の許す限り。いや、体力が底を尽きようと、お構いなしに足を動かし続けた。

 とめどなく溢れる涙のせいで、視界はおぼろげだ。

 どこを走っているのかさえわからない。

 でも、それでもいいと思った。


(ううん、そのほうがいい。私のことなんて、誰も知らない世界に行きたい)


 そんなことを思いながら、ユーフェはとうとう力尽きたのだった。


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