1(終)
「ひとまず、一件落着したというわけじゃな」
ティオは、そう言うとカップを傾けて紅茶を啜る。
王城の奥まった場所にある、宮廷魔術師筆頭のアトリエ。雑然としたその部屋の中で、二人の魔術師が向かい合って座っていた。
「ああ。無事に王女は奪還、不幸な行き違いがあったということで誘拐事件は解決。まあ、そのせいでまた一悶着起きてるわけだけどな」
答えるのは、このアトリエの主人である〈酒神の〉ナシュハクだ。
場末の安酒場のような臭いが充満するこの部屋が、王国最高峰の魔術師の私室だった。
二人の間には、薄汚れたティーポットとブランデー、そしてジャムの瓶を乗せた来客用のテーブルが鎮座している。
常のことながら雑然としている部屋の中でも、この付近はかなりマシな方だ。少なくとも、酒の空き瓶や空き樽に足を取られる心配はない。
「聞いておるぞ。王女の奪還に成功しただけではなく、魔王領との関係もいい感じになりつつあるらしいな。なによりなことではないか」
うんうん、と感心したように頷くティオは、どこか上機嫌だ。
そもそもティオがここに出向いてくるのは、非常に珍しい。
それだけセレステたちの話がしたかったということなのだろう。自分たちの時代にできなかったことをした彼らが、純粋に誇らしいのだ。
「天眼にはお見通しか。まあ、そういうわけだ。闘技場の件の後始末も終わらないうちからこれだから、ペリダン殿は忙殺されてるよ。向こうの宰相がなかなかできる奴っぽいのが救いだな」
ナシュハクは、一度だけ会った宰相の姿を思い出す。清潔な軍装に身を包んだ端正な姿は、上位の魔族というよりはむしろ清廉な軍人を思わせた。確か、名前はラカと言ったか。
「まあ、そういうわけだから「今の」パーティ編成も向こうさんと確認済みってわけだ」
「なるほどのう……しかし、それでもかなり前代未聞だとは思うがの……勇者に騎士、魔族にまお――」
「おっと! そこまで!」
ティオの言葉を遮って、ナシュハクは急に顔を近づける。
むわりと漂う酒精の芳香に、ティオは仰け反った。
「ぬわっ、酒くさいぞ!」
「ふふ、酒くさいのは今に始まったことじゃないだろう! ……じゃなくてだな。こいつは一応、最高機密なんだぜ」
顔をしかめるティオに構わず、ナシュハクはにやりと笑って小声で続ける。
「まさか「あの方々」がパーティにいるなんて、誰も思わないだろ?」
鱗に覆われた、巨大な蜥蜴が渓谷を走っている。
その足跡に線を引くのは、背中の傷口から流れる緑の血液だ。
「ジル! ワイバーンがそっちに行ったわ!」
「任せて下さい!」
ヘルミナの声に応じて、ジルがその蜥蜴――もとい、蜥蜴と化したワイバーンを待ち受ける。
背の深手は、翼をもがれた跡である。本来なら空を馳せる飛竜も、こうなっては無様に地上を駆けずるしかなかった。
悲鳴のような喚声を上げて迫るワイバーンの首を、ジルは一刀のもとに切り捨てる。
硬い鱗に覆われているとは言っても、刃の向きと力の入れ方さえ間違わなければ容易いものだ。
「さすがはマティエ卿。お見事な太刀筋ね」
「からかう暇があったら索敵して下さい!」
ヘルミナの軽口を叱り飛ばすと、ジルは剣を振って血を払った。
そう。ヘルミナの言う通り、ジルは王都に帰還した後、騎士に叙任されたのだ。
しかし、いざ念願が叶ってみても、実感というのは一向に湧いてこないらしい。流石に叙任式の時には緊張したものの、今ではくすぐったさすら感じなくなっていた。
それよりも、今はワイバーンを退治するほうが先決だ。
ここ――王国南部のサンミディ渓谷に来た理由は、それだけなのだから。
そう思って顔を上げた瞬間、けたたましい金切り声とともに飛竜が飛来する。
「このっ!」
後方で狙いをつけていたキーラが、魔力槍をぶん投げた。
手を離れた槍は瞬時に音の壁を切り裂き、次の刹那にはワイバーンの土手っ腹に突き刺さって内側で爆発する。
しかし、飛び散る仲間の破片を物ともせず、後詰がすかさず現れた。
「ちっ……!」
充填中のキーラは舌打ちする。一撃目に魔力を使いすぎたせいで、想定より時間がかかりそうだ。
だが直後、飛来する飛竜の目を一本の矢が貫く。
それを合図としたかのように、連続して飛来する矢がワイバーンの頭部に次々と突き立った。
喚声を上げて苦しむワイバーンは、器用に空中でのたうっている。
「――やった! 全部命中しました!」
その声は、キーラのすぐ横でカートリッジ式クロスボウを構えるオフェリアのものだ。
致命傷には至っていないようで、ワイバーンはなんとかバランスを取り戻す。
しかし、時間稼ぎには十分である。
「よーし、とどめ……だぁっ!」
キーラは再び槍を投げ、矢にまみれた飛竜にとどめを刺した。
爆散するワイバーンを前に、オフェリアは親友を称賛する。
「やった! すごいねキーラ!」
「そ、そうかな……? えへへ……オフェリアのおかげだよ!」
キーラは満更でもなさそうに顔を赤くし、褒め返してきた。これが魔王だと言っても、知らなければにわかに信じがたいだろう。
周囲に敵の姿はないと見て、オフェリアが問う。
「あれっ、これで終わりですか? なんだか少なかったような……」
「いや、まだ――」
ジルが答えようとした瞬間、上空から声が降ってきた。
「うわぁぁぁぁぁ!」
セレステの悲鳴だ。
見上げれば、ワイバーンの首に掴まったまま凄まじい勢いで墜落してくる。瞬きの間に、その姿は地面へと迫っていた。
「どいてどいてどいてぇぇぇっ!」
「くっ……!」
間一髪でジルが飛び退った瞬間、激突音とともに白い光が炸裂する。
「ご主人さま!」
「セレステ!」
駆け寄ったジルたちが見たのは、潰れた飛竜の上に尻餅をつくセレステの姿だった。
墜落の瞬間、地面に向けて衝撃弾を放つことで相殺を図ったのだ。
「あいたた……ごめんごめん。乗りこなせるかなって思ったんだけど」
呑気な言葉に安堵と呆れの混じったため息をつくと、ジルは言う。
「セレステ、あまり無茶はしないように。オフェリア様がいらっしゃるのですから、少しは自重して下さい」
「えー、リアだってもう一人前だし大丈夫だとおもうけどなあ。ね?」
「そ、そうですか!? 嬉しいです!」
オフェリアは現在、キーラとともにセレステたち勇者パーティの一員となっていた。
誘拐事件の後、両親――つまり国王と王妃に直談判し、セレステたちの旅への同行を許されたのである。
表向きは支援担当として「危ないところまではついていかない」ということになっているが、もちろんそれでよしとするオフェリアではなかった。
時にはナシュハクなどの力を借りるなどして国王への報告をごまかしたりしつつ、今回のように戦闘へ加わっているのだ。
当たり前ながら未熟なところも多いが、射手としての筋がいいのは救いだった。
加えて、今は魔王城の時とは違って専属の心強い護衛がいるのも大きい。
「むうう……なんでぼくが魔物退治なんかしてるんだ……」
ワイバーンの残骸を渋い顔で見つめているのが、その護衛ことキーラである。もちろん最初から護衛として加わったわけではなく、自然とそうなったわけなのだが。
キーラの同行は、実はオフェリアより早く決定していた。
ラカの提案で、「良き王となるべく、見聞を広めるため」に一行に加わることとなったのだ。オフェリアと出会った件からも分かるように、もともと先王はキーラを色々なところに連れて行って学ばせるつもりであった。ある意味でその遺志を継ぐごとくの決定とも言える。
さらに、城の再建にもまだ時間がかかるというのも理由の一つだ。すなわち、城が完成する頃には自ずと成長できているはず、という算段である。
結果としてオフェリアと旅をすることになったことは、本人は複雑らしいのだが。
なおも難しい顔をしているキーラに、オフェリアが問う。
「どうしたの?」
「いい王様になったら招待するって言ったのに……これじゃ、なんか恥ずかしいよ」
「でも、一緒に旅ができてわたしはすっごく楽しいよ?」
「そっ、それは……ぼくもだけど」
「あらあら、またいちゃいちゃして……ご主人さま、私達も対抗しましょう?」
かわいらしいやり取りを見ていたヘルミナが、言うなりセレステにするりと絡みつく。
そのまま腕を取ると、谷間に挟み込むようにぴたりと身体を寄せてきた。
「うおおおっ、も、もう当たってるんですけど! ってか挟んでるんですけど!?」
「ふふ……変なご主人さま。当ててるし挟んでるんですよ?」
官能的な感触と淫靡な囁きに、セレステの身体から白い魔力が揺らめき出す。
そのやり取りを見て、ジルはすかさず叱責を飛ばしてきた。
「後にして下さい!」
「あら、後ならいいの?」
「だっ、だめに決まってるでしょう! 揚げ足を取らない!」
「お、おい! みんな! あれ!」
キーラが指を差したとほぼ同時に、渓谷に影が差す。
低く響く唸り声とともに降りてきたのは、巨大な飛竜だ。
重々しい翼のはためきは空気を揺らし、突風となって渓谷を走る。
谷の狭い空を埋め尽くすような巨体は、生物というより天災とでも言うべき姿である。
「来た来た……あれが討伐対象?」
「ええ。渓谷奥深くに巣食う巨大ワイバーン……間違いなくこの個体でしょう」
セレステの問いに、ジルが答える。
魔王領からの帰還後、セレステたちは本来の任務――魔物や盗賊の討伐を受けることとなった。
そこで目立ったのが、休眠していたはずの凶悪な魔物や、百年前になんとか封印したはずの魔物が再出現した、などの報告だ。
これらはおそらく、暴走したコアの魔力に反応してのことだろう。すぐに破壊したとはいえ、その影響はかなり大きいらしい。
この巨大なワイバーンも、そんな中の一つである。
こうした魔物たちは、通常の冒険者達はおろか、王国軍をもってしても手に負えないという。
では、そういう強力な敵を倒すのは誰なのか。
答えは明確だ。
勇者と、そのパーティである。
――つまりは、これからが勇者一行の仕事の本番なのだ
戦棍をぐるりと回し、セレステは仲間たちに呼びかける。
「それじゃあ、行くよ!」




