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会場の近くの人混みは密度もいよいよ濃く、一般受付の列は何度も折り返されるほどに長く伸びている。
警備の衛兵もかなり動員されているようで、気づいたリアはフードを深くかぶり直した。
「リア、こっち」
セレステがとっさに手を繋いで誘導するのは、勇者候補用の受付である。こちらなら、ほとんど待つことなく入場できるだろう。
細い指と柔らかな掌。戦いや力仕事とは無縁そうな感触は、繊細ながら心地いい。セレステは、もう少し早く手を繋いでおけばよかったと悔やんだ
受付には、職員と思しき眼鏡の女性が座っていた。
眼鏡をかけていて真面目そうだが、胸が大きい。ギャップが魅力的だ。
「お疲れ様です。免状をお願いします」
「はい、どうも」
言われるまま免状を出しながら、横に立つリアを示す。
「候補は私一人で、こっちはお手伝い。一緒に入れるかな」
「ええ、大丈夫ですよ。単独候補者の方ですね、お話は聞いています」
免状の名前を確認して、受付の女性は微笑んだ。第一印象によらず、優しげに笑うタイプらしい。思わずセレステはいつもの悪癖を出してしまう。
「お姉さん、名前は?」
「私ですか? なぜ?」
「かわいいから、聞いておかないと損だと思って」
「なっ、何言ってるんですか! いきなり!」
「ええ、確かに。眼鏡もとっても似合ってると思います」
慌てる女性に追撃をしたのは、まさかのリアだった。セレステはともかくとしても、リアに屈託なく褒められては誰だって嬉しいはずだ。事実、女性の頬は赤くなってしまっている。
「照れてる?」
「もう、からかうのはやめてください! 免状は確認しましたから、早く中へ――」
「――いたぞ!」
「げ」
つい先程聞いたばかりの声と台詞に、嫌な予感が湧き上がる。
恐る恐るそちらを見れば、走ってくるのはやはりマティエ班長とその部下たちである。
「セレステ様……!」
「大丈夫だから、後ろに隠れてて」
不安げな視線を向けるリアを背中に隠すと、セレステは腰の戦棍に手をかけた。ホルダーから引き抜けば、すぐに戦闘態勢にできる。
「暴行罪と逃走罪も追加します。直ちに武装を解除して縛につきなさい」
衛兵たちが取り囲む中、マティエが抜いたのは警棒ではなく腰のサーベルだった。
隙のない構えに、セレステは直感する――こいつは剣士だ。それも、相当に強い。
「治療薬置いていったじゃん、許してよ」
「貴方、自分が何をしているかわかっているんですか」
「かわいい女の子との約束は、破るわけにはいかないからね」
気安い返答を重ねながら、セレステは戦棍を引き抜いた。
しかし慎重に間合いを取り、不用意には近づかない。
警棒で殴られたときから察するに、その太刀筋は間違いなく迅いだろう。魔術で対抗するにしても戦棍で戦うにしても、リアを巻き込まないようにしなくては。
「あとでまた来てくれない? どうせ試験あるんだし、逃げないからさ」
「ふざけないでください。罪を犯した人間を、故なく見逃せるわけが――」
「お待ちなさい」
不意に響いた声に、マティエは動きを止める。
灰色の目を驚愕に見開き、意外すぎる言葉を口にした。
「王女殿下……!」
「……? 王女、殿下?」
セレステは、マティエの視線が自分の背後に注がれているのに気づいて振り返る。
そこに立っているのは、フードを脱いだリアである。
――つまり、これは。
その答えを告げたのは、これも聞き覚えのある声だった。
「……やはりこちらにお出ででしたか、オフェリア王女殿下」
粘着質な口調とともに現れるのは、あの騎士だ。確か、ポポン卿と言ったか。
「え、王女ってどういう……?」
「……黙っていてごめんなさい」
唖然と問うセレステに、リア――オフェリアは寂しげに笑って見せる。
ポポン卿は構わず、芝居ぶって口を開いた。
「いやはや、まさか私の仕事ぶりをご覧になりたいなどと仰るから何事かと思えば……巡察の最中にどこかへ行ってしまわれるとは思いませんでしたぞ。しかしながら、それもまた王都の警備隊長として、そして騎士としての私へお与えになった愛しき試練。甘んじてお受けし、幸運なことにこのように無事お見つけすることができました。しかし……王城の近くならまだしも、野蛮下劣極まる城下など……こういったお戯れはもう卒業なさらねばなりませんぞ。確か十年前も王弟殿下とご一緒されたようですが、そのときも国王陛下はたいそうご心配になったと聞き及んでおります。戦いをご覧になりたいのなら、勇者だか冒険者だかといった下賤の者ではなく、我々騎士の勇壮典雅な試合をご覧になってはいかがですかな?」
セレステは瞬間的に、選抜など関係なくこの腐れ騎士を殴りたい欲望に駆られた。話が長い上、口調も顔も人を絶妙に苛立たせるのだ。
「マティエ班長」
殺気を感じる器官も鈍いのか、ポポン卿は呑気にマティエに顎で指図した。
こちらは上司の高慢さに慣れているのだろう。淡々と頷くと、オフェリアに促す。
「殿下、どうかこちらへ――」
しかしオフェリアは首を振り、決然と言った。
「……嫌です」
「し、しかし……」
いかにマティエと言えど、一介の衛兵である。まさか王女を無理やり連れて行くということはできず、困ったように躊躇うばかりだ。
「絶対に、今日ここに来たかったんです。いえ、今日ここに来なくてはいけなかったんです」
オフェリアが毅然と言うと、宝石で装われた赤い髪飾りが、陽光を浴びて光った。
懸命に言い募るオフェリアだったが、ポポン卿はなんの感銘も受けずに苦笑を返す。
「やれやれ……少しばかり、強引にお連れせねばならないか――」
奴がオフェリアに一歩でも近づいたら殴ろう、セレステがそう思った瞬間。
闘技場の中から、耳を疑う叫びが聴こえた。
「魔王軍だ!」




