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「……はい?」
聞き返され、セレステは無意識に声が漏れていたことに気づく。
「あー、いや。怪我はない? って聞いたの。私はセレステ。えっと、君は?」
慌てて笑顔を作り、ごまかしつつもよく観察するために早足で近づいた。
「申し遅れました。わたしは……リアと申します。その、なんだか助けて頂いてしまったようで……ありがとうございます」
リアと名乗った少女はそう言ってぺこりと頭を下げるが、どうやら危険な目に遭っていたという自覚は薄いようだ。
綺麗に結わえられたピンクブロンドの髪といい、どこか気品が感じられる口調といい、もしかしたら世間知らずなお嬢様なのかもしれない、とセレステは考えた。
「気にしないで、好きでやったことだし。それにほら、こうやって始まる前にライバルが減れば選抜会も楽になるし」
「ああ、そうでした! 貴方も勇者候補の方でしたね。そり……ええと、とにかく、なんだかすごそうな!」
セレステの言葉に、リアはぽん、と手を叩く。ほんの数分前まで男たちに囲まれて凄まれていたとは到底思えない、なんとも呑気なリアクションだ。
「そういえば、選抜会行きたいんだっけ? 良ければ案内しようか。私もこれから行くところだしさ」
「えっ、よろしいのですか!?」
「もちろん」
ぱっと明るくなる顔に思わず「むしろこっちからお願いしたいレベル」と続けそうになるが、なんとか飲み込んでセレステはうなずいた。
「まあ、ありがとうございます! 何から何まで申し訳ありません」
「いいよいいよ。同じ行き先だしさ」
「そうだ、よかったら何かお礼をさせて頂きたいのですが……」
「え、それって……例えば?」
本当なら「気にするな」とでも言って断る方がいいのだろうが、誘惑に負けてつい食いついてしまう。もしかしたら、一回ぐらいデートさせてもらえるかもしれない。
「例えば、ですか? そうですね……わたしにできることでしたら、なんでも」
「な、なんでも?」
「ええ!」
なんでも。
汚れなく頷くリアを前に、セレステは何度もその言葉を反芻した。
つまり額面通り受け取るとすれば、眼の前の美少女がなんでもしてくれる、ということになる。
しかしもちろん、「なんでも」とは言えある程度の限度はあるだろう。
であれば、ダメ元でとりあえず第一の希望を提案してみよう。
こういう時は中途半端に予防線を張るより、最初にとりあえず極端なカードを切るに限るのだ。その方が、「それよりはマシ」ということで結構大胆なお願いを聞いてもらえる可能性もあるし。
セレステは探るような目つきで、慎重に問うた。
「じゃあ――いちゃいちゃ……とかでも……?」
「……いちゃ、いちゃ?」
真意が伝わらなかったのか、それとも言葉の意味がわからなかったのか。翡翠の色の瞳を丸くして、リアは微かに首をかしげる。
セレステは強く頷くと、リアの両手を握ってずいと前に出た。
「実は私、女の子といちゃいちゃするとすごく強くなる体質で、魔力とか体力とか回復するし、なによりいちゃいちゃするのが大好きというか、むしろそのために勇者になりたいと言っても過言ではないと言うか、いちゃいちゃさせてくれるなら世界なんて無限に救うつもりだし、だからつまりその、もしあなたが何か私にお礼してくれるとするならいちゃいちゃしてくれると嬉しいなって思うんですけどどうでしょう」
一気にそこまでまくしたてて、セレステはまっすぐリアの瞳を見つめた。
断られたらもう少しハードルを下げてほっぺにキスあたりで手を打つか、それともハグぐらいにしておくか。
最悪でも、会場まで手を繋いで向かうことができれば大満足だ。
しかし、リアの返答はセレステの予想を超えていた。
「いちゃいちゃ……というのがなんだかよくわかりませんが、わたしでよければいいですよ」
「ウヒャッホ……げほげほ、ほ、本当に? マジで?」
「ええ」
思わず飛び出そうになる奇声をギリギリで我慢してセレステが確認すると、リアはにっこり笑ってうなずいた。
セレステは無言のまま大きく深呼吸し、リアに背を向けて小さくガッツポーズする。
とりあえず言質は取った。あとは「いちゃいちゃ」の範疇でどこまで許されるかが勝負である。
「いたぞ!」
どういう流れで何をどこまでしようか考えようとしたセレステの思考を、女の鋭い声が遮った。
顔を上げると、一隊の衛兵が路地の入り口から走ってくるのが見える。
声の主は、先頭を切る兵士のようだった。しっかり被った鉄帽の下に、若く意志の強そうな面差しが見え隠れする。
まだ少女と言ってもいい年齢のように見えるが、袖の赤い腕章を見るに彼女が班長なのだろう。
連続で美少女を見られて今日はいい日かもしれない、などと思いながら、セレステは衛兵たちに声を掛ける。
「ちょうど良かった、悪い奴らはそこにくたばって――」
「そこのお前、動くな! 逮捕する!」
「ええ!? 私!?」
衛兵の少女は腰から鉄製警棒を引き抜き、セレステに向けた。
驚くセレステをよそに、完全武装の衛兵たちは周囲を取り囲む。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。私別に悪いことは……」
「路地で暴れている者がいると通報がありました。あそこで倒れている二人をやったのも貴方ですね?」
警棒で示すのは、路地の先まで吹き飛ばした二人である。よく見れば、その周辺には既に人だかりができていた。なるほど、少し派手にやりすぎてしまったらしい。
「ええ!? 最初に悪いことしてたのあっちなんですけど!?」
「言い逃れしようとしても無駄です。この惨状が何よりの証拠でしょう」
「いや、それには深い訳が……そうだ、この子に聞けば――」
唯一の証人であるリアに助けを求めようと、セレステは振り返る。
しかし先程までいたはずの少女の姿は、影も形もなくなっていた。
「うそでしょ!?」
忽然と消えた証人に驚くセレステを尻目に、衛兵たちの一部は現場を調べ始めている。
衛兵の一人がセレステの最初に顔面を殴りつけた――確かトニーとか呼ばれていた男の状態を見て、眉をしかめた。
「うわ、こりゃひどい……かろうじて息はあるから、蘇生魔術は使わないで済みそうだが」
死なない程度に手加減したから当然のことだが、やはり生きていたらしい。おそらく他の男達も命はあるだろう。
「班長、こいつら勇者候補ですよ」
別の一人が班長――少女に報告する。魔術師のそばに落ちていた彼らの免状を見つけたらしい。
それでセレステは閃いた。そうだ。勇者候補であることを話せば、少なくとも怪しいものだとは思われないはずだ。
じっと睨め据えたままの鋭い灰瞳に、セレステはパウチから取り出した自らの免状を示した。
「わ、私も勇者候補で……」
「なるほど、選抜が始まる前にライバルを減らしておくという魂胆ですか」
「えっ、ちが――わないけど違うよ!」
即曲解されて、セレステは慌てて否定する。とは言え、ついさっき全く同じようなことをリアに言った手前きっぱりとは言い切れなかったが。
「ともかく逮捕します。言い訳は私ではなく、判事にどうぞ」
どうやらこの班長は、既にセレステの処遇を決めているようだ。言い訳など聞く気はない、という内心が冷淡な態度で伝わってくる。
しかしここで彼女の言う通りに逮捕されては、もちろん選抜会には間に合わないだろう。それはとても困る。勇者選抜といえば、十年に一度の大事な機会なのだ。
「ちょ、待って――」
「問答無用!」
必死に訴えるが、班長は無情にも手錠を取り出した。このままではいよいよ逃げられなくなりそうだ。
「は、話を聞いてよ!」
無理やり手錠をかけようとする班長に、思わずセレステは抵抗する。
しかし、力づくで抑え込まんとする班長の力は予想よりもかなり強く、おいそれと振り切れるものではなかった。セレステに負けないどころか、あるいは素の状態では若干上回るほどの膂力である。
「この、暴れるな!」
「ちょっと、だからとりあえず話を聞いてってば――うわっ!?」
「きゃっ!?」
揉み合いながら、二人は地面に転がったままの魔術師に引っかかって同時に倒れ込む。
身体を起こすと、転んだ拍子に外れたのだろう。地面に転がっている班長の鉄帽が目に入った。
「……おお」
視線を上げ、改めて班長を見た時、セレステの口から思わず漏れたのは感嘆の声だ。
その、鉄帽が脱げて露わになった頭部に鎮座していたのは――
犬の、耳だった。
髪の毛と同色の、銀灰色の獣耳。触らずとも分かるほど、明らかにふさふさ、ふかふかの犬耳である。
この耳が意味する所とは、すなわち彼女が獣人の血を引いているということだ。なるほど、それならあの膂力にも納得が行く。
しかし、セレステの口から出たのはもっと単純かつ明快な感想だった。
「か、かわいい……」
またしても、無意識のうちだった。
今度も慌てて口を閉じるが、さすがはイヌ科の耳と言うべきか。ばっちり聞こえていたようで、小刻みに震えるその顔はみるみる真っ赤になっていった。
「こ、こ……このっ!」
羞恥で涙目になりながら、班長は警棒を振るう。
その軌跡は――見えなかった。気づけば、セレステは頭部を殴られて地面に倒れている。
雷光もかくやという速度の一撃。見惚れていたせいで隙ができていたとはいえ、いくらなんでも早すぎる。ダメージよりも、その衝撃が大きかった。
あるいは、ただの衛兵ではないのかもしれない。いや、かわいくてショートカットで獣耳という時点でただの衛兵ではないと言えるが。しかし今日は美少女運が良すぎるのではないか。謎の天然お嬢様に引き続いて、獣耳美少女衛兵とは。
混乱するセレステの身体に、ずしりと何かがのしかかった。
目に入ってくるのは灰色の犬耳――班長だ。
怒りと恥じらいに染まった表情でセレステを見下ろし、彼女は改めて宣言した。
「暴行と侮辱罪で、お前を逮捕する!」
「……マジか」
どうやら、これ以上は逆らわないほうが良さそうだ。