第2話:翌日
アーノルド率いる『黄金の竜』が正規ギルド認定を受けた直後、一人歩む事を決意したカナリア。
彼らの祝賀会兼カナリアの送別会が終わった翌日、カナリアは一人自宅で悲嘆に暮れていた……などという事はなく、自室のベッドで実に気持ちの良い目覚めを迎えていた。
今日からいよいよ野生解放だ!
「うーん、今日もいい朝だ!」
なお時刻は既に昼過ぎである。
アーノルドのギルドに所属していた頃は、彼の方針で早朝から集まる事が多かった。清く正しく、それが『黄金の竜』のモットーである。
ただし、カナリアの場合、そこに『仕方なく』が追加されていた。
元々、アーノルド達とカナリアは身分が全く違うのだが、戦士を育成する学園のような施設の同期ではある。基本的にこの学園では実力重視で、身分差は考慮されない。少なくとも表向きはそうなっている。
カナリアは前世の日本人の記憶を引き継いでいる。もちろん、特殊技能がある訳でも無いカナリアの知識自体はそれほど役に立たないのだが、教育という面においては、カナリアはなかなか優秀だった。
別段カナリアの頭がいいという訳ではない。単純に算術や文字といった基礎的な概念があったので、この世界でも比較的勉強に対する気構えがあったのが大きい。
ハラショー日本の義務教育。
特に、田舎のパン屋の娘であるカナリアは勉強する機会などほぼ無かったのに、それでも断片的な部分から文字や魔術の概念を学んでいける事は、大きなアドバンテージだった。
そんな訳で、カナリアは田舎娘にしてはなかなかの才女という扱いで、親の反対を押し切って一人王都へ上京し、冒険者の道を目指した。
何故なら、田舎にいると地元の男と結婚させられるからだ。
男の精神を持っているのに、男と結婚するのは絶対に嫌だった。
ちょうどその頃に奴隷制の話を聞いたので、カナリアは平民でも出来高制で金を稼げる冒険者を選択した。
そして、カナリアには前世から引き継いだもう一つの武器があった。それは、一回体験しているせいか、学園のカーストをいち早く見抜く能力だった。
どこの世界のどこの組織でも、中心人物となる人間はオーラが違う。それがまさにアーノルドだった。
学園内では身分差よりも実力が重視されるし、カナリアは何だかんだ言いつつ座学だけはそこそこ出来たので、それをダシにアーノルドにすり寄ったのである。
別に彼が異性として好きだったとかそういう事は決してない。単純にハイカースト集団にくっついておけば、後々冒険者デビューした際にスタートダッシュが切れるという打算からだった。
そんな下心を隠したカナリアはアーノルド派閥に入る事に成功し、そこにシーニュとフェザンが加わり、四人のギルドが出来上がったという訳だ。
こうしてカナリアは、現代日本のボッチ陰キャから、異世界キョロ充としてデビューを果たしたのだ。
「でも私、正規ギルドとか興味無いから」
そこまで回想し、カナリアは溜め息を一つ吐いた。
血気盛んな若者三人に比べ、前世を足すと結構な年齢を重ねたカナリアとしては、やるぞー! ウェーイ! みたいな若々しいノリに付いていくのはしんどい。おじさんだもの。
とはいえ、とりあえず奴隷を買って気ままに生活できる程度の資金は工面出来たし、これからはこの王都でひっそりと暮らしていこう。低い決意を胸に、カナリアは寝ぐせのついた髪をとかす。
基本的にカナリアは外見をあまり気にしない。顔を洗い、髪をとかしていつもの地味な外套に身を包めば身支度の完成だ。
「ごはん食べに行こう」
昨日は夜遅くまで今後の美少女奴隷との生活を妄想していたせいで寝不足なのだが、それはそれとして腹は減る。自炊する事も多いが、今日は外で食べる事にした。
カナリアが住んでいるのは王都の外れの方にある古びた一軒家だ。中心に行くほど土地代が上がり治安もよくなる。アーノルド達三人はそこに住んでいるが、カナリアは無駄に広くて安いこの場所が割と気に入っている。
鍵をかけ、小瓶を下げてカナリアは雑踏の中を歩く。向かう先は、昨日四人で食事をしたあの料理屋だ。強面のマスターとふくよかな奥さんの二名でやっている店で、夜は酒場だが、昼は昼で定食屋として営業しているので、カナリアはたまに顔を出す。
「こんにちはー」
「おう、カナリアか。よく来たな」
店の扉をくぐると、中はそれなりに混み合っていた。声を掛けてきたのはこの店のマスターであり、身長二メートル近い筋骨隆々のスキンヘッドの親父である。
こんな外見をしているが、意外と気さくなのもこの店の人気の一つである。
カナリアは空いているカウンターに腰掛けると、適当な料理を注文した。
今後、美少女奴隷を買って維持していくために、ちょっと我慢して質素な物を頼む。
しばらくすると、湯気を立てた料理が運ばれてきた。
だが、何か様子がおかしい。
「……マスター、何か量多くない?」
「気にすんな。俺のサービスだよ」
そう言ってマスターは白い歯をむき出しにして笑った。
カナリアが注文した料理に加え、サラダとスープ、おまけに大量にパンまで付いている。
なんかサービス受けるようなことしたっけ、とカナリアが首を傾げると、マスターは急に真顔になった。
「お前、黄金の竜を脱退したんだってな」
「何で知ってるの?」
「そりゃお前、あんだけ大声で騒いでたら聞こえるわ」
「せ、せやな」
確かに、昨日シーニュをはじめ大騒ぎしていたのだから、そりゃマスターにだって聞こえただろう。
マスターは何故か渋面を作りながら、なおもカナリアに話しかける。
「お前さん、周りの連中を気遣って身を引いたんだってな。なかなか出来る事じゃねぇよ」
「そんな事無いよ。だって、これから新しい生活をするんだから」
カナリアは満面の笑みで答えた。むしろ今までのギルド生活は前座のようなもので、これからがカナリアの輝かしい人生の始まりなのだ。カナリアはかつてこれほどの笑顔をマスターに見せた事が無い。
すると、不意にマスターが涙ぐむ。
「え!? 何泣いてるの!?」
「……いや、何でもねぇよ。カナリア、いつかお前が報われる日が来るのを祈ってるからよ」
「……はぁ」
何だかよく分からんが、マスターは一人でうんうん頷き、さらにカナリアの皿の上に料理を盛った。こんなに盛られても困るがな。
結局、食べきれなかった分はもったいなかったので、タッパーに詰めてもらって持ち帰ることにした。帰り際、何故かマスターに加えて女将さんまで見送ってくれたので、カナリアはよく分からないまま会釈して去っていった。
「……いじらしい子ね」
「ああ、全くだ」
女将がそう呟くと、マスターも感慨深そうに相槌を打つ。
「俺もな、昔は正規ギルドに在籍してた事があったんだよ。あんときはすげぇ嬉しかった。何せ、滅多になれないギルドの一員になれたんだからな。ま、結局、実力不足でクビになっちまったが」
マスターは昔を思い出すように独り言を言った。
彼はかつて正規ギルドに一時的に所属していた。だが、それも長くは続かなかった。競争が激化していく中、実力不足とされて引退を余儀なくされた。それ以降、彼は冒険者にも使える料理屋を始めたのだ。
「あの子は何度かこの店に来てるけど、あんなに屈託なく笑うところなんて見た事が無いよ。本当はつらいだろうにねぇ……」
今度はおかみさんの方がカナリアの境遇に同情した。
カナリアがアーノルド達と居る時は、彼女は愛想笑いのような笑みしか浮かべた事がない。
それなのに、今日は本当に楽しそうに笑っていた。不自然なほどに。
そして、マスターはこうも思うのだ。自分があのくらいの年齢の頃、夢を断たれた翌日に、あんなふうに前向きに『新しい生活をする』などと言えるだろうか。笑えるだろうかと。
きっと出来ないだろう。それどころか、自分の実力を棚に上げ、正規ギルドに残った連中を逆恨みすらしただろう。
「あいつは昔の俺を彷彿とさせるんだ。俺達にどこまで出来るか分からねぇが、出来る限りあいつを助けてやりてぇ」
ギルドに一時的にどころか、正規ギルドになったその日に、周りを案じて脱退する。そのいじらしさにマスターも女将も、あの少女を見守ってやりたいという気持ちが芽生えていた。
いじらしいというより、いやらしい少女なのだが、それはまた別の話であった。