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ある男は困惑します

「ああ、足りねえねな! 顔を洗って出直してきやがれ!」


 粗野な男の外見に似合ったダミ声で、俺は店の外に蹴り出された。


 同時に分厚い木のドアが音を立てて閉まり、慌ててノブを力任せにひねるがビクともしなかった。



「クソがっ! ぶっ殺すぞ!」


 激情に任せて怒鳴り散らすが、聞き慣れた自分の声が虚しく路地に響くだけだった。



 ここはナンコーク王国の王都———その中でも、特に治安が悪いとされる裏路地のさらに奥。何度も再開発が行われているが、どれだけ栄えた街でも多かれ少なかれこういう場所はあるものだ。


 通りを歩くのは後ろ暗い過去を持つもの、不法に他国から移住してきたもの、政治競争で負けたもの……様々だが、共通しているのは皆が一様に死んだ目をしているということ。また、男もその一人だった。



 何も初めからそうだったわけではない。男はこれでも、王国の西方に位置するザイール共和国では名の通った商人だった。豪華な屋敷に住み、美人な嫁と可愛い娘の三人暮らしを満喫していた。仕事は辛いこともあったが、徐々に成果が出て支店が増えていくことにやりがいも感じていた。


 

 そんな矢先だった。



 突然現れた政府の官吏が、商会の営業中止と資産の差し押さえ命令の書類を持って商会にやってきたのだ。唐突すぎる宣告と、全く身に覚えのないことだったので男は猛反発したが聞き入れられなかった。

 男一人なら最後まで争うこともできただろう。しかし日を重ねるごとに厳しくなる周りからの視線と、それに伴って急降下する商会の売り上げが妻と娘を苛む。そう考えただけで耐えられなかった。


 だから、仕方なく家族揃って王国へと逃亡したのだ。


「なんで、意味のわからねえ命令で生活を奪われなきゃならんのだ……幸いにも王都はなんの政策か知らんが、はぐれ者の俺たちでも飢え死ぬことはない。だが娘のエリーには温かい飯と薬が必要なんだ……」


「その願い、私が叶えましょうか?」



 銀糸を弾いたような、美しい声が路地に響いた。


 慌てて声の方を向くと、真っ黒なケープで顔を隠した人物が立っていた。


 断定はできないが、声と体格からしておそらく女。


「ねえ、エリーちゃんは元気かしら? スミスさん」


 娘の名前と自分の名前を同時に当てられ、男は声にならない悲鳴をなんとか飲み込んだ。



「てめえ、何の用だ? なぜ俺たちの名前を知っている?」


「そんなことどうだっていいでしょう? それよりもあなた、さっき私がした質問に答えてくださらない?」


 柔らかい声のはずが、なぜか有無を言わさない圧力を持って男を追い詰める。


 だからこそ、男はわずかに間合いを取りながら口を開いた。


 何かあっても、瞬時に逃げられるように。



「風邪をこじらせて寝込んでる。けどあんたの助けは必要ない」


「これを見ても、同じことが言えるかしら?」



 ケープに手をかけて、勢いよく頭から取り払った。


 そこから漏れる陽だまりのような髪に、美の女神を思わせる端正な顔立ち。


 最近まで商会にいた男は、よくその顔を知っていた。


「エレナ・リ・アムネシア王女殿下……お初にお目にかかります」


 すぐさま最敬礼の姿勢をとって平伏する。今までの無礼を考えれば、このまま首を飛ばされても文句は言えない状況だ。


 端的に言えば、眼前の少女が自分と家族の生殺与奪を握っているという状態。



 しかしそんな俺にクスリと笑いかけると、彼女はその美しい唇を開いた。



「そんなかしこまる必要はないわ。私は、あなたにお願いをしに来たのよ」


 目の前に立つのは、一国の王族にして今をときめく商会の会長。


 しかし、男には譲れないものがあった。だからこそ、震える膝を叱咤して口を開く。



「恐れながら、条件がございます」


「へえ、あなたが私に条件? 言ってみなさい」


 先ほどまでよりも鋭さを増した言葉に、男は一瞬口ごもる。


 だが、寸刻のうちにその恐怖を押し殺す。


「私には家族がおります。その家族を保護してくださるなら、私はどんなことでもいたしましょう」


「そうね……いいでしょう。私に流れる血と、私の両親に誓うわ」


 

 これが、エレナと男———王国で五本の指に入ると評判になる、大商人スミスの初めての出会いでした。








 

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