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「あのー……」
これで何度目になるだろうか。
弁明の機会を求めて先程から話しかけているが、班長はセレステを一瞥すらしようとしないままだ。
「選抜会、そろそろ向かいたいんですけど……」
「法を犯すような人間が勇者になれると思うな」
初めて反応を返したと思えば、凍りつくかと思うほど冷然とした視線を送られる。耳を晒されたということが、彼女にとってはそれだけ許せないことなのだろうか。
逮捕された路地を出てすぐそばのところで、セレステは手錠に繋がれていた。周囲を固める衛兵たちは、班長の命令通り隙なく辺りを警戒している。
ぼろぼろになった勇者候補一行は既に病院へと移送され、後はセレステを牢屋へ護送するための馬車を待っているという状況である。
大事な証人であり、ある意味で原因でもあるはずのリアは忽然と姿を消したままだ。このままでは本当に選抜会に間に合わないかもしれない。
やはり、なんとか話を聞いてもらわなければ――そう考えたところで、唐突に班長が踵を鳴らす。見れば、そこには数名の従者を連れた痩せぎすの騎士の姿があった。
「ここにいたか、マティエ班長」
べったりとした髪を首まで伸ばした騎士は、細長い目を嫌味に歪めて班長を睨めつける。
班長――苗字をマティエと言うようだ――は、折り目正しい敬礼で騎士を迎えた。
「は、お疲れ様です。ポポン卿」
「む?」
ポポン卿と呼ばれた騎士は、返礼もせずじろりとセレステに視線を向ける。そのまましばし無遠慮に観察したかと思うと、嘲るように鼻を鳴らした。
「……フン、顔だけはいいが、頭の悪そうな女だ。なんだこいつは」
――なんだとこの野郎。
という言葉がセレステの口から出るより早く、マティエが応える。
「勇者候補の狼藉者で、先程こちらの路地で他の勇者候補と争っていたようです。通報により逮捕しました」
「何だそれは……まあいい。それより、まだ見つからんのか?」
「はい」
マティエが頷くと、ポポン卿は聞こえよがしに舌打ちした。
「ちっ……こんなところで油を売っていないで、自慢の鼻でも使って探したらどうだ」
「しかし、私はあの方の匂いを存じ上げず――」
「おい、皮肉を介する頭もないのか? いいからとっとと役立たずの部下を連れてもう一度探しに行けと言っているんだ」
どうやら、ポポン卿はマティエたちに誰かを探させているようだ。その任務の最中に、路地の騒ぎに気づいた者に通報を受けたのだろう。
「は、ですが騎士殿……」
「ポポン卿と呼べ! 私はただの騎士ではないのだぞ! 耳付きの下民が!」
難色を示すマティエに、突然ポポン卿が声を荒らげた。
「耳付きの下民」という露骨すぎる言葉に、ポポン卿の従者までもがぎくりと顔を強張らせる。
通行人も足を止め、マティエの部下たちは明らかに憤りを表情に浮かべていた。
しかし、言われた本人はただ一瞬の間を空けたのみで、頭を下げると静かに続ける。
「……失礼致しました、ポポン卿。何より我々はまず、この罪人を護送しなくてはなりません。然る後、任に戻ります。規則に従うならば、それが――」
「うるさい! くだらんことに雁首揃える必要もないだろうが! どうせ護送の馬車が到着するまでの見張りだろう。一人を残して後は捜索に向かえ! このことが知られる前に我が管区で見つけなければ意味がないのだ、分かるか!」
「しかし――」
「これ以上口答えをするな。直ちにやれ、耳付き!」
言い捨てると、ポポン卿は背を向けて大股で去っていく。従者たちもまた、慌ててその後ろをついていった。
今どき田舎領主でも珍しいほどの典型的な差別主義を前に、セレステは怒りや軽蔑よりも驚きで唖然としてしまう。とりあえず、今からでも追いかけて叩きのめしたほうがいいのかもしれない。手錠をかけられていようが、あの程度の騎士なら一撃で十分だろう。
衛兵たちにも重苦しい空気が流れるが、マティエの方はこうした理不尽な叱責にも慣れているらしい。表情を変えず、淡々と部下に指示を出す。
「リシャール、貴方はここに残って見張りを。あとの班員は私と捜索に戻ります。それから――」
見張りを命じた部下に手錠の鍵を渡すと、くるりとセレステに向き直った。
次の瞬間、マティエは一気に間合いを詰めてくる。
「……っ!?」
息がかかるほどの近さで、さらに襟首を掴まれてぐいと引き寄せられた。
整った顔立ちが目の前に迫ったかと思うと、マティエは首筋に鼻先を埋めてくる。
「な……っ、何を……!?」
口づけでもされるのかと思ってしまうような行為に、セレステは一瞬身体を固くした。しか
し直後に聞こえてきたのは、すんすん、という鼻の音だった――彼女は、匂いを嗅いでいるのだ。
首筋をくすぐる熱い吐息に、頭が揺さぶられる。対抗してこちらも相手の匂いを楽しもうとするが、それは少し遅かった。マティエはすばやく身体を離すと、感情のこもらないままの灰色の瞳でセレステを見据える。
「……これで、貴方の臭いは覚えました。逃亡しても地の果てまででも追っていきますから、そのつもりで」
――なるほど。さっきの騎士は皮肉のつもりで言っていたようだが、どうやらマティエは本当に鼻がいいようだ。冗談を言ってるとは思えないし、体臭を辿って追跡できるということなのだろう。
踵を返し、部下を連れて去る背中を見送りながら、セレステは考える。
この状況、果たしてどうするべきだろうか。