予感
朝目覚めると、一度目を覚ました後はぐっすり眠れたため、夜中に起きたときの疲れはなくなっていた。準備をすまし、今日も頑張ろうと気合いをいれる。そのためにはまず、朝食を食べ、力をつけなければと扉に手をかけたとき、ちょうど外からノックの音が聞こえた。
「はい。」
言葉とともに扉を開くと、外には侍女が立っていた。朝食の準備が調った旨を伝えにきたのだろうか?しかし、侍女が伝えに来たことは予想とは別のことだった。
「斎桜姫様へ麗華様からご伝言をお預かりしております。今日の訓練は急な用事が入ったため中止にしますとのことです。」
せっかく気合いを入れていたのに、一気に勢いを削がれてしまった。私は仕方なく、食事を済ませるため、とぼとぼと食事の間に向かった。
食事の間は静かだった。いつも私が入ると、麗癒が元気な声で出迎えてくれて、煌熙がこちらを向いておはようと言ってくれるのだ。しかし、今日は私が一番のようで、二人はまだ来ていなかった。いつも皆で食べるときは、私が一番最後なのだ。
ふと昨日の夢が頭を過る。二人は何か予定があれば、事前に今日は食事に行けないと伝えてくれる。しかし、今日は何も連絡がないにもかかわらず、二人とも来ていない。麗華も今日は急用ができたと言っていた。嫌な予感が増してくる。
私は食事を軽く済ませ、二人に確認するため部屋を出た。
食事の間を出て歩きだした私は、もしこの不安がまったく関係なかったらと頭の端で思った。何も関係ないことで、二人に不安を与えてしまっては申し訳ない。煌熙も麗癒も忙しいのだ。煌熙の部屋に行く手前で、巫祝の部屋の扉がチラリと見えた。あちらを確認してからでもよいのではないか。私は麗華さんに確認しようと巫祝へ寄って行くことにした。
軽くノックをし、いつものように扉を開ける。
「失礼します。」
扉を開けると、そこには誰一人いなかった。巫祝はいつも、大勢の人が動き回っているはずだ。皆、忙しそうで、どこそこで声が聞こえている。それが今は静寂に包まれており、誰一人いない。私は自分の予感に確信めいたものを感じた。
昨日の斎桜の桜の違和感はこれを伝えていたのではないか。あの夢は実際に西の社で起こったことではないのか。私は逸る気持ちで、急いで煌熙の部屋へ向かった。
煌熙の部屋の前に着くと、中から数人の切迫した声が聞こえた。私は意を決して扉を叩いた。
「失礼します。」
私が部屋に入ると、皆がこちらに目を向ける。中には見知らぬ顔の人もいたが、煌熙をはじめ、麗癒に麗華、常護に剛毅がそろっていた。皆怖い顔で顔を付き合わせていた。私が入ると、驚いたように、煌熙がこちらを見る。しかし、すぐに動揺を隠すように話しかけてきた。
「おはよう、愛優美。朝からどうした?何か用事か?すまないが、今立て込んでいて忙しいんだ。急用でなければ、また日を改めてくれないか。」
焦ったようにかけられた言葉に余計に不安が募る。煌熙はいつも私が来ると、優しく出迎えてくれるのだ。煌熙が私を早く部屋から出そうとしているのが、ひしひしと伝わってくる。私は冷静に問いただした。
「急用です。皆さんが話していらっしゃることは私にも関わりがあることではないのですか?」
もし私の予想通りであれば、それは私の力が必要となるものだ。例えそれが危険であっても。私が煌熙の瞳を強く見据えて問うた言葉に、煌熙は一瞬表情をこわばらせたが、すぐに笑顔に変えた。
「違う。君が心配するようなことはないから、今は部屋に戻って休んでくれ。」
煌熙はどうしても私に話す気はないらしい。私は一人一人の顔をゆっくり見つめる。麗華と麗癒は私から視線を反らすように俯いた。それが、私の予感があたっていることを表していた。
「西の社に穢れが広がっているのではないのですか?」
私が放った言葉に皆一瞬で固まる。
「何故、愛優美ちゃんがそれを…」
麗癒が目を見開きこぼした言葉で、私は確信した。煌熙は険しい顔で、麗華を見据える。
「この件は巫祝の中でも一部の者しか、知らないはずだ。彼女に話したのか?」
威圧的な口調に麗華はびくりと肩を震わし、ぶんぶんと首を横に振る。
「まさか。私も気持ちは王と同じです。彼女に負担がかかることは…」
はっとして麗華が押し黙る。煌熙は苦い顔をする。やはり、完璧に力を制御できない私に危険が及ばないよう、自分達でどうにかしようと考えていたようだ。皆が押し黙るなか、快活な声が響く。
「じゃあ何故、お嬢ちゃんはその事を知ってたんだ?」
剛毅が不思議そうに首を傾げる。みんなの視線がこちらに集まる。
信じてもらえるかはわからないが私は昨日の出来事を話すことにした。斎桜の桜に違和感を感じたこと、夜に見た夢のこと。彼らは黙って聞いていたが、話し終わるころには皆驚いた顔をしていた。
「やはり斎桜姫様は斎桜の桜とどこかで繋がっているのかもしれませんね。」
その言葉を受け、部屋の中にいた高官とおぼしき者が声をあげる。
「そうであるならば、今回の討伐にやはり斎桜姫様も同行していただくのがよろしいのではないでしょうか。」
煌熙はカッと目を開くと怒鳴りつける。
「ふざけるな!もし愛優美の身に何かあればどうする。穢れを祓うだけならいざ知らず、まだ完璧に力が制御しきれていない状態で討伐に同行しろと言うのか。」
「討伐?穢れが広がってしまっただけではないのですか?」
私が問いかけると、麗華が答えてくれる。
「確かに西の社は穢れが広がり大変なことになってはいるけれど、何とか桜はまだ無事なの。穢れだけなら抑えてこれたのに、何故今回結界が破れてしまったのか、それは外壁の外にいる獣たちが穢れに侵され、襲ってきたからなの。早く獣を討伐し、穢れを何とかしなければ、桜が危ないの。桜が無事なら巫祝の力で何とかなるわ。」
麗華が神妙な面持ちで、煌熙と視線を交わす。
「だから愛優美はここで待ってくれていればいい。」
「しかしそれでは。」
高官が口を挟むと煌熙の鋭い瞳がそれを阻んだ。
確かにまだ力が制御できない状態では足手纏いになるかもしれない……それでも……
「私も連れて行ってください!」
私は咄嗟に叫んでいた。今の私ではたいした役には立てないかもしれない。しかし、本来それは私の役目だったはずだ。私が早く力を使いこなせていれば、結界を結び直すことができ、こんなことにはなっていなかったかもしれない。
「愛優美、危険なんだ。」
私を納得させようと、煌熙が必死に止めようとする。
しかし私は強い意志を込めた瞳で煌熙を見つめ返す。
どちらも引かずさらに言い募ろうとした時、剛毅がため息をつくと間に入ってくれた。
「だがな、嬢ちゃんがそう言ってくれるなら、お願いしたほうがいいんじゃないか。」
煌熙を宥めるように、剛毅が助け舟をだしてくれる。
「巫祝だって、力を集めるったって、北の守りを疎かにするわけにはいかないなら、力が足りないだろ。穢れた獣と土地を清浄にもどし、西の社の結界を結び直すなんて芸当は今の戦力考えりゃ無理だろ。」
真実を言い当てられ、麗華は目を閉じ、悔しそうに俯く。
「確かにできるかどうかはわからない。それでも何とかしてみせるわ。」
決意を込めて発した麗華の声はとても弱々しく感じた。それまで冷静に見守っていた常護が口を開く。
「煌熙様、麗華様、意地を張るのは大概にしてください。」
「意地ではない。」
煌熙が咄嗟に言い返すが、間髪いれずに常護が返す。
「もしそれで失敗すればどうなりますか?巫祝に無理をさせ、北を必死に抑えている守りまでなくなれば、一気に穢れが広がります。何より、本人がやってくれると言っているのです。それを止めるなど、あなたたちの意見を押し付けているのと変わりません。」
煌熙ははっとしたように目を見開くと、拳を握りしめ俯く。常護の瞳がふっと優しくなる。
「斎桜姫様がこの国にとってかけがえのない人だということは皆が感じていることです。だからこそ、私たちが全力で斎桜姫様をお守りすればいいのです。」
常護が優しく、煌熙の肩に手を置くと、煌熙が小さく頷いた。煌熙の視線が私を見つめる。その瞳はすべて納得しているものではなかった。
「すまない、愛優美。力を貸してくれ。だが、君のことは俺たちが必ず守る。だから無理はしないでくれ。」
その言葉と瞳から本当に私を心配してくれているのが伝わる。私は力強く頷いた。
「はい。よろしくお願いします。」
剛毅はニカッと笑い、それまで心配そうにおどおどしていた 麗癒も安心したように微笑んでいる。
「そうと決まれば作戦会議だ!」
「じゃあ僕は一応医師たちと連携して、もし怪我人が出たらすぐに処置できるよう調えておくね。」
剛毅の快活な声のあとで、麗癒はそれだけ言い残すと部屋を急いで出ていった。他の者たちはそのあまりのスピードにキョトンとしてそれを見送ったが、皆気を取り直して頷きあった。
獣達は今、何とか巫祝の術者のなかでも力のある者達が、守りの力で抑えているが、長くはもたないとのことだった。それはそうだ、穢れからずっと守っていた桜の木ですら侵入を許してしまったのだ。先に獣をどうにかしなければいけない。
「またあの時のように、皆に斎桜姫の力を貸せばいいのでしょうか?」
私が問いかけると、麗華は首を横に振る。
「穢れを完全に祓えるのはあなただけよ。だから獣達は私達に任してちょうだい。穢れを祓えば獣達の動きも鈍るはずだから。」
麗華に頷くと、背中をポンっと叩かれた。
「心配しなくて大丈夫たぜ、俺は勿論だが、王や常護もお前を全力で守るからな。」
剛毅がニカッと笑い、私は「はい」と大きく頷く。しかし、私は言ったはいいが、本当に自分の力だけで穢れが祓えるのか自信が持てていなかった。実際に、今までの訓練で、広範囲に力を行き渡らせるのに成功していないのだ。私が俯いていると、煌熙が小さな声で呟いた。
「君にはできる。先ほどまで反対していた俺が言うのもなんだが、大丈夫だ。俺に見せてくれただろ、中庭で。とても優しくて美しい光だった。だから、大丈夫だ。」
なんだか煌熙がそう言ってくれるだけで、力が湧いて、自信が持てた。
「そうですね。私は大丈夫。ありがとうございます。」
「ああ。共に頑張ろう。」
自分に言い聞かせるように言い、煌熙と見つめ合い、微笑み合った。
「準備が調いました。」
一人の兵がノックと共に言葉を発した。私達が門前に向かうと待機している兵と巫祝の術者、数十人の者が隊列をなして、控えていた。その横には馬と言っていいのかわからないが、頭に角が一本生えた馬が数十頭いる。
「精鋭のみを集めました。」
煌熙は頷くと、声を張り上げた。
「我々は今から穢れを纏った獣達の討伐と土地の穢れを祓いに行く。皆、気を抜かず、我らの国を守りきるのだ。」
煌熙が話し終えると、皆が一斉に礼をとり、頭を下げた。
私は自分では馬に乗れないので、また煌熙の後ろに乗せてもらうことになった。私が馬に乗ろうと煌熙の差し出してくれた手を掴もうとしたときに、後ろから声がかかった。
「愛優美ちゃん。」
麗癒が息を切らして走ってくると、私の前で立ち止まる。
「僕は力もないし、足手まといになるからここに残るけど、君なら絶対に大丈夫って信じてるから。」
麗癒は私の手を取ると優しく手を握りしめた。
「愛優美ちゃんを頼んだよ。」
煌熙を真剣な瞳で麗癒が見つめる。麗癒の言葉に頷くと、煌熙は私の手をとり引っ張りあげた。
「言われずとも、心得ている。」
その言葉を最後に私達を乗せた馬は走り出した。