第10話:プランP
『見苦しいとこを見せてしまったな。空の王者といっても我はまだ幼鳥。もう少しすれば多少は飛べるだろうが、今はまだ雌伏の時なのだ』
仰々しい台詞を言いながら地面に落下したノリスは、カカポを見上げながら羽繕いを始めた。ノリスはカナリアの家に来てから猛禽らしくなってはいるが、ふわふわもこもこな白毛に茶色の羽が混じり始めたくらいである。
「あなたもおねえちゃんに買われたの?」
『まあそうだな……いや、保護されたという方が正しいか。すまないが、我をテーブルの上に乗せてもらえんか? お前を見上げながら話すのは我の誇りに少々傷が付く』
「いいけど」
カカポはノリスを抱きかかえると、テーブルの上に乗せた。
ノリスは満足げに胸を張ると、カカポを椅子に座らせ、少し上から見下ろすような形で語り始めた。
『さて、まずは自己紹介をしておこう。先ほども言ったが我はロック鳥の雛。一族の中でも最も優れた血を引いている。それゆえ屈辱を味わう事になったのだがな』
「くつじょく?」
カカポが首を傾げると、ノリスは目を瞑り、悔しげに身を震わせる。
『我は己の実力を分かっていなかったのだ。自分は空の王者の息子であり、生まれながらにして他者を見降ろす存在であると勘違いしていた。我自身はまだ産毛も抜けぬ雛だというのにな。我は空を飛びたかった。ゆえに、父母の目を盗んで巣を抜けだし、転落したのだ』
ノリスはさらに語る。ロック鳥は雲すら突きぬける高山の断崖絶壁に巣を作る。そのため通常ではまず他の獣は手出しできない。ノリスは巣から落下し、奇跡的に軽傷で済んだが、その時に下界の人間の狩人に見つかり捕獲されたのだという。
『それから我はヒヨコ共とすし詰めにされる屈辱の日々を送る羽目になった。己の過ちを悔やんでも遅い。もはやこれまでと観念した時、我が主カナリアが現れたのだ。他のヒヨコ共には目もくれず、我が力を見抜いたのは見事と言わざるを得ない』
「わたしと同じだ……」
『ほう? お前も興味本位でドジを踏んだのか』
「わたしも、外の世界を見てみたかったから」
今度はカカポがぽつぽつと話し出した。カカポもノリスと同様、ドリアードの一族で非常に優れた家系に生まれた。森の奥の温室で育てられた彼女は、ある日、どうしても外の世界が見たくて飛び出した。
外界には危険がたくさんあると警告はされていたが、それは自分をここに留める嘘だろうとすら思っていた。その結果は今までの通りである。
『なるほど……さぞつらかっただろう。だが安心するがいい。我が主カナリアは偉大な魔導師であり、人間にしては珍しく清らかな心と聡明さを持っている賢者だ。お前に危害を加える事は無い』
「そうなんだ……」
確かに賢者モードになる事は多いカナリアだが、どちらかという愚者の部類に入る。
それはそれとして、一応ノリスの事は大切にしているので大分補正が掛かっているようだった。
「でもわたし……おうち、かえりたい……」
『ならば主に頼んでみてはどうだ? 主は寛大なお方。お前の願いも聞き入れてくれるかもしれん。とはいえ、我らは金で購入されたものだから、主がどう判断するかは分からんが……』
「おかねって、そんなに大事なものなの?」
『人間は金を獲得するためなら同族すら殺す。そのくらいの価値があるという事だろう』
「えっ……!?」
カカポは目を見開いた。精霊同士は争いはしても滅多に他者の命を奪わない。つまり、カナリアは命に等しい物を差し出してまで、自分をあの男から救ってくれたという事だ。
「そんなに大事だったんだ……じゃあ、帰してもらえないかも」
『それは分からんな。いずれにせよ、言わねば何も始まらんぞ』
ノリスの忠告にカカポが緊張していると、そんな空気を吹き飛ばすようにカナリアがドアをぶち開けて入ってきた。大きな鍋を分厚いミトンで掴んでいるので、肩でドアに体当たりしたらしかった。
「おまたせー! 料理出来たよ! ……ってあれ、ノリスと遊んでたの?」
「ギャース!」
動物と話せるカカポと違い、カナリアにはノリスの声は基本ギャースである。鳴き声のトーンで上機嫌か不機嫌かニュアンスは分かるが、何を言っているかまでは理解出来ない。
「ノリス、おねえちゃんの事褒めてたよ」
「あーそうなんだ。それは光栄」
カナリアはカカポの台詞を聞き流し、ノリスをどけてテーブルの真ん中に鍋を置く。蓋を開けると、ほこほこと煮立った料理が姿を現す。
「本当はカレーが良かったんだけど、カレー粉売ってないし作り方分からんから、肉じゃがのような何かの煮物を作ったよ」
要するにごった煮なのだが、カナリアは頑張って日本風の料理を再現しようとしているので、この世界の素人にしては割と料理が上手い。仲間内でもカナリアの料理はなかなか評判が良かった。
「さー食べて食べて。今よそってあげるね」
カナリアはシチュー肉じゃがもどきを皿に盛り付け、カカポの目の前に差し出す。
「ギャース!」
「はいはい。ノリスも食べるよね」
最初はカナリアも躊躇していたが、ノリスは割と何でも食べると分かったので、最近はほぼ人間と同じ物を与えている。というわけで、元おっさん少女、ロック鳥、ドリアードの奇妙な食事会が開かれる。
「……いただきます」
カナリアは一人で勝手に食べ始め、ノリスもそれを見てから食べ始めるが、カカポは少し警戒した様子で、少しだけスプーンですくって口に含む。
「どう? 美味しいかな?」
「ふつう」
「…………そう」
正直カナリアはがっかりした。ここは「うまい!」とリアクションして欲しいところなのだが、TV番組のリアクション芸人でもないし仕方ないだろう。カナリアはまあまあ料理は上手だが、しょせんまあまあである。
「でも、なんだか、ほっとする」
「そっか」
それだけ言って、カカポは少しずつ、だが確実に皿から料理を口に運んでいく。第一段階成功。カナリアは餌付けに成功した事にとりあえず安堵し、自らもモリモリ食べ始める。
『カカポよ、そろそろ切り出してみてはどうだ?』
「何? ノリスおかわり?」
「あの、おねえちゃん」
まったく会話が成り立たない中、ノリスに促され、カカポは意を決してカナリアに話しかけた。
「ん? 何?」
「わたし……おうちにかえりたい……」
「森に行きたいって事? 近くに森があるから、今度一緒に……」
「そうじゃなくて、わたしの森にかえりたい」
カカポはカナリアを真っ直ぐに見つめながら、そう呟いた。
怒られるだろうかと不安はいっぱいだったが、言うべき事は言い切った。
「えーっと……それは……」
カナリアは腕を組み、難しい顔をした。カナリアとしては美少女とキャッキャウフフして暮らしたいだけの人生である。大枚はたいて買ったドリアードを手放したくない。
やはり駄目なのだろうか、カカポが思わず泣き出しそうになるが、カナリアは黙って椅子から立ち上がり、カカポの頭に手を伸ばす。
叩かれると思ったカカポは、目をぎゅっと閉じ衝撃に備える。だが、予想とは違い、カナリアは微笑みながら、カカポの頭をそっと撫でた。そして、少し屈んでカカポに目線を合わせる。
「あの……わたし……」
「ちょっと聞きたいんだけど、いいかな?」
「なに?」
「カカポの森には、パパやママがいるんだよね?」
「うん」
「じゃあ、パパやママの他に、仲間がいたりする? 例えば、背や胸が私と同じくらいの大きさとか、もっと大きかったりとか」
「いるよ。おねえちゃんと同じくらいのもいるし、ちいさいのもおおきいのもいる」
「そっか……」
それだけ聞くと、何故かカナリアは感慨深げに呟いた。
「分かった。カカポをおうちのある森に連れて行ってあげる」
「えっ!? ほ、ほんとうに!?」
もちろんカカポの望んだ返事ではあるが、正直予想外だった。ノリスから聞いた話では金というのは相当に人間にとって大事なものらしいし、それを使って手に入れた自分をやすやす帰すなんて思いもしなかった。
「だって、わたし、おかね払ったんでしょ? いいの?」
「それはまあいいよ。その代わり、パパとママや仲間を私に紹介してくれるかな?」
「うん! 約束する!」
「安心して、絶対、必ずカカポを連れて行ってあげるから」
「ありがとう……」
カカポの瞳に涙が浮かんだ。人間は確かに恐ろしい。けれど、目の前の少女は、自分を犠牲にしながらカカポを救い、さらに森まで送り返してくれるという。これほど清らかな心を持った者は精霊の中にもそうはいない。
「でも、どこの森か分からないからすぐにとは行かないけど……」
「だいじょうぶ! わたし、おねえちゃんのお手伝いして待つから!」
「うん。期待してるからね」
カナリアはにっこり笑ってそう言うと、食べ終わった食器をまとめて洗い場に持っていった。カナリアが去った後、ノリスが嘴の角を歪める。人間でいうと笑っている表情である。
『だから言っただろう。我が主は寛大だとな』
「うん。わたしも頑張る」
カナリアがここまでしてくれた以上、自分も与えられているだけでは駄目だ。自分から率先してカナリアを助けよう。それが自分自身の家に帰る目的にも繋がる。
この日、カカポは人間の世界に来て初めて希望というものを手にした。
「プランPで行くか……」
一方その頃、お皿をじゃぶじゃぶ洗いながら、カナリアは意味不明な台詞を呟いていた。
カカポから帰りたいと言い出された時、正直カナリアはかなり困った。隠している切り札を使う事も考えたが、そこで別の考えが浮かんだ。逆にこのピンチをチャンスに変えられないかと。
カカポは可愛いがロリである。ロリには胸が無い。しかし、カカポの母はどうだろうか。あるいは、同族でも成長した個体なら?
そう、カカポを家のある森に帰してやるという事は、普段なかなか見つからないドリアードの密集地帯を調べられるということだ。そして、カカポをダシに巨乳精霊とかがトレード出来るかもしれない。
エビでタイを釣るごとく、ロリで乳を釣るのだ。
「こりゃあ何としてもカカポの森を探し当てないと……」
カナリアは来たるべき乳の日に備えながら、野望をさらに拡大させる算段を練っていた。
なお、真顔で呟いていたプランPとはパイのことであるが、心底どうでもよかった。