お嬢様は間違えます
次の日、私が身支度を済ませて食堂へ降りるとお父様の姿がありました。その隣ではお母様が、何やら書類とにらめっこしながら唸っておられます。
「おはようございます、お父様、お母様。もうベッドから起きてもよろしいので?」
「おはよう、エレナ。そうだな、医者も『今日は調子が良さそうなので少し動いてもいいですよ』と言っておったから問題なかろう。それに、何かあってもレーナがそばにいるから何とかなるだろうて」
「またそんな調子のいいことを言って……何もないのが一番なのです! ———おはよう、エレナちゃん。さあ、一緒に朝食をとりましょう!」
お母様が書類を脇にのけ、弾むように席を立ちながら私の元へ駆けてきます。その表情には淑女らしからぬ、まるで少女のような笑みが浮かび、同性の私でもため息が出るほどの愛嬌に満ちていました。普段は礼儀作法に厳しいお父様も、お母様の様子にただ苦笑を浮かべるのみです。
「ずっとエレナちゃんは忙しかったし、なかなか時間が合わなくてご飯も一緒に食べられなくて寂しかったのよ?」
「そうですね、こうしてお母様たちとゆっくり朝食を摂ったのはいつ以来でしょうか……今日はお母様とゆっくりすることにします」
私の言葉にお母様はさらに笑みを深くし、その様子に朝食を運んできた侍女たちも小さく微笑みを浮かべます。
お母様のそういった天真爛漫さは、私も一人の女性として見習いたいところですね。
朝食の後はお父様の寝室に戻り、今日の本題である近況報告を始めます。随時、文書などで報告は入れていましたが、こうした機会に直接話しておくことも大切でしょう。特に最近は厄介事が立て続けに起きました。共和国との戦、金鉱付近での部族対立、そして———
「以上が、プレスト王子とロレンス王国の状況です。現在、王宮に併設されている迎賓館に滞在しており、対応はケーネとミリダがやってくれています」
「そうか……いや、まさか求婚をした王子が自ら足を運ぶとはな……災難だったな」
「そうですね、私の予想外のことに驚いてしまいました。あれで完全に向こうのペースに乗せられてしまったように思います」
よく考えれば、何度か手紙でやり取りを重ねたうえでの対面ならさほど驚きもしなかったでしょうし、対策もいろいろ練ることが出来たというものです。無論、それが王子の目論見だったのでしょうけど。
眉間にしわを寄せながら悩んでおられるお父様に、今回の縁談はどうかと問うと、さらに表情を曇らせて答えてくださいました。
「そうだな……一国の王としてなら、今回の縁談は良い話だと思うよ。自分がもし、エレナの立場なら受けていたかもしれん。幸いにもエレナの周りには優秀な文官たちが育ちつつあるのだからな。
だが、一人の父親として考えるならエレナの好きな道を歩んで欲しいと思うよ。好きでもない男と無理に結婚などしなくてもいいと思う」
「お母さんも同意見よ。エレナちゃんにはちゃんと、エレナちゃんなりの幸せを見つけてほしいと思うわ。それに『王女』という立場が邪魔なのなら、捨てても構わないと思うほどに」
「お母様、いやですが……それは……」
元々、悪役令嬢に過ぎなかった私が『王女』としての生を受けた以上、人並みの幸せなど望めるはずがないと思っていました。それは貴族として、王家の女として当たり前のことだからです。
人並みの幸せを捨てる代わりに、平民よりも豊かな生活を送ることが出来るのですから。
そんな考えを、お母様は笑顔一つで吹き飛ばしてしまいました。
お母様の放つ雰囲気は、その場を支配してしまうのです。
お母様の浮かべる表情、仕草、吐息の一つに至るまでが私の中の固まった考えを溶かしていくようです。
「ちゃんと好きな人と結ばれて、可愛い子供とこうして話せることがどれだけ幸せなことか……一人の母として、また一人の女としてエレナちゃんには『幸せ』になってもらいたいの。それがお父さんと、お母さんからのお願い。どう?」
「……っ、そう、ですか……」
「お、おい泣くな。エレナに泣かれると後が怖いんだ」
「いえ、今は泣いていいのです。泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑えることが幸せへの第一歩なのですから」
私の涙にあわてるお父様と、それを優しく制しながら私をそっと抱くお母様。
こうしてようやく、私は自分が間違えていたことを知ったのでした。