第3話:公爵家の次男坊
アーノルド=クラーニヒがその銀髪の少女と初めて出会ったのは、彼がまだ十八の頃だった。
数百年にわたる名門クラーニヒ公爵家の次男として生まれた彼は、長男とは比べ物にならない才能の塊だった。剣術、学問はもちろんの事、優れた力におごらない謙虚さも持ち合わせていた。
また、本人はそれほど気にした事は無かったが、見目麗しいその姿は、異性はもちろんの事、同性すらも好意的な視線を向ける。
そんな彼が冒険者などという道を選んだのは、皮肉にもそれら全てが原因だった。
長男ではない彼は、家の相続権は兄に一歩譲るし、その兄を彼は毛嫌いしていた。
兄は数百年の名門貴族という椅子にあぐらをかき、平民はもちろんの事、奴隷を人間として扱っていなかった。
「あいつらは奴隷なんだから当然さ。むしろ、俺達に奉公出来る奴は幸せさ」
それがアーノルドの兄の口癖だった。そして、多かれ少なかれ貴族達にはそういう考えをする者が多い。自分達は選ばれた者である。その中に自分も含まれているのが、アーノルドとしてはたまらなく嫌だった。
そうして家族から猛反発されながらも、アーノルドは冒険者としての道を歩むことにした。貴族として遊んで暮らせる身分ではあったが、その怠惰に身をゆだねたくはなかったのだ。
しかし、戦闘術や魔獣の生態を学ぶため、冒険者の養成所に入ったアーノルドを待っていたのは別の失望だった。
「さすがは名門貴族のアーノルド様。何をやらせても素晴らしい」
他の学生達からも、養成所を運営している教師すらもそう讃嘆した。
確かにアーノルドは優秀だった。何をやらせても人並み以上にこなせるどころか、入学した段階で既にトップの実力を持っていた。
さらに、教師達も必要以上にアーノルドを褒め称えた。何せ彼らよりアーノルドの実家の方が力が上だ。怒らせたら自分達の首が飛ぶと考えていたようだ。
「違うんだ……僕は、こんな事を望んでいない」
持たざる者が聞いたら嫉妬すると思い、アーノルドは決してそれを口にしなかったが、これはまさに接待だった。誰もが『名門貴族のアーノルド様』としてしか自分を見てくれない。
本当に信頼できる仲間が欲しかった。そうでなければ冒険者としてやっていく事は出来ない。人間より遥かに強力な力を持った竜や魔族が『さすがは人間の貴族のアーノルド様』と喜んで切られてくれるのではないのだから。
「あの……ちょっといいですか?」
養成所でカリキュラムをこなし始めて一月ほど経った頃、アーノルドが一人で昼食をとっていると、不意に小さな声で話しかけられた。
それは、とても地味な灰褐色の少女だった。おそらくは銀髪なのだろうが、あまり手入れしていないのか鉛のような髪の色をしている大人しそうな子だ。
「君は?」
「あ、あの……私、カナリアと申します」
カナリアと名乗った少女は、アーノルドから少し距離をとってそう返事した。
アーノルドに話しかけてくる女性は何名か居たが、どれも求婚に関連する話が多かった。アーノルド自身を狙っているのもあるし、その後ろにある権力に目を光らせているのが丸分かりだった。
この養成所には護身術代わりに剣術や魔術を学びにくる貴族もいるにはいるのだが、卒業すると冒険者にはならずに家に帰るものがほとんどだ。だから、在学中にアピールしておこうという貴族は割と多い。
だが、この少女はそういう雰囲気がまるで感じ取れない。少なくとも、色恋沙汰の話ではなさそうだった。着ている服もつぎはぎだらけの外套で、どう見ても貴族という感じには見えない。
「カナリア……ああ、君は確か座学が優秀な子だったね」
「覚えててくれたんですか?」
思い出すのに少し時間が掛かったが、カナリアという少女が田舎からは異例の冒険者として在籍中だというのは知っていた。地方ではなかなか勉強など出来ないだろうに、相当努力をしたのだろう。
「僕に何か用かな?」
「ええと……その、アーノルド様は優秀なのに、誰とも組んでないんですね」
「ああ、僕の元に来るのは冒険者としての勧誘じゃなくて、卒業後に実家に連れて行ってくれないかというものばかりだからね。あいにく僕は、冒険者としての道を歩むつもりなんだ」
だから、君も玉の輿には乗れないよ、アーノルドがそう言いかけた時、
「よかった……冒険者を続けてくれて」
予想外の返事が返ってきた。カナリアは、心底ほっとしたように胸を撫で下ろした。
「君は、僕が冒険者になるのを止めないのかい?」
「何でですか? むしろ冒険者になるべきだと私は思いますよ。いえ、絶対になるべきです!」
そんな風に言われたのは初めてだった。
やめろと言われた事は数多くあるが、背中を推してくれたのはカナリアが初めてだ。
「……ありがとう」
自分が待ち望んでいた言葉を言ってくれた少女に、アーノルドの胸が熱くなる。目頭まで熱くなりそうになったが、それを見せるのはさすがに恥ずかしいので何とか堪えた。
「それでですね。私と一緒に組んでくれませんか?」
「僕とかい? 別に構わないけれど」
「ほ、本当ですか!? やった! これで輝かしい未来が開けますね!」
カナリアは、先ほどとはうって変わって大きな声でアーノルドの手をとり、ぶんぶん振り回す。
その直後、我に帰ったのか慌てて手を離した。
「輝かしい未来か、そうだね。僕としては、一緒に組んでくれる仲間が出来て嬉しいよ。でもいいのかい? 僕は貴族なのに冒険者を目指す変わり者だよ?」
「いいんですいいんです。しっかり冒険者として仕事をしてくれれば」
遠まわしに貴族としての道は歩まないと言ったのに、カナリアは平然と笑ってくれた。
この少女は、公爵家のアーノルドではなく、冒険者としてのアーノルドを必要としてくれている。
それがどれだけ彼にとって救いだったか、とても書き表す事は出来ないほどだった。
こうしてアーノルドとカナリアは学園内でパーティを組むことになった。カナリア自身はそれほど強力な力を持っているとは言いがたかったが、アーノルドにとっては大切な最初の仲間だ。
カナリアと組み始めた事で、アーノルドは孤高を気取った公爵家のお貴族様というイメージを払しょくする事が出来た。そして、同じ貴族でありながら、同じような考えを持つシーニュとフェザンという新たな仲間を得た。
こうして四人はそのまま冒険者としての道を歩み始めたが、アーノルドは二人が加わったことで、カナリアが一歩引いている事を前から気にしていた。
自分達三人が歩いている後ろを、ひっそりと付いてくるようなカナリアは、いかにも遠慮しているように見えた。
実際、この時のカナリアは一歩引いていた。
というのも、バリバリの十代の若者三人のテンションについていくのがしんどくなったのだ。
しかも、異世界人の記憶も持っているカナリアは、カルチャージェネレーションギャップという二重苦を背負っていた。「ワシの若い頃にやったゲームで、強そうなヒトカゲを選んだら序盤から弱点ばっかり突かれて苦労したんじゃガハハ」などと喋る訳にはいかない。
カナリアの目的はさっさと金を稼ぎ、美少女奴隷と共に楽隠居することである。
下手に喋ってボロを出し、パーティーから追放されたりしたら計画が大きく狂ってしまう。
結果としてカナリアは無口系キャラを突き通さざるをえず、大人しいフォロワーというポジションに落ち着いた。
それからしばらくの時間が経ち、一週間ほど前、カナリアとアーノルドは別々の道を歩むことになったというわけだ。
「おい、聞いてんのか? アーノルド。おい!」
「……ん、ああ、すまない。何か言っていたか?」
「新しいメンバーの選定の書類が届いてるから、あんたの意見を聞いてんのよ」
以前、正規ギルド認定を受けた時に使った料理屋のテーブルで、フェザンとシーニュが溜め息混じりにアーノルドに書類を突きつけた。
『黄金の竜』に入りたがるメンバーは既に数十名を超えていた。さすがに全員を入れるわけにもいかないので、まずはこの中から数名を選ぶ事になる。どれも何かに特化した能力を持っていて、誰を入れてもきっと活躍してくれる。そんな血気盛んな応募者達。
「カナリア……」
二人に聞こえないよう、アーノルドは口の中だけでそう呟いた。
冒険者は何かに特化していくほうが潰しが効くようになる。だが、あの少女は何故か万能型を選んだ。その理由は聞いても曖昧にしか教えてくれなかった。
しかし、アーノルドにとっては、カナリアは特化した能力を持たずとも、彼にとっては誰よりも優れたパートナーだ。カナリアの申し出を受け入れたのも、実力不足で彼女を永遠に失う事が恐ろしかったというのが本音だ。
「待っていてくれ……僕はきっと誰よりも強くなる。その時は……」
自分の夢のため、自ら身を引いてくれた彼女は、今どれだけ悲しんでいるだろう。
いつか、どんな恐ろしい悪も打ち砕く絶対の力を身につける。
その時は改めて彼女を誘おう。アーノルドは書類に目を通し、目の前の義務を片付ける事に専念した。
◆ ◆ ◆
「うわあああああん!! 美少女奴隷売ってないよぉぉぉおおぉ!!」
その頃、自宅のベッドの上でカナリアは確かに深い悲しみに暮れていた。
アーノルドの想定している理由とは大分違うが、まあだいぶ悲しんではいた。