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口づけは、ほんの数秒で終わった。それで充分だった。
凄まじい光が収まった時、セレステは自然に立ち上がっていた。
「……最高」
セレステは身体中から魔力の白い靄を立ちのぼらせ、いつかの時と同じ言葉を呟く。
あれだけの深傷はすでに跡形もなく、痛みも嘘のように消え去っていた。
一片も残っていなかったはずの魔力は、今や無尽蔵かのように身体の奥底から湧き出てくる。
間欠泉のように溢れ出す魔力の前に、コアの吸収能力はもはや意味をなしていなかった。じわじわ削られた所で、その程度なんの問題もない。
漲る力を全身で感じながら、セレステは確信した。
今の自分は、過去最強だ。
「なっ……なんで!? あんなにぼろぼろだったのに……! か、回復魔法か!?」
愕然とするキーラに、セレステは堂々と言い放つ。
「愛の力だよ!」
「違います!」
背後から即、ジルの否定が飛んできた。こちらも立ち上がり、背中合わせに剣を構えている。
後ろをジルに任せられるなら、安心して前の敵に集中できる。
セレステは眼前、再び隊列を組む近衛人形に向かって戦棍を握り直した。
そのままぐるりと回し、感触を確かめる。羽毛のような軽さは、さっきまでと同じ武器とは思えないほどだ。
「いくよ、ジル!」
「ええ!」
短い返答を合図に、二人は同時に床を蹴った。
剣を構える一体目の人形に向かって、セレステは上段から飛びかかる。
雷光のごとく振り下ろされた戦棍は、人形の頭部を防御すら許さずに完全に叩き潰した。前のめりに倒れる人形をそのままに、セレステは飛び退る。着地を狙って放たれた、二体目の突きを避けるためだ。
先程とは違い、人形の刃はセレステに触れることなく空を切る。外したと見て追撃を試みる人形に、セレステは敢えて自分から間合いを詰めた。第二撃を用意するより早く接近された人形は、それでも横一文字に斬撃を繰り出すが、既に機を逸している。
セレステは身を屈めてすれ違いざま、戦棍で人形の足をすくい上げる。魔力で劇的に強化された膂力は、両足をまとめて絡め取っていた。
顔から勢い良く床に激突する鋼鉄の塊に、セレステは追い打ちの一撃を打ち据える。戦棍と床に挟まれる形になった兜は、中身ごと無残に押し潰れた。
残る人形は三体。形成を逆転されてもなお、機械仕掛けの精鋭は怯むことなく突進してくる。
同時に相手をするのは面倒だ。セレステは瞬時に魔力を充填し、中央の一体めがけて放つ。
さっきは上手く行かなかったが、今度はどうだろうか。
「〈雷撃〉!」
放たれた純白の電撃は、光の速さで人形に突き刺さる。内部からその機構を破壊された人形は、鎧の隙間から白煙を上げて膝をついた。今のセレステなら、あの鎧の魔力抵抗も容易く突破できるようだ。
続く二体に向けて戦棍を向けるセレステを、横合いから鋭い爪が襲う。
それはたてがみを振り乱す、大型の魔物――キマイラである。
セレステは身を翻して躱し、素早く周囲を見回す。先程吹き飛ばされた魔物たちが、再びこちらへ向かってきていた。
生成陣からも新たな魔物が現れているが、こちらへはジルが刃の冴えを見せている。おかげで、背中からいきなり奇襲されるということはなさそうだ。
再び飛びかかってくるキマイラはしかし、やはり今のセレステの敵ではない。鎚頭の魔力を火焔に変換、纏わせた戦棍を飛びかかる頭部めがけて振り下ろす。頭蓋を破壊されたキマイラは床に縫い付けられ、今度こそ完全に沈黙した。
「この……っ!」
震える声とともに立ち上がったキーラは、その手に再び魔力を溜めていた。体力も回復したのか、赤い魔力は先程よりも大きく、強い。
「お前らなんか、ぼくがまとめて倒してやる!」
連発していた分を、今度は集約して放とうというのだろう。両手を捧げるように頭上へ伸ばすと、紅の魔力は巨大な槍の形へと成形されていく。
「セレステ!」
「大丈夫!」
剣戟の音とともに聞こえてくる不安げな声に、セレステは背中越しに応えた。
次の一手は、決まっている。
その瞳に映るのは、キーラの頭上で充填されつつある魔力の、さらに上で鈍く光る球体。
コアだ。
「喰らえぇぇぇぇっ!」
キーラが両手を振り下ろすと、巨大な紅い魔力槍は一直線に放たれる。
貫くというより押し潰す勢いで迫ってくる赤熱の槍に向かって、セレステは純白の魔力に包まれた戦棍を叩きつけた。
耳障りな激突音、戦棍は槍の穂先を過たず捉えている。
確かな手応えとともに、セレステは無心で戦棍を振り抜いた。
全ての膂力と魔力を込めた一振りは、紅い槍のベクトルを逆転させる。
――槍を打ち返したのだ。
「な――――」
放った時以上の速度で飛んでくる紅の塊に、キーラは言葉を失う。
しかしその狙いは、魔王の頭上にあった。
城全体が揺れたかと思うほどの衝撃とともに、穂先は禍々しく蠢く巨大な魔石――コアに突き刺さる。中枢に達するほどの深い亀裂をコアに残して、槍はそのまま霧散した。
直後、生き残っていた人形たちが機能を停止してその場に倒れる。同時に生成陣も消え、魔力吸収も停止した。
コアは形を保っているが、かなりの損傷を与えることができたらしい。見れば、まるで苦しむかのように、内側の蠢きが明らかに激しくなっている。
「やりましたか!?」
「完全に破壊できたわけじゃないけど……有効打は与えたっぽいね」
最後の一体のオークを斬り捨てて駆けてきたジルに、セレステは頷いた。
もちろん、今のセレステならあの槍を〈術式破壊〉で無力化させることはできただろう。しかしせっかくの強力な一撃とあれば、利用しない手はない。加えてコアさえ破壊すれば、優位に話を進められるだろうという狙いもあった。
「くそっ……!」
しかし、キーラも諦める気はないらしい。再び両手に魔力を充填し始めるが、速度も量も明らかに先程に劣っている。あの槍でほとんど使ってしまった上に、コアからの供給も絶たれてしまったのだろう。
「キーラ! もうやめて!」
「魔王様!」
玉座の間に駆け込んできたのは、オフェリアとラカの二人だった。コアを破壊したためか、扉の向こうでの戦いも終わったらしい。大勢は、決したのだ。




