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ジルは剣を抜き放ち、今にも飛びかからんとする気迫とともにヘルミナに問う。
「王女殿下をどこへやった!」
「王女? 何のことかしら。あの会場にいたの?」
とぼけているのか本当に知らないのかいま一つ判りかねる調子で、ヘルミナは首をかしげた。
その態度に、セレステは軍装の魔族――ラカが現れた時のことを思い出す。
ヘルミナはあの時、ラカの抱くオフェリアにはまるで興味を示していなかった。と言うよりむしろ、ラカに対しては敵意があるような口ぶりではなかったか。
一方で、あのやり取りを見ていないジルは噛み付くように追求する。
「貴様、しらを切るな! お前の仲間が殿下を攫っただろう! 転送魔術で消えるところをこの目で見たぞ!」
「仲間……ああ、もしかしてラカのこと? 何度も言ってる通り、関係ないわよ」
やはりヘルミナの返答は、どこか冷めていた。もしかして、本当にオフェリアの誘拐については関係がないのだろうか。
セレステの予想を裏付けるように、ヘルミナは続ける。
「今の私は誰の仲間でもないわ。ただ、「勇者」みたいな強い人間と遊びたいだけ。だからあの会場に行ったの。百年前と違って、暴走させた魔物にやられちゃうような弱い子ばっかりでがっかりしちゃったけど……掘り出し物もあったから甲斐はあった、ってところかしらね。セレステ、やっぱり貴方が新しい勇者になったんでしょう?」
ヘルミナは、蠱惑的な笑みとともにセレステに問う。
答えようとしたセレステを遮ったのは、遅れて出てきたティオの声だった。
「貴様……ヘルミナか!? あ、あのとき封印されたはずでは……!?」
「あら、この魔力の流れ……貴方、もしかして〈天眼〉? 嘘、前は普通の女魔術師だったじゃないの。随分イメチェンしたのね」
驚愕するティオとは逆に、ヘルミナはむしろ旧交を懐かしむように表情を和らげる。ラカとのやり取りを考えれば、同族よりも親しみを覚えているようにすら見えた。
セレステはヘルミナから視線を外さず、ティオに問う。
「ティオさま、あいつと知り合いなの?」
「うむ。魔王軍四天王、〈漆黒伯〉ことヘルミナ。百年前、わしらが魔王領の奥地に封じた強力な魔族よ。戦を愛する生粋の戦闘狂、四天王の中でも一番の戦力と言われておった。我らの力をもってしても倒し切ることができず、なんとか封印したのじゃが……しかし……誰が解いたのか……」
顔を強張らせるティオに、ヘルミナは余裕を崩さずに答えた。
「ふふ、ご紹介ありがとう。その通り、私はあの時あなた達に封印されたんだけど、ちょっと前に魔族同士で揉めてるからって起こされちゃったの。でもそんなの興味ないから、無視してあの勇者を探すことにしたのよ。あの時の続きをしたくて」
ヘルミナは陶然と、どこか遠くを見るように言う。
「でもあの勇者はとっくに死んでるし、新しい勇者とかいう子も見ただけでわかるぐらい弱くてがっかりさせられるし……だけど、聞いたらちょうど何年か後にまた新しい勇者が決まるって言うから、それまで待つことにしたの。それであの選抜会、ってわけ。ちゃんと強い子がいるか不安だったけど……貴方と出会えた」
どうやらヘルミナは、ティオたち百年前のパーティの他にセレステの一代前の勇者にも会っているらしい。彼らが死んだという話も聞かないから、言葉通り戦うまでもないと判断したのだろうか。
向けられる熱っぽい視線から逃れるように、セレステは疑問を口にする。
「で、でもなんでここがわかったの? 地図には載ってないはずだし……」
「あの時の戦いで貴方の魔力はしっかり覚えたもの。変わった波動だし、辿ってくるなんて造作も無いわ。でもまさか、昔の知り合いにも会えるとまでは思ってなかったけど。その上、まさかそんなかわいい見た目になってるなんてね」
「ぬっ、お主もこのかわいさが分かるのか……?」
「そんなこと聞いてる場合ですか! それより援護してください、皆で行きますよ!」
満更でもない反応のティオを叱咤し、ジルが突貫の構えを作る。
「あら、ごめんなさいね。用があるのは一人だけなの」
ヘルミナはマントの中から握りこぶしほどの球体を取り出しつつ、にべもなく言った。反対の手には、既に魔力が充填されている。
「さ。続き、しましょう?」
「えっ、わああっ!?」
「セレステ!」
誘うような声とともに素早く放たれたのは、魔力で作られた鞭だった。
反応するより早くセレステは絡め取られ、そのままジル達から離れた方向に投げ飛ばされる。
「――〈展開〉」
すかさず、ヘルミナは術式とともに球体を真上に投げた。
直後に破裂した球体は、巨大なドーム状の魔力壁となってヘルミナとセレステを外界から隔絶する。
「なっ……!? そんなものまで持っていたのか、貴様!」
見覚えがあるのか、ティオは驚愕に呻いた。
「くっ……なんとかして下さい!」
「ええい、ちょっと待つのじゃ! これは外からでは如何ともし難い……!」
ジルにせっつかれてティオは書籍型魔術杖を開くが、その表情は突破の難しさを物語っている。透明の魔力壁は、見た目以上に脅威なようだ。
締め出された形になった二人を見て、ヘルミナは嘲るように緩やかな笑みを浮かべる。
「ふふ、頑張っても無駄よ。開けたければ鍵を使わないと」
言いつつヘルミナが示すのは、胸元に光るペンダントだった。十字架のような形をしたそれは、おそらくヘルミナの言う「鍵」なのだろう。
「<高位術式封鎖>、簡単に言えば魔術で作ったかたぁい壁よ。私を倒すかこの鍵を使うかしないと開かないの。つまり、私達の邪魔をする者は誰もいないっていうこと」
「なるほど……二人きりになりたい、って思ってくれたわけね」
セレステの軽口に、ヘルミナは満足げに頷いた。
「そういうこと。さあ、楽しみましょう!」
ヘルミナは言い放ち、凄まじい速さで疾駆した。