表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

05*Alprazolam

Alprazolam――アルプラゾラム


▼C14H19NO2

「大体わかった?」

「まあまあだな」

「じゃあ『治療』の説明しないとだね。僕ら特進科はかなり荒療治だけど。…行こ?」

 メサドンに手を引っ張られて辿たどり着いたのは、これまた施錠された扉の前だった。メサドンが青いデバイスをかざす。

「…私も」

 同じように、自分の白いデバイスをかざした。


「新入りか。俺はC17H12Cl2N4、トリアゾラムだ。『治療』でのリーダーを務めさせてもらっている20歳。そこの金髪はエチゾラム。15歳だ」

 そこにはメサドンと同じくらいの身長の生徒と、授業でエチゾラムと呼ばれた生徒が立っていた。『ゾラム』と付く、ということはベンゾジアゼピン系だろう。

「あ…よろしくお願いします」

「やり方を知らないだろうから説明しよう。まず、出動要請がかかったら自分の分子式と『ダイブ・スタート』。デバイスをそこの認証機にかざして、認証されたら闘衣とういに換装する。で、換装が終わって武器を手にしたら、行くということを宣言する。これだけだ。まあ見本を見てみるといい」

 目の前のゲートの右側には、改札を思わせる認証機が設置されていた。


 モニターの椅子にも、初対面の人がいる。

「初めまして…メチルフェニデートです」

「あ、新入りさんが入るって聞いたけど、君の事か。自分は舩田ふなだという。ここの研究室長をやってる、よろしく」

 おそらく薬師くすりしだろう…薬師は松本まつもと先生だけじゃなかったのか。

「舩田先生…は、薬師ですか?」

「薬師、じゃないな。自分は人じゃない、けど薬でもない。強いて言えば、薬を管理して研究するためのAIだな」


「舩田先生、次はアルプラゾラムの処方ですよね?」

「ああ。アルプラゾラム、行け!」

 ゲートの前のガラス張りの部屋で、患者と思われる少女がヘッドホンを装着してベッドに横たわっている。彼女はヘッドホンだけでなく、様々な医療機器も付けていた。

「はい。――C17H13ClN4、ダイブ・スタート」

 そう言ってかざすと認証音が鳴る。

 ソラが着ていた制服が、あっという間に黒を基調としたジャージに変わっていく。よく見るとその換装にはデバイスと同じ空色のラインが走っており、左腕に『C17H13ClN4』と書かれている。そして制服と同じく、余り袖だ。

「『闘衣』ってのはこれのこと。元々は薬剤を服用しやすくするための糖分入りの被膜を『糖衣』って呼ぶんだけど、それを捩った呼び名だね。裾のデザインが薬としての分類ごとに違うんだ」

 言われた通り、裾が斜めに切り込みを入れられたようになっている。


「…行くっすよ!」


 ***


「ベンゾジアゼピン系は、脳のベンゾジアゼピン受容体に結合することで、‬GABAがGABA受容体に結合しやすくなる。GABAと言っても某英会話の学校ではなく、‬γ-アミノ酪酸らくさんのことだ」

 いや、逆にこういう文脈で英会話スクールのことだったら普通におかしい。

「GABAが脳内で作用すると、神経細胞の‬活動が抑えられて、不安感や緊張感が和らぐんだよ。ソラ達は、こうやって効くんだ」


「聞こえてるかー?」

『はいっす!』

 ガラス越しに、ソラの声が聞こえる。

「今日はω2に的を絞ってな!」

『お安い御用っすよ!』


「ω2…って何ですか?」

「ああ、ベンゾジアゼピン受容体だな。ω1とω2の2種類があって、ω1受容体に作用するものは、催眠作用や抗けいれん作用がある。俺やフルニトラゼパムとかがこのタイプだ」

 言われてみれば、ロヒプノールさんと雰囲気が少し似ている。

「で、ω2受容体に作用するものは、抗不安作用や筋弛緩作用がある。ジアゼパムとかがこのタイプだな」

「…ソラは」

「その両方!あの子の場合は心身症における身体症状と不安・緊張・抑うつ・睡眠障害に適応してて、その中でも抗不安作用が強いの!だから、基本的には『ベンゾジアゼピン系抗不安薬』っていう肩書で呼ばれてるよ!」


 再び、ガラスの向こうに目をやる。

 ソラの振るった空色の短剣の斬撃が、何かに伝播する。おそらくそれがω2受容体だろう。


「あとね、ベンゾジアゼピン系は作用時間によってタイプが分かれてて、短時間作用型から、超長時間作用型までの4つに分類されるの。私は短時間作用型で、ソラは中間作用型。短期間作用型とされる場合もあるよ!」

「副作用としては、作用時間が短いほど依存しやすく、長いほど眠気やふらつきが出やすい」

「ソラも、依存性があるんですか…?」

「ああ。あいつはアメリカで最も処方され、かつ最も乱用されているベンゾジアゼピンだ。だから大体の国で処方箋医薬品という扱いがされてる」

「なるほどー…」

「あ、終わったみたい!」


 ガラス越しに見ると、患者の顔はどこかすっきりしていた。

「戻っていいぞー!」

『はいっす!』

 闘衣の換装が解かれ、ガラスの部屋からソラが戻ってくる。


「…お前は凄いな。即効性があるのか?」

「まあ、即効性ならあるっすよ?」

「何せアルプラゾラムは、2014年のアメリカにおける薬物過剰摂取死で4番目に多い薬ですから」

 確かにソラは、上位会議の4番目だ。

 …いつの間にいたのか、フェンタニルが解説を加える。

「フェンタニル、いつの間に…!」

「トリアゾラムさんが、作用時間がどうたらこうたらという説明をしていたところからです」

「なるほどな…アルプラゾラムは俺達ベンゾジアゼピン系の切り札的存在だ」

「そうなんですね…オピオイドだと?」

「僕らオピオイドから挙げるとしたら、フェンタニルかな」

「…そうか」

「とりあえずここを出て、談話室にでも行きましょう!」


 ***


「アルプラゾラムは深刻な不安およびパニック発作に対しての救済に効果があります。しかし、選択的セロトニン再取り込み阻害薬が開発されたことにより、第一選択肢からは外されました。パニック障害に対する効果は4〜10週までに限られるという証拠が存在しますが、患者は利益がないにもかかわらず8ヶ月以上治療を続けたままにされているのです」

「選択…何だって?」

「選択的セロトニン再取り込み阻害薬、略してSSRI。抗うつ薬の一種です。彼らは向精神薬ではありますが、『麻薬及び向精神薬取締法』で規制されているわけではないので、特進科ではなく神経科に入ります。扱いは特進科の見習いと同じような感じになりますね」

 ――どうしてお前らはそういう長ったらしい名称をさらっと言えるんだ。

「…ってか、結構遠慮なしに言うんすね、フェンタニルさん。利益がないって酷いじゃないっすか…傷つくっすよ、流石に」

「そうでしょう?貴方の代わりは他にいます。それに、オーストラリアでは耐性・依存・乱用リスクを考慮した結果、パニック発作の治療には推奨されなくなったでしょう?」

「うぐ……けど、アメリカだとそういう訳じゃないんすよ!不安障害やパニック障害に対して、FDAの認可を受けてるんすからね!勧めてるところだってあるくらいなんすから!」

「それはあくまでも薬物耐性・依存の経歴のない患者に限って、でしょう?それに、体系的な臨床試験によると、不安障害への適用は4週間までに限られますよね?」

 トリアゾラムさん曰く『切り札的存在』の2人が言い合っている。こいつらは人間の形をとっているとはいえ歴とした向精神薬なのだが、絵面だとただの人間の舌戦にしか見えない。

「…そ、そうなのか…FDAって何だ?」

「アメリカ食品医薬品局の略です。アメリカにおける医薬品の規制を行なっています」

「なるほどな…お前ら、仲悪いのか?」

 一応聞いてみる。もしそうならば切り札コンビ、と一括りにするのは失礼だろう。

「いや全然?フェンタニルさんとは別に普通っすよ。むしろ、相性が良すぎるんすよね」

「…そう、なのか?」

「はい。俺のようなオピオイドと、アルプラゾラムのようなベンゾジアゼピン系を併用すると、極度の眠気・呼吸抑制・昏睡および死に繋がることがあります。俺とアルプラゾラムが複合的に作用した結果、過剰摂取死させたこともありましたから」

 ――ちょっと待て。薬が人を殺す、というのは本当だったのか。

 人間でいう『血の気』のようなものが引く感覚がする。

「あれは去年っしたかね。確か、ニューヨークのラッパーだったような…」

「そうです。さらに彼の体内からはコークさん等が、尿からはオキシコドンさんやヒドロコドンさん等が検出されています」

 フェンタニルが挙げたのは、いずれも上位会議のメンバーばかりだった。そのような事を――薬が1人の人命を奪ったということを、彼らは表情一つ変えずに、容易たやすく言ってのける。

「お前ら…どうしてそんな、冷静に…!」

 思わず、少し声を荒らげてしまう。


「こういうことを言うのも酷だとは思うけど…君もいい加減、慣れた方がいいよ」


 私の真後ろで声が聞こえる。

 振り向いたところにいたのはメサドンだった。

「僕らは薬としての役割を果たしているだけ。だから人間が依存しようが、オーバードースで体が壊れて死のうが、僕らが知ったことじゃない。…それは、僕らを扱う上での覚悟が足りなかっただけなんだから」

 どうやら、まともだと思っていたメサドンまでもが壊れていたようだ。

「お前ら…それで戸惑わないのか?」

「戸惑うわけないでしょう。いや、壊すことに戸惑ってどうするんですか?薬とは――そういうものでしょう?」


 ――そうか。それが特進科の方針だったのか。

 目の前が真っ暗になって、膝から崩れ落ちる。こうなるくらいなら、初めから選ばれない方が良かったのかもしれない。

 それにしても、今日は覚えることが多すぎるな…。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ