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「とうちゃーく♪」
楽しげなヘルミナの声を合図にして、転送陣の光は止んだ。
周囲の風景は、一瞬で草原から石造りの屋内へと変化している。
そこは「魔王城」というイメージからは少し離れた、手入れの行き届いた広間だった。
「ここが転送室ですわ、ご主人さま」
「おお……本当に一瞬だった……」
上機嫌で微笑んでくるヘルミナに、セレステは感嘆のため息で応じた。
セレステたちが立っているのは部屋の中央、円形に縁取られた空間である。こちらから転送するときも、ここに陣を展開することになっているのだろう。
「……敵影は、今の所ないですね。それどころか――」
「うん。誰もいないね」
周囲に警戒するジルに、セレステは頷く。
想定とは違い、転送室に兵士の影は一つもなかった。
「おかしいですわね、見張りの一人でもいそうなものなのに」
これはヘルミナにも予想外だったらしく、小首をかしげている。
作戦通りに行くならここで変装をする予定だったのだが、このままではそうもいかなそうだ。
「どうしようね、これじゃ奪う服がないよ」
そのセレステの呟きに素早く反応したのは、やはりヘルミナだった。
「私の服で良ければいつでも剥ぎ取ってくださってよろしいんですのよ?」
「そういうことはまず服を着てから言って下さい」
冷めた口調で言って、ジルは鋭い視線を向ける。布というよりも紐に近い服装のヘルミナに、その指摘はある意味もっともと言えた。
「あら……貴方、言葉責めの才能あるんじゃない? ちょっと良かったわよ今の」
「人を罵って興奮する趣味はありません」
ヘルミナの純粋な称賛とも揶揄とも取れる言葉に、ジルはあくまで冷たく即答する。この二人、実は気があっているのではないだろうか。
「よし、とりあえず王女のところに――」
「あら?」
セレステの言葉を遮ったのは、後ろ――出入り口の方から聞こえてきた声だ。
覚えのある声音にセレステは思わず振り返り、目を疑った。
「え……!?」
「セレステ様?」
そこにいたのは意外そうな表情を浮かべた、リア――オフェリアだった。
「おっ、王女殿下……!?」
遅れて振り返ったジルもまた絶句する。探し人の方から目の前に現れるとは、思ってもみない展開である。
愕然とする二人を前に、オフェリアは返したのは素朴すぎる反応だった。
「あら、衛兵の方まで! それに……そちらの方は、初めまして……でしょうか? 私はオフェリアと申します。よろしくお願いしますね」
「ふふ、どうも。勇者さまの忠実な奴隷、ヘルミナですわ」
律儀な挨拶に、ヘルミナも華麗な礼を返す。何やら新たな設定がついていたような気がするが、〈漆黒伯〉の方の肩書きはどこかに置いてきたのだろうか。
「皆さん、こんなところでどうしたんですか? 奇遇ですね」
「わ、我々は王都より派遣された者です。私は王都守備隊のジル・マティエ。オフェリア王女殿下、貴方を救出しに参りました」
囚われの身とは思えないほど脳天気な挨拶に戸惑いつつも、ジルはなんとか折り目正しい敬礼とともに応えた。
「え? 救出に? なぜです?」
「な……なぜ、と言われましても、その」
「リア、誘拐されたでしょ? だから助けに来たんだけど……」
「誘拐?」
セレステが口にしたそのものずばりの言葉にすらきょとんとして、オフェリアは首をかしげた。もはやこれは話が噛み合わないというより、むしろ前提が違うのかもしれない。
確かにオフェリアはどこか呑気すぎるというか、高貴な身分らしい鷹揚なところがあるのは見受けられたが、それでも誘拐されて平然としていられるほどではないはずだ。
見れば、傷などはないように見えるし、栄養状態も良好そうではある。
攫われた時の服装とは別の仕立てのいいドレスに身を包み、髪もしっかりと結われているのも合わせて、待遇面での心配はなさそうだ。
ひとまず詳しい話を聞こうとセレステが考えたその時、オフェリアの後ろからもう一人の影が現れる。
「オフェリア様、こちらにいらっしゃいましたか。魔王様がお呼びですよ」
「っ……!?」
まず息を呑んだのはジルだ。セレステもまた、身体を緊張させる。
転送室へ入ってきたのは、緑の軍装を纏った麗人――ラカだった。
「なっ……あの時の人間たちと……ヘルミナ……!?」
あちらもセレステたちに気づいて顔を強張らせるが、その眼が中心に捉えているのは勇者と剣士の後ろに立つ魔族である。
ヘルミナはしかし、ふん、と鼻を鳴らして毒づいた。
「あら、面倒くさいのが来たわね」
「王女殿下、お下がりください!」
ジルが気迫とともに剣を抜き、セレステも戦棍に手をかける。事が始まるとしたら、おそらく数秒のうちだ。
「ああっ、待ってください! 誤解です!」
空間に満ちようとしていた殺気を、慌てた声が押し止める。
あたふたと間に入ったのは、オフェリアだった。
「……誤解?」
戦棍の柄から手は離さずに、セレステはリアを見る。
しかし続く言葉は、その理解を軽く超えていた。
「ラカはわたしを助けてくれたんです!」




