10
オフェリアとキーラを助けたセレステたちは、再び真の玉座の間に戻っていた。
目の前に落ちてくる瓦礫にたじろぎつつ、セレステはヘルミナに問う。
「転送はまだ無理なの!?」
「ええ。コアを破壊しない限りは難しいですわ」
頷くヘルミナは、コアを見上げる。赤黒い魔石は、深く亀裂が入ってなおも内部に強大な魔力を蠢かせ続けていた。
オフェリアが扉の先に向かった直後に、ヘルミナは玉座の間にたどり着いた。曰く、迷宮化はもとに戻り、下の階の機械人形も全て停止しているらしい。
そんな中にあっても転送だけは妨害するとは、道連れを求める魔王城の執念だろうか。
「たとえば、強引にやったらどうなるの?」
「そうですわね……魔力が干渉して思いもよらないところに転送されたり、身体が裏返ったり、上半身と下半身が別々のところに飛ばされたりしますわ」
「うぇっ、マジか……」
予想以上にひどい目に合いそうだ。自分一人ならまだしも、これだけの人数で試そうとは思えなかった。
「完全にあのコアを破壊できれば、あるいは……!」
呻くように独りごちるのはラカだ。しかし、それが難しいことはセレステも理解していた。
キーラが放ったあれだけの一撃でも亀裂が入ったのみで、破壊し切ることはできなかったのだ。あれ以上の威力となると、どうすればいいのだろうか。
「でもあの亀裂、さすがは魔王様ってところかしらね。そもそもコアは魔族の魔術には耐性があるはずなのに、あんな風にするなんて」
感嘆混じりのヘルミナの呟きに、セレステは一つの可能性を思いついた。
キーラの一撃を受けて亀裂だけで済んでいたのが耐性のせいなのだとしたら、人間の魔力ならどうだろうか。同じぐらいの威力で撃てれば、破壊できるのではないだろうか。
セレステは振り返り、両手を広げて全員に叫ぶ。
「みんな私に抱きついて!」
「な、何を言ってるんだこんな時に!」
突然の発言に困惑するラカに、セレステはコアを指差して続ける。
「私があれを破壊する! 魔族に耐性があるなら、人間の私が壊せばいいんだ! だから抱きついて!」
「し、しかし、コアの強度は生半なものではないぞ! いや待て、そもそもそれとこれとどんな関係が――」
「信じられないかもしれませんが、セレステは至って真面目です。女性と……接触すると魔力が著しく強化されるんです」
ジルが若干言葉を濁して説明すると、キーラが驚きと納得が混じったように頷いた。
「そ、そうなんだ……だからさっきもキスして……」
「キス?」
オフェリアが首を傾げると、ジルはごまかすように大声で促す。
「い、いいですから! はやくセレステに抱きついてください!」
「ふふ、それじゃさっそく私が……♪」
「きたきたきたぁぁぁぁっ!」
ヘルミナが後ろからぴったりと抱きついた瞬間、セレステの身体から爆発的に魔力が溢れ出す。押し付けられる二つの柔らかい感触は、背中で味わうのもまた格別だった。
「な、なんと……」
半信半疑だったラカが、唖然と声を漏らした。
焦る声音でジルが問う。
「ど、どうですか!?」
「いい感じだけどまだちょっと足りないかも! 充填してみるからもう少し待って!」
コアに戦棍を向けたまま、セレステは答えた。鎚頭に集まる魔力は徐々に大きくなっているが、コアを一撃で破壊するにはまだまだ足りないだろう。
大きな柱が、音を立てて倒れる。いよいよこの場所も危なくなってきたようだ。
「も、もう一回キスしなよ!」
「は!? 何の話ですか!?」
キーラが請うが、ジルは必死でしらを切る。それを見ていたオフェリアが、何か勘違いして問うた。
「えっと、口づけすればいいんですか?」
「えっマジで!? いいの!?」
「だっ、だめ! だめだよ!」
思わぬ僥倖に飛びつくセレステだったが、キーラが全力で止める。
残念と思う間もなく、その耳元でヘルミナが囁いた。
「しても宜しいのでしたら、私が熱いキスを……」
「それは私が許しません! ひっ、人前でキスとかしていいと思ってるんですか!」
さすがの耳聡さですかさず嗜めるのはジルだ。しかし、それを聞いたキーラが首を傾げる。
「それじゃあさっきのは――」
「私は! 何も! してません!」
「喧嘩をしてる場合じゃないだろう! セレステ殿、どうなんだ!?」
必死に否定するジルを止めて、ラカが問う。地響きと揺れは、もはや止まることなく続いていた。
「ちょ、ちょっと待って、最大まで充填しきったけど、さっきのキーラの魔術と比べるともう少し足りないかも……あと一息って感じなんだけど……!」
「あと一息か! わかった、任せろ!」
セレステの答えに、突然ラカは軍装の前を開け放った。
露わになるのは、硬い印象とは裏腹の黒く際どい下着である。
そのギャップにセレステが息を呑むより早く、ラカは前から抱きついてきた。
「失礼する!」
「ふおおおおお!」
恋人にでもするかのように首へと手を回し、ラカはヘルミナにも負けないくらいの量感を持つ二つの膨らみをぎゅっと押し付けてくる。意外なほど優しく甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「あら、私も負けられないわね。ふふ、ご主人さま……ぎゅーっ♪」
対抗意識を燃やしたのか、ヘルミナが改めて強く抱きついてきた。油断していたところでの不意打ちに、辛抱たまらずセレステは雄叫びを上げる。
「おああああ! よ、四つのおっぱいが私を包んでる! ク……クアドラプルおっぱい……!」
「な、なんだこの魔力量……!? 本当に人間か!?」
目を眩ませる白い輝きを前に、抱きついたままのラカが驚愕の声を漏らす。
豊満な胸に前後を挟まれて、凄まじいまでに魔力を増加させている勇者。
おそらく初めて見るであろう光景に、キーラは呆然と呟いた。
「な、なんだこれ……」
「い、今です! 私達も抱きつきますよ!」
「あ、は、はい!」
言いつつ空いている側面にジルが張り付くと、オフェリアも後に続いた。
オフェリアは、半ば引いているキーラに手を伸ばす。
「キーラも! 早く!」
「うぅぅ……わ、わかったよ! くっつけばいいんでしょ!」
キーラは渋々といった感じでオフェリアの横に入る。どちらかというと、セレステよりもオフェリアにくっついているように見えた。
「どうですか!?」
ジルの問いに、セレステは力強く答える。
「行ける! 間違いなく行ける! むしろもう我慢できない! 暴発しそう!」
その言葉通り、鎚頭の魔力はとうにキーラが放った槍よりも大きくなっていた。過剰に充填された魔力は、保持しておくだけでも難しい。すぐにでも発射しそうになるのをなんとか耐えて、セレステは改めて狙いを定めた。
「しっかり掴まっててよ!」
構成する術式は、〈衝撃弾〉と〈魔術破壊〉。実行されている魔術ごと、コアを完全に打ち砕くのだ。
セレステは確信する――これで、終わりだ。
「おらあぁぁぁぁぁぁっ!」
叫び、放つ。
刹那。耳を聾する轟音とともに、純白の魔力は柄頭から放たれた。
太い帯となった魔力は、赤黒い蠢きごとコアを飲み込み、そのまま天井を貫いて破壊してもなお止まらない。
凄まじいまでの破壊力に晒されたコアは削れ、すり減り、ついに光の中に呑まれた。
それを見届けたかの如く、鎚頭の魔力は急速に収まっていく。
完全に光が止んだ時には、コアの姿は頭上から忽然と消滅していた。セレステの一撃が、巨大な魔石を完全に消し飛ばしたのだ。
「や、やった! やったぞ!」
セレステから離れて、ラカがコアのあった辺りを指差して叫ぶ。
ちょうどその指の先、風穴の空いた辺りの天井が崩れた。それが呼び水となって、ついに天井全体が崩落し始める。
どうやら、今の一撃が城にもとどめを刺してしまったらしい。もはや、数秒たりとも時間はなさそうだ。
「へ、ヘルミナ! 転送! はやく!」
「お任せ下さいな!」
セレステの叫びに答えて、ヘルミナが転送陣を開く。
全員を乗せるように、黒い魔法陣は足元に素早く展開した。
頭上に、瓦礫と化した天井が迫ってくる。
――瞬時、転送陣は発動した。
周囲の風景が溶けるように変化たと思うと、気づけば転送は完了している。
そこは、湖の畔だった。
海かと見紛う広さの湖面を挟んで向こうに、今まさに崩壊する巨大な城が見える。おそらく、あれが先程までいた魔王城だろう。
夕闇に照らされながら崩れる城を前に、セレステは深く息をついた。
「た、助かった……!」
本当に間一髪だったらしい。崩れた瓦礫が、高い水柱を上げて湖に沈んでいく。
黄昏の中に崩れ去るその光景は、幻想的ですらあった。
「……お城、なくなっちゃった」
城を見て呆然と呟くのは、キーラだ。
その小さな身体を、ラカが後ろから抱きしめる。
「わっ、わぁっ!?」
「ご無事で、本当によかった……!」
涙を浮かべるラカに、キーラは俯いて言った。
「ごめんね、ラカ。ぼくのせいで……」
「いえ。魔王様さえよろしければ……これからも、お仕えさせて下さい」
ラカの言葉の柔らかさは、家臣というよりも肉親に語りかけるような響きだった。キーラは答える代わりに、回された手をぎゅっと握る。
そんな二人を、オフェリアは微笑みながら見守っていた。
セレステはそっと近づいて、問う。
「リア、怪我はない?」
「ええ。おかげさまで大丈夫です。ええと……王都に帰る前に、少しだけキーラと話してきてもいいですか?」
「えっと……」
セレステがちらりと見ると、ジルは頷いた。
「もちろんです」
「だってさ」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに笑って、オフェリアはキーラに近づく。
既にラカはキーラから離れ、ヘルミナと何事かを話していた。城が崩壊した今の状況である。旧貴族の力も借りたいのだろう。
ほとんど崩れ去った城跡を見つめるキーラの背中に、少しためらってからオフェリアは声をかける。
「……キーラ」
「リア」
振り返るキーラに、オフェリアは言葉を選ぶような沈黙の後、やっと一言だけ告げた。
「また、会いに来るね」
キーラは頷くと、まっすぐ見つめ返して答える。
「ぼくも……いい王様になったら、今度こそちゃんとリアをぼくのお城に招待する。だから、それまで……待っててくれる?」
「……えへへ、楽しみにしてる」
はにかむように、オフェリアは笑みをこぼした。
そんな様子を遠巻きに見て、セレステは満足気に息を吐く。
「一件落着……かな」
「ええ、おそらくは。一時はどうなることかと思いましたが」
隣に立つジルは、そう言ってちらりとセレステを見やった。なんとなく、いくらか肩の力を抜いたように見える。
セレステは、灰耳の相棒に笑いかけた。
「助けに来てくれて、ありがとうね」
ストレートに感謝を向けると、ジルはなぜか顔をしかめて抗弁した。
「別に、たまたま間に合っただけです。助けに行ったわけじゃありません」
「だけど、キスまでしてくれて――」
「してませんし。何か幻覚でも見えてたんじゃないですか?」
「えっ……そ、そうなの……? そう言われてみればそんな気もしてきたぞ……」
あまりにも強く言い切られて、セレステは自分の記憶を疑い始める。確かに死にかけて朦朧としていたし、勘違いということもありえなくはない。
そんな様子のセレステを横目で見ながら、ジルはぼそりと付け加えた。
「まあ……勇者としての活躍だけは認めてあげます。さすがでした」
「えっ!? い、今なんて言った!? も、もう一回――」
「ご主人さま!」
「わぷっ!?」
セレステはそっぽを向くジルに食い下がろうとするが、ヘルミナに抱きつかれて遮られてしまう。
ラカとの話し合いは終わったのだろうか。むにむにと柔らかいものを押し付けながら、ヘルミナは甘い声で囁いてくる。
「さすが私の愛しい方……ふふふ、あの破壊力、ぞくぞくしましたわ♪ あんなの撃たれたらと思うと……はぁぁぁぁ……素敵……」
「そ、そうかなー? へへへ、もっと抱きついてもいいよー?」
この攻勢には抗いようもない。セレステは思わず頬を緩めて、なすがままになってしまう。おそらく、顔を埋めようと揉みしだこうと抵抗はされないだろう。
それをじとりと眺めながら、ジルはため息混じりに呟いた。
「まったく……人のファーストキスまで奪っておいて、早速欲望まみれですか」
「えっ」
「えっ」
「……えっ、あっ!」
聞き捨てならない言葉にセレステとヘルミナが同時に視線を向けると、ジルは自らの失言に気づいたようだった。しかしもう遅い。
おかげで、セレステはあの瞬間を唇の感触とともにはっきりと思い出していた。やはり気のせいではなかったのだ。
「ジル、やっぱり――」
「知りません!」
ジルは慌てて顔を背けたが、恥じらいに染まる表情は隠しきれていない。
その頬は、夕映えにまぎれてもなお赤かった。




