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一言で言うならそれは、漆黒の全身鎧。
禍々しい曲面と鋭利な末端が特徴的なシルエット、ぬらりと紫に光るエングレーブを施した硬質の肌、そして獰猛な肉食獣を思わせる頭部。その姿に、先程までのヘルミナの面影は殆ど残っていなかった。
細身の姿は女性的にも見える。だがそれは、丸みを帯びた柔らかさというより――鋭利で残忍な美しさに近かった。
明らかに元より体躯は大きくなり、四肢は長くなっている。その一方で、腰回りは折れそうなほどに細かった。これは鎧を装着したのではなく、身体自体を変化させたのだろう。
最後に喚び出した長剣を片手に持つと、黒鎧の戦士は感触を確かめるように大きく一振りした。悲鳴を上げて両断されるがごときの風鳴りが、封鎖された戦場に響く。
「ま、まずいぞセレステ! あれは……!」
見覚えがある状態なのだろうか。魔力壁の外側から、ティオの張り詰めた声が聞こえた。
「〈鎧殻招来〉。このとっておきを使えるなんて思ってなかったわ。自慢の身体を見せつけられないのは残念だけど、ふふ」
漆黒の頭部から発せられたのは、ヘルミナの声だった。魔力の影響で歪んではいるものの、判別できないほどではない。やはり予想の通り、変化系の魔術を使ったらしい。
「さあ――行くわよ!」
踏み出したヘルミナは、間合いごと切り裂くように剣を振るう。
辛うじて避けるが、剣風だけでも威力を持つほどの斬撃を前にセレステは思わず舌を巻いた。リーチが伸びただけではなく、速さも先ほどを上回っているようだ。
「あ、ああなるともう手がつけられん! あの状態のあやつは、人間と戦うことに快感を感じる狂戦士……! わしらの時は魔族の協力者がいたからなんとかなったが、それでも封印するのがやっとだったのじゃぞ!」
「あの時と同じ……ふふふっ、やっぱり私を喜ばせてくれるのはいつだって勇者、っていうことかしら?」
慄然とするティオとは逆に、ヘルミナは兜の奥から笑い声を響かせながら斬撃を重ねてきた。戦棍で受ける度、凄まじい威力に骨までぎしりと軋む。
こちらも高まった魔力のおかげでなんとか互角を維持できそうだが、それもずっとという訳にはいかない。どこかでいちゃいちゃでもしない限り、魔力は減っていくばかりなのだ。このままでは、戦闘を長引かせるほど勝つ見込みは薄くなる。短期決戦で終わらせるためにも、どこかで突破口を見出さなくては。
黒鎧は刀身に魔力を纏わせると、薙ぎ払いざまに電撃に変換して放射する。
軌跡に沿って放たれた黒雷を身を捩って避け、セレステは苦し紛れに〈衝撃弾>を撃ち返した。しかし魔力の塊は鎧状の肌に弾かれて霧散し、手応えは一切ない。どうやらこの形態は、魔力抵抗も相当高いらしい。
「はぁっ、はぁぁぁ……素敵……貴方、やっぱり最高よ……!」
追撃してくるヘルミナの頭部から聴こえるのは、極度に興奮した艶っぽい声だ。
その声を聞いた途端、セレステは身体が軽くなったような気がした。
最初は勘違いかと思ったが、明らかに先ほどよりも魔力が回復している。
打ち合いながら、セレステは問いかけた。
「……戦うと、興奮するんだ?」
「ふふ、ただの戦いじゃダメよ。人間との戦い……本当なら、私達より弱いはずの存在に、命を脅かされるこの感じ……たまらないわ!」
快感に濡れた声音で、陶酔しきったようにヘルミナは叫ぶ。まるでなにかいかがわしいことでもしているような吐息を漏らしながら、いっそう手数を増やしてきた。
「ほら、ほらぁっ、どう、どうなの!? ふっ、ふふっ、そっちからも、動いて、いいのよ!」
左右となく続く連撃に防戦一方でありながら、セレステはなぜか徐々に力が湧いてくるのを感じていた。こんなことは普段ではありえない、というよりこれまでで初めての経験だ。先程のように意識的に胸に顔を埋めたりしているわけではなく、ただ戦闘をしているだけだというのに。
五感が研ぎ澄まされ、相手の太刀筋が段々と視えてくる。反応速度も上がり、身体もそれに追従する。骨を軋ませるほどに重かった一撃は、今や凡百の打撃と大差なく受けられた。
左から飛んでくる刃、その軌跡に戦棍をあわせた瞬間、セレステは確信する。
――今だ。
体を右側に入れ、激突した刃に戦棍を滑らせる。擦過の火花が明滅する中、セレステは無理やり腕を跳ね上げた。生まれるのは、一呼吸以下の間隙。しかし、攻守を逆転するにはそれで充分だった。腹部めがけてセレステが戦棍を繰り出した刹那、ヘルミナの刃が防御に回る。
反撃の隙を与えず、そのままセレステは次の一打に移る。
「くっ、あっ、はぁぁっ、もっと、もっと打ってきなさいな!」
ヘルミナが嫣然とした声を上げる度、セレステはまたしても魔力が湧き出るのを感じた。叩けば叩くほど――いや、ヘルミナが反応するほど力が生まれるのだ。守るだけでなく、攻めてもなお魔力を得られるとは、一体どういうことなのか。
「ひっ、いぃぃっ、あんっ、や、ぁ、それっ、それだめぇっ!」
守りの上から一方的に攻め続けると、ヘルミナは甘い叫びを上げながら必死に耐える。
その声で、セレステは気づいた。
――これは、「いちゃいちゃ」だ。
いちゃいちゃしているから、魔力が回復しているのだ。
何もいちゃいちゃとは、頭を撫でたり抱きついたり、あるいは揉んだりどうこうしたりすることだけを指すものではない。人によっては鞭で叩かれたり、逆に叩いたりすることで興奮する者もいるように、その範囲は多岐に渡る。
ヘルミナの場合は、先程言っていたように「自分より弱いはずの相手」つまり人間に苦戦することが「たまらなく興奮する」のではないか。
これなら確かに説明もつく。すなわち、攻めるにせよ守るにせよ互角以上に戦えばそれはいちゃいちゃしていることになるというわけだ。
「まだ……まだよっ! このまま一方的になんて、やられるものですか……っ!」
仕切り直そうとしてか、ヘルミナは一閃する刃から衝撃波を放つ。
しかし、今のセレステにはそれも容易く避けられるほどの速度にしか映らない。間合いを取りつつ微かに仰け反るだけで、衝撃波は虚しくすり抜けた。
セレステは追撃の〈火焔弾〉を弾き、魔力を込めた突きを放つ。勢いの乗った一撃は、防御の上からヘルミナの身体を弾き飛ばした。
「んぅっ!?」
背中から叩きつけられるヘルミナは、しかし一回転してなんとか起き上がる。だがその足元はふらつき、蓄積したダメージを隠しきれてはいなかった。
「な、なぜ……? 触らせてないはずなのに、強くなって――」
「お前は勘違いしている」
セレステは、困惑する相手をゆらりと戦棍で指し、言った。
「私は――女の子といちゃいちゃするだけ、強くなるんだ」
「な、なるほど……ふふ、素敵じゃない……っ!」
ヘルミナは刀身に込めた魔力を数発もの魔術弾に変換、薙ぐようにして一斉に放つ。
瞬時、術式破壊では対処が追いつかないと判断したセレステは、前方に魔術盾を張って突進した。盾に命中した電撃が弾け、火焔弾が熱風と共に掠め、衝撃弾が足元で爆ぜる。
既に堅固な構えで待ち受けるヘルミナに、セレステは限界となった魔術盾を解除して突っ込んだ。打ち下ろされる刃を戦棍で弾き上げ、そのまま全力で踏み込むと同時に胴体を薙ぐ。
金属音。振り抜いた一撃は、完全に腹部を打ち据えた。
「――――――――っっ!!」
声にならない声を上げ、ヘルミナは膝から崩折れる。
――決着だ。
变化の魔術は解け、鎧は黒い粒子となって散っていく。元の姿に戻ると同時に、ヘルミナはどさりと横たわった。
「セレステ!」
ジルの声に振り向けば、<高位術式封鎖>の透明な魔力壁が消えている。駆け寄ってくる二人をよそに、セレステはヘルミナに近づいた。そばに寄ると、そっと屈んで顔を覗き込む。
上気し、汗ばんだ胸元は、深い呼吸に上下していた。
うっすら目を開けたヘルミナは、間もなくセレステに気づいて口を開く。
「さあ……止めを刺しなさいな」
「んー、それはいいかな」
「なぜ……?」
セレステの答えが意外だったのか、ヘルミナはかすかに眉を顰める。
かすかに笑って、セレステは答えた。
「負けを認めた相手を殺す必要はないでしょ? それに――」
戸惑う顔をそっと撫で、続ける。
「こんなに可愛いのに、勿体無いじゃん」
「そん、な……ふふ……私の、負けね……」
恍惚とした表情のまま、ヘルミナは気を失った。
そこに駆けてきたのは、ティオとジルだ。
「た、倒しおった……! でかしたぞ、セレステ!」
「いてっ、いててっ! ちょ、ちょっと待って……!」
ティオにばんばんと背中を叩かれ、思わず声を上げてしまう。魔力で強化していても、痛覚遮断でもしなければ痛いものは痛いのだ。
一方のジルは、さっきのやり取りが聞こえていたのだろうか。呆れと称賛の混じったような笑顔で、言った。
「……貴方がなんで強いのか、やっとわかった気がします」