第14話:vs 陸竜 1
「ここにいる一般人はすぐに逃げろ! 街でドラゴンが暴れている!」
慌てた様子で転がり込んできた甲冑兵士の声に、皆が凍りついた。
竜とは魔物や魔獣とは格の違う、精霊よりももっと上位の存在だ。
人間が文明を築く遥か前より生きている種類もいると噂され、地方によっては神と同一視すらされる。
「ど、ドラゴンだぁ!? なんでこんな街中に!?」
「騎竜兵の訓練中に暴走したんだ!」
「騎竜兵? って事は、陸竜か?」
マスターの問いに兵士が頷いた。一般的な騎士は移動や戦闘の際に馬に乗るが、さらに上位の騎士の中には竜にまたがる者もいる。それが騎竜兵と呼ばれる者たちだ。
彼らが駆る竜は陸竜と呼ばれる種類で、見た目が竜に似ているだけでまったくの別種だ。魔獣に分類される一種で、本物の竜が恐竜だとすると、陸竜はせいぜい大トカゲくらいである。
小さな頃から調教すれば人に慣れるので、希少価値はあるものの王都では一定数飼われている。
本物の竜では無いし、特殊な能力は持たない。
とはいえ、ゾウよりも大きな体を持ち、岩のような頑丈な皮膚は、並の魔法や剣ではびくともしない。熟練の冒険者が数人がかりで仕留めるような強力な魔獣である。
「陸竜の馴致中に手放すたぁ、えらい事をしてくれたもんだ。で、何で俺達が逃げなきゃならねぇんだ? 国の騎士達や冒険者で取り押さえればいいじゃねえか」
「今は廃坑の探索に冒険者を割いている。そんな余裕は無い!」
「自分たちだけじゃ抑えられないから逃げろってのか。呆れたね」
マスターは皮肉たっぷりにそう言い返したが、鉄兜の下の表情は読めない。
ただ、相当焦っている事だけは伝わってくる。
「とにかく死にたくなかったら逃げろ! じきにこちらに来る! 今、兵士たちでこちら側に向かうよう誘導している!」
「おい待て! なんで平民の住んでる側に竜を呼び寄せるんだよ! てめぇらが飼ってる竜だろ!」
マスターの強面がさらに険のある表情に変わる。他に食事をしていた人々も「そうだそうだ!」とわめくが、兵士の態度は変わらない。
「……貴族たちの住んでいる方へ向かわせるわけにはいかない。そういうお達しが出ている」
「あぁ!? だったら俺たちは犠牲になってもいいってのかよ!?」
「もちろんそうならないよう尽力している! だが、現状だとこれ以外に方法は無いんだ……」
兵士は絞り出すようにしてそう言った。その声には苦渋がにじみ出ている。
一般兵の大部分は平民から徴用されている。きっとこの兵士も平民側の人間なのだろう。
上からの命令に納得している訳ではないが、逆らう訳にもいかない。
「おねえちゃん! ドラゴンが来るのに何でのんきにごはん食べてるの!?」
そんなやりとりをしている中、カナリアは相変わらず普通に飯を食っていた。
ノリスとカカポですら緊張感に身をこわばらせているのに、実に落ち着いて見えた。
「こういう時はおかしだよ。お・か・し」
「おかし?」
カナリアは前世で学生時代に受けた災害訓練を思い出し、そう呟いた。
おかしとは、災害時にパニックになって『押さない、駆けない、喋らない』の頭文字を取ったものだ。
陸竜相手ではカナリアに出来る事は無いし、国の兵士も頑張ってるみたいだから、慌てず騒がずこの場を離れればいい。一応年齢だけは重ねているぶん、その辺はある程度余裕があった。
「隊長! ご報告です!」
「どうした!?」
店の中が悲鳴や喧噪でごった返している中、もう一人の甲冑兵士が店に入ってきた。
会話からすると、二人は上官と部下らしい。
「陸竜ですが、こちらから進路を変えて市場の方に向かっています! なんとか広場に誘導し、落ち着くのを待つしかありません!」
「そうか。仕方ない。皆、聞いただろうが逃げるのは無しにしてくれ。少なくとも今すぐこの店に来る事は無い。下手に動くとかえって危険だ! では、我々は任務に戻る!」
兵士たちは一方的にそう言い切り、陸竜が暴れていると言われた方へ走り去っていった。その後ろ姿を、マスターは忌々しげに睨みつける。
「けっ、勝手にトラブル起こして逃げろだの逃げるなだの言いやがって。どっちにしろ被害が出るのは平民の住んでる側じゃねぇか」
こちら側に来ない事に安堵しつつも、マスターとしては納得出来るものではない。市場が破壊されればマスターの仕入れも滞るし、何より、何の罪も無い一般人が一番苦しむ。
「とはいえ、あいつらの言うとおりここを動くのは得策じゃねぇな……仕方ねぇ、お客さん達はしばらくここで隠れてもらうか……って、カナリアの野郎、どこ行きやがった」
マスターが入口の扉に鍵を閉め振り向くと、他の客達は不安そうに一か所に固まっている。
そしてカカポとノリスは相変わらずカウンターに座っていた。
だが、その横に座っていた少女がこつぜんと消えている。
「おねえちゃん、裏口から出ていったよ。わたしたちはここで待っててって」
「あぁ!? 何考えてんだあいつは!?」
兵士から注意された通り、暴走した陸竜は王国の兵士達でも足止めくらいしか出来ない。デビューしたばかりの新米少女一人でどうにかできる存在ではない。
「なんかね、ドラゴンはおかしだとか、様子を見てくるとか言ってたよ」
「おかし? 意味が分からん……」
カカポは、カナリアから聞いていた言葉がごちゃまぜになっていた。
『主は心優しいからな……困っている平民達を無視は出来んのだろう』
「ノリス、わたしたちも行かなくていいのかな?」
『我々が行っても足手まといになるだけだろう。大丈夫だ、主を信じるのだ』
ノリスがそう言うと、カカポも頷く。
恐らく、カナリアは陸竜を止めにいったのだろう。
先ほどまで泰然自若としていたのに、市場に向かっていると聞いた途端、「ちょっと様子見てくる」と言い残して飛び出していったのだ。
カカポを通して行かないで貰うように頼もうかと思ったが、弱者を思う美しい心をノリスは止める気にならなかった。
ノリスとカカポは敬愛する主の無事を祈りながら、他の客と共に待つ事しか出来なかった。
◆ ◆ ◆
「んもぉぉぉぉお! なんで市場の方に向かっちゃうのぉぉぉぉぉ!!」
皆が逃げて誰も居なくなった街中を、カナリアはまっすぐに駆けていた。
別に他人がどうなろうがあんまり興味も無いのだが、市場の近くには自分の家があるのだ。
食事をしにきただけなので小銭しか持っておらず、家に全財産置いてある。
間違って陸竜がカナリアの家を破壊した場合、全てがパーになる。
多少は国から補てんもあるかもしれないが、この世界には現代ほど手厚い法律がある訳ではない。
せめて金だけでも回収し、速攻でまたマスターの店に戻ろう。
そう考え、カナリアは自宅へと彼女なりの最高速度で走っていた。
しばらく街を進むと、不意に怒号と悲鳴が聞こえてきた。
恐らくは陸竜と交戦中の兵士たちだろう。
カナリアは恐る恐る、物陰からそっと近づいて様子を窺う。
すると、市場の真ん中で巨大な生物を、数十名の兵士達が槍を構えて囲んでいるのが見えた。
「だ、ダメだ! とても俺たちだけじゃ抑えきれん!」
「諦めるな! 今、ギルドの方にも要請を出している! 救援が来るまでなんとか足止めするぞ!」
「ヴォォォォォオオオ!!」
兵士達の決死の言葉をかき消すような、空気を鳴動させる咆哮が響く。
カナリアは陸竜を見たのは初めてだが、噂に聞いていたより大分やばそうだ。
「おー怖っ」
この道はダメだ。裏ルートを通ってなんとか家に戻ろう。
そう思った矢先、不意に兵士の一人がカナリアの存在に気付いた。
「おお! 君は最近噂の精霊使い! みんな! ギルドから救援が来てくれたぞ!」
「は?」
カナリアは首を傾げるが、兵士達はみな歓喜の声を上げる。
「助かった! 正直我々だけでは手に負えん! 負傷者も出ている。我々はバックアップに回る! 精霊使い! 他の救援メンバーが来るまで頼む!」
「ちょ、ちょっと待って!」
カナリアが困惑の表情で首を振るが、兵士達はもはや見ていない。
皆、包囲を解き、他の負傷した兵士を抱えて去っていく。
さすがは訓練された兵士。撤退時は実にスマートだ。
……などと言っている場合では無く、まるで巨大な岩のような陸竜は、目の前の少女を視界に捕らえた。周りの兵士が居なくなった今、この少女こそが自分の敵であると認識したようだった。
「ヴォオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
「ウワーッ! 兵隊さーん!」
カナリアがこの世界に転移して十五年。
その年月で彼女は忘れていた。
嵐の日に「ちょっと田んぼの様子見てくる」は死亡フラグである事を。