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翌朝、未明から出発してセレステたちは山脈へ向かった。
最も町に近いレネ山を登っていき、中腹から立入禁止の山道をたどる。
地図によれば、こちらの方角に進んでいけばティオの隠れ家に到るらしい。
中腹地点にあった立入禁止の看板を越えてからしばらく行った所で、突然一面に広がる白が視界に飛び込んできた。
「ありました、これが目印ですね」
地図を確認し、ジルが立ち止まる。
それは、ダラン山脈原産の白い百合が一面に咲き誇る、美しい花畑だった。
「ここで右手に曲がって、あとは道なり――だそうです」
「おお……すごいね」
「ええ、綺麗に咲いてますね」
広がる純白にセレステが思わず感嘆の声を漏らすと、ジルも頷く。
心なしか和んだ空気の中で、セレステはしみじみと呟いた。
「やっぱり、百合はするのも見るのもいいものだね」
「……百合ってするものでしたっけ」
訝しげに問うジルに、セレステは力強く頷く。
「私たちならできるよ」
「遠慮しておきます。よくわかりませんが嫌な予感がする」
「あっ、待ってよ!」
言葉の意味も聞かずさっさと先に行ってしまったジルを、セレステは慌てて追いかけた。
しばらく進むと再び整備された山道に出るが、この道は通常の地図には表記されていない。ジルが持っている、王都を出る時に渡されたものには記されている、いわゆる隠し経路である。
「しかし、〈天眼の〉ティオかぁ……聞いたことはあるけど、どんな人なんだろう。十中八九おばあちゃんなんだろうけど」
左手が森、右手が険峻な崖という山道を行きながら、セレステは呟いた。
百年前の勇者パーティに所属していたとなれば、魔術師なら知らないものはいない。それだけ、魔王軍と戦った最後の世代というのは有名だった。
彼らの活躍が、現在の勇者を名誉職たらしめているのだ。
緊張感のない山道に飽きてきたのか、ジルも珍しく話に乗る。
「でもナシュハク閣下は若々しいですよ。魔術師ってそういうものなのでは?」
「うーん、どうだろうな。確かに魔力が強いと若さを保てるもんだけど、流石に二百歳以上ともなると厳しいんじゃない? 百年前にはもうおばあちゃんだったって言うし、最低でもしわしわだろうな……せめて耄碌してなきゃいいんだけど。最悪なのは到着してみたらもう骨になってたってパターンかな」
「やめてください、縁起でもない」
「だって二百歳だよ? 十分あり得るよ。でもまあ、ナシュハクさんの言葉を信じた上でもし贅沢を言うなら、ぎりぎり「お姉さん」って呼べるぐらいの若さだったら……」
セレステの発言を受けて、ジルはじろりと視線を向けてきた。
「若かったらなんなんですか」
「えっ? やだなあ、変なことをするわけじゃないよ! ちょっと仲良くしたいなって……」
「軽蔑します」
「ひどいな、少なくとも嫌がる女の子には無理やりいちゃいちゃしたりしないし! あの時だって――」
「――ッ!」
弁解するセレステを前に、ジルは唐突に剣を抜き放つ。
「うぇっ!? そ、そこまで怒る!?」
「違う!」
鋭く叫ぶと同時に、ジルの腕が鞭のように跳ねた。
――金属音。
刃に弾かれた何かが、勢いよく地面に突き刺さる。それは黒く光る矢のような、細長く硬質の物体だった。
「敵です!」
短く告げ、ジルは攻撃された方向――森の中に向けて構える。
すると直後、先ほどと同じ何かが続けざまに、今度は数発まとめて飛んできた。
しかしいずれも素早く叩き落とすと、ジルは森に向かって誰何する。
「誰だ、出てこい!」
返答の代わりに聴こえてきたのは、低く響く音だった。それが獣の唸り声だと気づくのと同時に、森から巨大な影が飛び出してくる。
二足歩行ながら、人と言うには大きすぎる体躯。猪の如き牙を持つ醜い頭部、薄汚れた深緑の皮膚を持つその魔物の名は、オークである。
しかしこの個体は、どうやら魔術によって改造を加えられているようだった。通常のそれと違って、拳には長い爪を持っている他、背中に無数の針のようなものが生えているのだ。
先程の攻撃は、その針を飛ばしてきたのだろう。
「うわぁ……やっぱりこういうの仕込んでたか」
「では、これは――」
「うん、多分ティオのペットだね」
セレステが戦棍を抜くと同時に、オークは猛烈な勢いで突進してくる。
魔力を充填するには足りないとみたセレステが飛び退るよりも早く、ジルはその身体を蹴り飛ばした。
「ぐわっ!?」
無様に地面に倒れるセレステをよそに、ジルは反対側にひらりと跳ぶ。直後、二人がいた空間をオークの巨体が突っ切った。どうやら、ジルなりにセレステを守ろうとしてくれたらしい。
突進攻撃が失敗したオークは急停止し、背中を向けたまま屈んだ。すると背部の無数の針が持ち上がり、後方に向かって一斉に発射される。
セレステは魔力壁を展開してこれを防ぐが、ジルは針を叩き落としつつ、オークの背中に向けて疾駆した。
接近に気づいたオークは、振り返りざまに丸太のような腕を振り回して迎撃する。しかし、大ぶりで捉えられるほど遅いジルではない。身をかがめてくぐり抜けざま、肘の内側を斬りつける。
赤黒い血液が散り、オークは苦悶に呻いた。この隙を逃さずジルは二撃、三撃と繰り出していく。
推移を見守りつつ、セレステは魔力を再充填する。左手に直接集め、攻撃魔法で頭部を破壊しようという作戦だ。
一方のジルは相手の大振りな一撃を避け、続く逆方向からの拳を下がって避けた。
しかし直後、肩からの突進は捌ききれずに弾き飛ばされ、地面に倒れる。
オークはすかさず、身体ごと押しつぶそうとジルへと飛びかかった。
――させるか。
セレステは充填完了した魔力を一気に練り、左の手のひらを向けて狙いを定めた。
「よし、〈衝撃――ぐっ!?」
直後、その詠唱は苦悶の声とともに中断する。
森の中から飛んできた針が、セレステの肩を抉っていた。
――二体目のオークだ。
痛みもさりながら、腕が動かない。傷口は深く、骨まで達しているようだ。
針の主はのそりと森から現れ、余裕ぶったように緩慢に近づいてくる。
聴こえてくる地響きに向こうを見やれば、ジルを狙ったオークが押しつぶそうと倒れかかっていた。
直撃したかと不安がよぎるが、どうやら間一髪で避けていたらしい。ジルは間合いを取って立ち上がり、再び剣を正眼に構えている。
目の端でこちらの様子をちらりと確認したジルと、視線がぶつかった。傷を負ったセレステの様子に、微かに表情がこわばる。おそらくこちらが劣勢と見てのことだろう。
セレステは肩から無理やり針を引き抜くと、投げ捨てた。
ここは一つ、かっこいいところを見せなくては。




